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(連載7)日本女子ふたりで、ロサンゼルスへ乱入!:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1980年代後半

 前回からの「日本女子の海外への乱入記録」まだまだ続いてます。

女子といっても、あたくし、当時すでにオーバー30ですけども。。。

東京で、スタイリストとして、死ぬほど働いた後のこの活動ですからね。気がついたら、30歳の壁を楽々超えてたわ。ワラワラ〜

相棒のロヲザ嬢は、この頃は、たしか20代半ばだった?と思います。

ふたりで始めた、「ロヲザ・ルナティック」は、ロヲザの歌と詩の朗読と、私の作る服のコラボ・ユニットでしたが、今回はそのロサンゼルス編をお届けしようと思います。

今は、どうかわかりませんが、1980年代、日本では、ロサンゼルスの事を、皆、略して「ロス」って言ってました。でも、現地では「ロス」と言う人はいなくて、略すんだったら LA(エルエー)と言います。「ロス」って、日本英語だったんですねー。ちなみに当時はサン・フランシスコの事を日本だとよく「シスコ」って言ってましたけど、そういうアメリカ人はいなかったです。

話、それました。あ、そのついでに。。。

当時、感じた、アメリカについての事を少し。。。。

ニューヨークとロサンゼルスは、同じアメリカですが、カルチャーがずいぶん違うなあーと感じたことを覚えています。

ロサンゼルスというところは、街に中心がないので、一体何が起こっているのか、全体が把握しにくい。よく東京の人から、「ロスでは何が流行してるの?」と聞かれたのですが、パッと、答えられない。

東京、ニューヨーク、ロンドンは同じノリでいけますが、ロサンゼルスは、なんか、違う。。。。。

一つの場所から移動するのに、車が必要なので、移動にやたら時間がかかる。よって、1日、一つの事くらいしかできない。なんか時間がゆっくりと流れてる感覚。

それから、ニューヨークの人は、パーティーなんかで、人と知り合って、興味のある人だと、すぐ電話番号を交換して、すぐ会って、すぐいっしょに何かをやる。というふうに、めちゃくちゃ早い!!私をロンドンのヴィクトリア・アルバートに紹介してくれた、ハロルド・コーダさんがいい例です。その場で「すぐ」処理ですから、あれが、まさにニューヨーカーのスピード感!!

それと比べると、ロサンゼルスの人はですね〜、パーティーで誰かと知り合うとします。そして、「今度、会おうよ〜、ハングアウトしない?」(ハングアウトとは、「仲間と集う」という意味)と言って電話番号を教えあっても、よほど早急な事でないと、実際に電話することは、ほとんどない。もしくは、そうなるまでに時間がかかる。。。

あ、ちなみに、今ここで、私が述べてる事は、あくまで私の主観的な感想なので、一概には言えないかも。もちろん周りの環境によって、人それぞれだと思いますので、ご注意を〜。

ともかく、まあ、ロサンゼルスは、だだっ広くて、しかも道を歩いている人がいない。だからといって、田舎でもなく、いわゆるハリウッドがあるので、世界中から注目もされていて、発信もしている。不思議なところです。基本的に、表面上は、みんなナイス。そして、まー、おセイジが半端ない!!!何をやっても「すご〜い!」と言われる。これは、やはりハリウッド気質っていうか、芸能界的と、いうか?

とりあえず、「微笑んで、褒めとけば、すべてオッケー!」みたいな。

そして、何か、人と違ってたら、それが「キャラ」となる!

