事故紹介
どういう形でもこのnoteにぶち当たった人に私のことを紹介しようと思う。
2001年生まれ 今年ハタチ。
幼少期
今とさして変わらず友達よりも先生にくっつき いい子を装っていた。合奏の発表会は絶対に2人くらいしかできない楽器を選んでいた。母親が保育士であることを誇りに思っていてまるで社長令嬢かのようにここぞとばかりに自慢してた記憶がある。ちなみにこの時5歳下に弟が生まれる。多分この頃パニック障害を発症した。
小学生
入学式名前の順番が近かった 少し派手な入学服に身を包み髪をクルンクルンに巻いた気の強そうな女の子がいた。気は強かった。可愛かったし可愛がられていた。当の私は幼稚園の頃とは打って変わってなぜか身を縮めて生活しており 最初に買ってもらったクローバーの筆箱の内側をその子に鉛筆で黒くなぞられ続けていた 多分他にもいろんなことされたけどあんまり記憶がない。抵抗した記憶もない。母親に怒られた記憶はある。誰かにやられたと言った記憶はない。今思えば壮絶なイジメじゃね?多分この入学してすぐの一件で私のカーストに縛られる人生は始まったのだと思う。そのあとそこそこ友達もできてそこそこ平和な日々をそこそこなカースト位置で過ごした。
小学3年生の時両親が離婚した、その直後父は病気で他界した。離婚の原因は父親の浮気だった。元々製薬会社のトラックの運転手をしていた父が配達で行く薬局で働く女と浮気してた、多分。私は父の部屋で繰り広げられる夫婦喧嘩に聞き耳をたて事情聴取の様に紙にまとめていたのを覚えている。離婚する前夫婦仲はどんどん悪くなり父が学校の帰りに私を小学校に迎えにきて機嫌をとる様に色んなところへ連れて行っては欲しいものを買ってくれたなんとなくそれは母には言っていなかった。父は母の2つ下でギターが好きでX Japanが好きで若干の亭主関白、B型。母と趣味や嗜好が合っている様にも思えなかった。あの2人はどこで出会いどう結ばれたのだろうか。気にはなるが知らなくても困らないので追求はしてない。
小学4年は結構キツかった。私は重度の偏食で本当に好き嫌いが多かった、この時の担任は絶対に給食を残してはならないし人にあげてもダメだった。そのせいかとても相性が悪くいつも皮肉を言われていたのを覚えている。食べられない物をティッシュにくるんで捨てていたのをクラスメイトにチクられてありえないほど怒鳴られたのも覚えている。
小学6年の時母に彼氏ができた。高校だか中学だかの同級生。ちょっとハゲてた、祖母とあの人ハゲてるよねって言い合って笑ってた。最初は友達と紹介されて私と弟を連れて4人でいろんなところへ出かけてくれた。その彼は友達がたくさんいて社交的でバーベキューとか水上スキーとかアウトドアな遊びにもたくさん連れて行ってくれた。母の好きな水族館にも沢山行った。弟は彼の事が大好きでいつも別れ際帰りたくないと泣いていた。私も最初は楽しかった。けれど今まではちゃん付けで呼ばれていた名前をある日突然呼び捨てにしてきた、嫌だった 本当に嫌だった。そのあたりから全てを察し 出かける度に見る母とその彼の間に流れる恋人の時間も見たくなかった。 1度だけ泊まりにも行ったすごく高そうな都内のマンションだった気がする。あまり記憶がない。でも次からは断った祖母の家で留守番をしていた。そしてパニック障害が再発した。確実にストレスだった 何かが嫌で変わってしまう気がして 部屋に飾られた4人で映る写真も見たくなかった。でもある日を境に母が彼に会いに行くことはなくなった。多分私が原因。そしてしばらくしてテレビの下の引き出しから 「やっぱり、ダメみたいです。ごめんなさい。」と書かれたメモと鍵が入った封筒を見つけた。彼への物だということはすぐにわかった。
これが私の12歳までの事故人生。
中学に進学してからの青い青い話もそのうち書こうと思う。