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グレーなジグソーパズル

先日の開いてシェアする会で
Eさんの話からジグソーパズルのピース的な話になったのだけれど
途中から全く何の話かわからなくなって

というのも、これまでの「例え」じゃない、
「そろそろ枠(思い込み=またこしらえちゃった思い込み)から抜ける」だと思っていたのに
引き戻されそうな展開にパニクった

あ、具体的に書くか


ま、よくスピ民?なのか心理学なのかはよくわからんが
個々人をパズルのピースに例えて
ピースの凸凹が得意不得意の例えで
隣の人?なのか、身近な人?が
その隣り合ったピースで
で、互いに埋め合うと言うような例え話
で、一枚の絵になる的な例え話?
パズルの完成で、壮大な、なにかしらの絵ができあがる


多分この手の例えは
すでに「擦り切れまくっている」と思うよ
アイザイア・バーリンがすでに言ってないかな?とも思うけど(まぁ、よく知らんけど)

話を戻すと
先日も何かしらで書いたのだけれど
例えが重なり過ぎてヒドイのと
わかってもいないことをわかったように飲み込んでしまう、という従来ならではのフェーズ
まだそれやるかフェースの典型

あ、ダメだw
話を戻そうw

Eさんがズバリをいったのだけれど
「自分のピースの形すら知らないのに」
これに尽きる

まず、凸凹が固定じゃない
隣が誰とか知らない(誰とかあったとしても固定じゃない)
パズルって自体で平面w(いい加減、立体ぐらいになってほしいw)
個々人がすでに形を保てない(保っていない、というかいないけど、そこは置いといて。まぁ、いてもいいから)
時間が都合よく一定(時間の感覚すら人によって違うし、時間軸があったとして、その軸すら自分目線でしかとらえていないのにw)
一枚の絵になる(案に、みんなで同じものを見るべきだ、みんなで同じものを作れるはずだという刷り込み、勘違い、目的意識)
百歩譲って「絵」があるとして、見られるのは静止画でない抽象画w


話を戻すと(何回戻すねん!)
他人を
「あるピースのカタチ」に見てしまう、想像してしまう
この固定化からの解放はいつになったら始まるのか、だ

勝手に凸凹を見ているのでしょ?
それを凸=得意?凹=不得意?にしてしまって
そんなこと、あなたに決められることなの?
あなたは他人に決められたいの?得意不得意を
やってることがとても傲慢で残酷なのがわかるだろうか
それを推奨する例え話ってどうなの?

ダメだ
必ず話がズレるw

凸凹は変化するでしょ?
たしかに、助け合いの点で埋め合うことはいいことだけれど
「足りない」から埋め合うのではなく
どうしようもなく「そう」だという
もっと引いた
というか、今あなたが注目していることとは別に流れる川をとらえて欲しい

「川」とか言っちゃってるけどw

静止画でない立体の抽象画が立体に重なり合って永遠に繋がっているし
繋がっていたのをここで捉える、です
永遠にここで

限界だw

ま、そろそろ平面例にはさよならすっか
パズルの裏側、結構グレーだからねw
でも、そっち見たほうが、まだよかったりしてw

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