バズマーケティング終末論


 先月のことだろうか、iOS版のTwitter公式アプリにて、タイムラインから左にスワイプすると表示されるアカウント情報の下に、いつの間にか”収益を得る”なる項目が追加されていたことにようやく気付いた。有料のストリーミング配信でメイクマネーしろ、ということらしい。

 資本主義のサイバースペース再領土化、などと知った風に語ってみたところで詮無きことだろうし、とっくに誰かが言及済みなのだろう。それでもおれは叫ぶ。

 今日ほど情報が露骨にお金に還元できるようになったのは、いつ頃からだろう。紀元前のギリシアで修辞学と弁論術を有料で教えていたソフィストは、有料ブロマガと情報商材の夢を見たか。おそらくプロタゴラスが想像だにしなかったのは、21世紀では論争で勝つことは唯一無二の目的ではなく、論争に参加することそれ自体が「バズる」ための一手段となりうることだろう。

 注目を集め、知名度を上げ、フォロワーを増やす。何の元手もなしで。トレンドに敏感であること。同時に広範囲のあらゆる属性の人々が関わるトピックであれば、より注意を引き付けられる機会が増える。時事問題、政治、社会、経済の見解の分かれる話題。中年向けなら自民党を批判し、女性向けならフェミニズムの問題を煽り、オタク向けなら表現の自由を云々。目標はどれだけ言及してRTといいねが飛び交うか。よってロジックの深さや倫理的な正しさは必須ではない。むしろ小難しいことを書き過ぎれば、それだけ読者を失う可能性がある。感情的な反応や対立を煽り、扇動するような内容だとより効率がいい。

 あなたはTwitterを開き、タイムラインに流れてきた誰かのシェアする文章(リプライをたくさんぶら下げた長文ツイートであれ、はてなブログであれ、note記事であれこの際なんでもよい)を見つけ、目を通す。極めて微妙な問題にまつわる雑な言及、レトリック、傲慢と偏見。あなたは嫌な気持ちになり、引用RTで非難することもできる。だがもしかしたら、そうさせることで記事を拡散させるのが発信者の目論見である可能性は少なくない。負の反応でも反応には違いない。ツイートアクティビティの機能によって、それらを計測しつつ特化させていくことは難しくない。このとき、発信者の個人的な意見や立場は全く関わりなく発信内容は構築されうる。極端に言えば、差別されたことのない人間が男性社会を批判しフェミニズムを称揚して男女対立を煽り、日常的に深夜アニメを視聴する人間がオタクは犯罪者予備軍であると断言することは全くおかしいことではない。そうしたトピックはとりわけ「バズり」やすいからだ。将来への不安を煽り、読む者を転職サイトへ誘導したり有料のブログ記事を勧めるように、対立を深め人を感情的にさせることは金になる。AmazonからコミックLOの取り扱いを廃止させるよう求めたのは、人権活動家を自称する個人営業のポルノ販売業者だった。同様に倫理も金になる。サステナビリティを付加価値とした商品の隆盛。リベラルな富裕層がプレゼンスを増すほど、グローバル規模の格差はむしろ加速している。

 あらゆる情報が何らかのマーケティング的な意図を含む可能性は、あらゆるコミュニケーションに浸食する性質を備えている。たとえ何ら裏の意図を持たない言葉であっても、それを読む者の応答可能性がある限りはマーケティング的な意図を含む可能性が疑いえないために、どのようなコミュニケーションも信用することが困難になってしまう。悪貨が良貨を駆逐し、腐った林檎が樽全体を腐らせるように。

 個人間の対話そのものにすら貨幣経済が介入し資本によって汚染された世界。そこでは現実を規定するのは言葉でも信条でもなく、市場、マーケットであり、同時にそれは中心を持たない資本という全体主義に支配されたディストピアである。

 逃げ道があるとすれば、それは開かれた社会とはむしろ逆方向にあるのではないか。より個人的な、対面での会話と招待制の閉じたコミュニティ。おそらくそれは無数のエコーチャンバーを生むことになる。社会全体が唯一のエコーチャンバーとなる世界とどちらがマシか、各人は今から決めなくてはいけない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?