色眼鏡
もっともありがちな誤解は
悟れば聖人になれるだ
というか
「悟った人は聖人だ」
が、誤りだ
悟ったとか、全然関係ない
つまり
悟ったとされる人物も
そもそも?性格が悪ければ、そのまま悪い
病気があれば、そのまま病気だ
徳がなければ、人徳者でもない
能力も性格も、なにも変わらない
にもかかわらず
悟ったとされる人物を
「素晴らしい人」にしてしまう
その色眼鏡を、まず外そうか
もし、悟ったとされる人物が
優しいなら
それは「悟ったから」ではない
怒らないなら
それは「悟ったから」ではない
幸せそうなら
それは「悟ったから」ではない
おわかりいただけただろうかw
ここでもやっぱり
因果関係はない
え?じゃあ、聖人君子になるにはどうしたらいいかって?
え?幸せになるにはどうしたらいいかって?
今、なればいい
今、決めればいい
なるにはどうしたらいい?と浮かべたように
なったと浮かべたらいい
浮かべるにもかかわらず
それだけは頑なに拒否しているのを見ればいい
なにを自分でしているというのか
「悟ったとされる人物のような聖人君子じゃなくても
聖人君子になればいいと?」
だから、あなたの中の聖人君子は
どんなのなの?なぜ正解があるの?
悟ったとされる人物だけが聖人君子なの?
もう、よく考えてよw
「悟ったとされる人物のような幸せじゃなくても
幸せになればいいと?」
誰になろうとしているの?
なぜに彼らの幸せがあなたの幸せになるの?
悟ったとされる人物だけが幸せなの?
横で笑っている人みてよw
神とか
悟ったとされる人物とか
それらを崇めることの危なさが
わかるだろうか
蓋だよ
蓋を崇めてしまうんだよ
「優しい」とか「冷たい」とか
「怒る」とか「褒める」とか
「幸せ」とか「不幸」とかは
二元だから
マスターたちは、そういうの飛び越えているんじゃないですか?って?
どういうこと?彼らは虚無ってんの?w
二元が悪い、二元じゃダメ、ではないよ
なにか、強烈な縛りがあるみたいだねw
洗脳を解いた方が良さそうだ
色眼鏡を外そうか
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