そういう意味では、80年当時の「人と違う」からといって、社会に不適格と見なされ、無理やりシステムに迎合させるような、大企業的な体質の日本とは随分違うな〜、と思いました。

ロサンゼルスの若者(当時の若者ですがー)は、それぞれが、自分のやりたい方向に向いてて、自分にあうスピードで、やりたい事やっている。。。カオス的といえばカオスです。なーんか、ユルユルで、社会のシステムに無理やりに押さえつけられてる感が、まったくない。。。

なので、何をやって生活しているんだろう?という人が多かったです。(1980年代の話ですよ。しつこいですが。)そういう仕事の話とか一切、なし!話題にもでない。あえて「ところで、あなたは、何をやって、生活してるんですか?」って、「バイ・ザ・ウェイ〜」とつけて、聞く。みたいな。笑 これまた、私の当時、知り合った人だけかもしれませんけども。しつこいですが。汗 

あと、交通機関が一部しかないので(バスもあるけども、わかりにくいし、いつ来るかわからない)移動もほとんどが車。これは、私は、ものすごく、気に入った!!なぜなら、ちょっと変わった格好をしていても、車は個室なので、まったく人の目を気にしなくていい!!

前回でも、申しましたが、東京だと目立つ格好をしていると、なにかと笑われたり、後ろ指さされたりするのが、常だったので、これは、本当に嬉しかった。

着たい服を着たい時に、堂々と着れる!!!

それだけでなく、そういう変わった格好をしてたら、

必ず「グレイト!」って、逆に褒められる!!!爆


これ、ほとんどお世辞だったって、後で気がつきますが〜〜。笑

でも、おめでたい私は、「ここって、なんかものすごい自由やわ〜〜〜。」って、シミジミ実感したのでした。

でっと。。。。

やっと、ここで本題にはいります。

「ロヲザ・ルナティック」のロザンゼルス編でした。こちらは、あらかじめ、ロヲザも私も友達、もしくは友達が紹介してくれた知人などがいて、かなりヘルプしてくれたので、助かりました。(感謝)

場所は、今はもうありませんが、「オニキス」というカフェ。サンセット・ブルバードの「ヴィスタ」という映画館の隣に、にあったんですが。

この映画館は、今でもまだあります。カフェは、この右はじにありました。

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ロサンゼルスは、パリや東京のように、カフェ文化というのがなく、(なんせ、スタバよりずっと前ですからね。)こういう「カフェ」というのは、その頃は、かなり珍しかったです。

そして、ここは映画館の隣というのもあって、クールな人たちのハングアウト場所にもなっていました。

この辺りのローカルのクリエイティブな若者は、変わった事とか見た事ないない事が大好きで、「クレイジー」っていうのが、ある意味、褒め言葉になっていたようで、我々のような変わった格好の日本の女子が、壁に服を飾ってディスプレイしたり、ライブやったりするっていうのは、即、オッケー!

オーナーの方も、ビジネスの為ではなくて、ただ、みんなで、クレイジーなモノ見たり聞いたりしようと、大変理解のある人で、かくして、壁に私の作品の展示をして、オープニングの日にロヲザのパフォーマンスをやろうという計画が、あっという間に出来上がった次第。

アタイの嬉しげな顔!(カフェの片隅で展示してるの服)

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これが、案内状。コピーで一つ一つ作りました。

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この服はスカートがステージになっていて、閉じたり開けたりできます。

バレエの書き割り。。。(これは自分で描いた)

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そして、情報雑誌、LA・ウィークリーなどにも、載せていただいて、オープニング・パーティーには、ローカルの好奇心旺盛な若者が、たくさん来てくれました。

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カフェだったので、セッティングはマイクだけで、ロヲザはアコーディオンを抱えて、歌ったり、詩の朗読をやったりして、とても盛り上がりました。

みんなナイスで、もちろん、

(((( ユー アー グレイト!! )))

の連発。(お世辞)

その中に一人のゲイっぽい男性がいて、その人が、「君の作品、面白いから、僕のやってるアーティストのインタビュー番組に出ない?」って、言われたんです。

え? 

こ、この私が、ア、ア、アメリカのテレビにぃ〜〜〜〜??

これがまたも。。。。、

とんでもない展開に繋がるんです。。。。いつも、、、ですけど。

続きは、次回にお話し致します。。。。

(((予告)))

ちなみに、「その後、アメリカで大ブレイク!」とかでは。。

ないです。。。

続く。




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