見出し画像

落ち込む理由を考える

こんばんは。

今、私は落ち込んでいる。何か大きくショックなことがあったわけではないが、小さくとも色々なことが重なって、ストレスとなっているのかもしれない。

こういうときは、なぜ落ち込むのかを考えてみよう。

推しcpの妄想がネタ切れ

推しcpについて、特に7月からずっと妄想してはニヤニヤしてきた。でもそろそろ、出尽くした感が出てきたのだ。

そこでGoogle先生の出番。ここぞとばかりに、「推しカプ シチュエーション」「推しカプ ネタ」「推しカプ お題」「cp 構図」など、ありとあらゆるワードで検索して、そして見尽くし、妄想し尽くした。

だから今は、新たなるネタを探したいが、どうすれば見つかるのだろう。解釈違いなく妄想できるネタがほしい。自給自足では物足りなくなってきてしまっている。

と思ったが、他の推しcpを摂取すれば良いということで、一度このcpから離れてみるのもアリかもしれないと思い始めた。そう、とらわれる必要はないのだ。

集中力が続かない

何か作業をするには、一定の時間を決めて集中的にやって、ある程度の休憩をとるのがよいと、色んな人が言っているのを見てきた。でもこれを実践するのが、とても難しい。自分で決めたことを自分で守るということは、とても難しい。

集中できなくなった理由として、スマホを使うようになったことが寄与していると思う。映画にしろ、食事にしろ、作業にしろ、集中ができなくなってきた。

作業などの「やらなければならないこと」に集中できないことももちろん問題だが、もっと問題なのは、映画や食事などの娯楽ともいえるものたちにも集中できなくなってきたことだ。

習慣付けが全然うまくいかない

毎日プログラミングをするとか、早起きするようにするとか、「TO DOリストを開く&スケジュールを確認する&ハイライトを決める」ということをする(できたらTO DOリストでこれらにチェックをつける)、等といった習慣をつけたいなあと思って最近やってみている。

でも起床は毎日9時半くらいだし、毎日の作業の進み具合はそれほどでもないし、プログラミングだって結局サボる日も多いし、「TO DOリストを開く&スケジュールを確認する&ハイライトを決める」に関してもできていないどころか、できていないのにTO DOリストから消したいがために「終わったタスク」としてしまっている。先ほども書いたが、自分で決めたことを、自分で守れない。自分に嘘をついている感じがする。

先日、自己肯定感を高めるには、自分への扱いを良くすることが効果的だというようなツイートをみた。

そうだよな。そして私にはこれが足りない気がしていて、上記のように自分に嘘をついている状態はよろしくないよなーと思ったりしていた。だから落ち込んでいるのだ。

これまた先日、人間は弱いものだという前提でハードルを設定せよ、とのお話をお聞きしたが、これが中々難しい。でもこれができれば、心は楽になるだろうなあとも思う。

シンプルに、やる気が出ない

やるべきこと、今やっておけば後々の自分を救うことは、掘り出せば山ほどあるし、切迫した話として、卒論についてもっと考えるべきことも沢山ある。でもやる気が出ず、惰性で過ごしているような自分に、ダメだよなーという気持ちになっているのだ。これで良いと思えないのって、結構辛い。自分の無力さが、ひしひしと感じられるのである。

刺激が足りない

新たに素敵な曲に出会ったり、良いアニメを見つけたり、推しを浴びたり、YouTubeで面白いゲーム実況シリーズを追ったり…そういった刺激が足りないからかもしれない。ワールドトリガーの最新話を見たばかりだから、その時点での供給の多さと現在の供給のなさで、温度差がすごいと感じているのかもしれない。

そういえば以前にも、何となく落ち込んでいたことをnoteに書いたが、このときにも私は、刺激の足りなさが原因だと考察した。

人間ってそういうものでは?

こうして落ち込んでいる私だが、人間はそういうものではないかとも思う。そう、24時間365日元気いっぱいな人間なんて、多分この世にはいないだろう。やる気と活気に満ちたときもあれば、落ち込んだり辛くなったりするときもあるのが、人生なのだろう。

そう考えると共に、某筋肉アニメを見ていたら、何となく元気が出てきた。

ゆっくり歩けばいいし、少し止まってもいい。「歩」の漢字は、少し止まると書くのだし。そうやって悶々とした時間も、きっと意味のあるものだし、なくたって、まあそれはそれで良いのではないだろうか。

ではまた。明日も素敵な一日になりますように。

サポートはお気遣いなく。スキしていただけると感無量です。