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2023 食事と短歌日記 6月

あの紫陽花の名前はアナベルというのだった。
そういう日常の瞬間が、永遠のひとコマになるのだった。


6月上旬の日記(俳句と温泉)

洲本市には縁があって、久しぶりに両親を連れて温泉に行く。関西人なら、あのメロディの宿といえばわかるところに泊まる。もうほんとに、しごとをやりくりして、湯につかりにいった(5月はほぼ休みがなかった)。
明るい海は良いもので、おおらかな気持ちになる。
ここに住んでた時はありがたみを感じていなかったのに、離れてわかる土地の良さ。
宿に俳句の本が置いてあって、おやおや?と思いつつ、読み耽る。ここの女将さんは俳句をする人だそうで。

海が見える場所が好き。
今のしごとばからは、4階まで上がると海が見えるけれど、何か広さが違うんだなあ。
島の道を運転しながら、高速バスに乗って神戸に行ったり、実家に帰ったりしてたことを思い出して懐かしくなった。ここで働きはじめて、良かったのだと思う。

別館の朝のロビーに人居らずライトは白き鴎のかたち

宿にあった本と冊子
こういうのは家では作れないから。

6月中旬の日記(珈琲豆の担当です)

うちの部署は私を含めて3人で頑張っていて、1日電話や来客や郵便物の整理に追われる。あと2人くらい欲しい。そんな、しょっぱい配備だが、ほがらかなメンバーなので、仕事はやりやすい。
1日お昼どきに、コーヒーを淹れることが出来たら、今日はまっとうな日だわ、と思う。豆担当はわたし。お菓子担当もわたし。豆は色々試していて、カルディとか、神戸珈琲とか吟味中。

そういえば、大学院の時のゼミの先生が珈琲好きで、なぜか新歓は近くの山に登って。そこで豆を挽いて珈琲飲んだ記憶。
なんのために働くのかは、ちょくちょく考えている。
人のこころを保ちながら、働くための珈琲。

6月下旬の日記(本屋さんに行く日)


『はーばーらいと』(『海のふた』は実家から持って帰って来た)


書棚より抜き出してゆく本たちの地平にいつも安らぐこころ

子どもの頃から本は好きで。
10代のある時期は、特に本屋さんに行くことで救われたというか(そのうちどこかのエッセイで書くと思う)。
そういうわけで、前々からTwitterで須磨海浜公園の近所に本屋さんができた、自由港書店さんというらしい、という情報はコロナの渦中でも知ってはいて。
でもなかなかコロナとか自分の異動で行けず、ようやく年度末あたりにふらふらと行き。詩集が置いてあるらしいから、詩人の誰か知り合いの人がはじめたお店かな?と思いつつ…と思ったら、全然違ってた。年度末はふらふらと入り、それから、新年度がようやく落ち着いてきた頃また行き、それで今月は読みたい本があって行き。

人生、必要な本も本屋さんを見つけるのもタイミングだと思う。

その読みたい本というのは、よしもとばなな『はーばーらいと』と言って、ここで買わないと行けないという気がすごくしたから。二度目の時に『海のふた』が棚に置いてあって、そうそうそうだ、なにかを思い出す感じが蘇ってきて。懐かしい感じがする。
10代の途方に暮れたとき、本屋さんでよしもとばななの本を買って、読んで人生について諸々のことを考えたり、心に留めていたことを思い出す感じ。
高校生から20歳くらいまで東須磨の駅すぐのとこに住んでいて、須磨から板宿あたりが居心地がよくて、というのもあるし。
こういう本があったんやねー、と思って新たな本を見つける楽しみもあるし(店主さんの本のセレクトが素敵なのだと思う)。

なんだか、ほっとしますね。本屋さん、良き場所は。

あと、白い大きな紫陽花がご近所に咲いていて、歌になった。秋になったら須磨で吟行でもしようかな。

すぐそこに夏が来てゐるしんとした歯科医院の白き紫陽花


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