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クールベが描いた「死」のイメージとは?

こんにちは。

前回に引き続き、ギュスターブ・クールベのお話なのですが、
現在、リンダ・ノックリンさんの書いた英語の「リアリズム」という本に挑戦しています。

表紙がクールベだったので、買ってみた。


なんせ、私は、在米30年以上なのですが、ともかく英語で読むのが苦手で、前回のT.J. クラーク先生の本も1年もかかりましたから(詳しくはこちら)


今回はもう最初から英語で読むのを諦めて、グーグル翻訳のお世話になってます。

ご丁寧に1ページずつ写メしながら読んでいるのですが、
日本語訳はまだ、ちょっと変な箇所があって、文節で区切って翻訳しているせいか、意味が通らないところも多々あります。
なので、そのあたりは注意しながら読んでますが、でも英語で読むよりはぜんぜんラクです。汗

ただ、この本は表紙こそクールベの絵ですが、内容は19世紀のいわゆる「リアリズム」運動?革命?を美術だけでなく文学の話もチラホラ、しかもフランスだけじゃなくて、イギリスの話も出てくるので、やっぱり、時間がかかってしまってます。 
なんせ私の最終学歴、唯一卒業できたのは、文化服装学園(新宿)のみですから〜。苦笑 
そんな私がこの本を読んでの、その「2次情報」として、今これを書いているので、まあ、その程度やろ。として読んでくださいませ。


それから、この「リアリズム」は日本語だと「写実主義」と言われてますが、リアル=写実? というのが、なんか自分的にはしっくりこないので、今回はそのまま、カタカナで「リアリズム」と書くことにしましたので、ご了承を。


では。始めます。


この本の前半に、当時のリアリズムのアーティストたちが「死」をいう題材をどのように表現していたのか?という部分がありました。

ちょっとヘヴィなテーマですが、
まあ、私が語ることなので、心配ご無用です。笑


むちゃくちゃざっくりと要約すると、それまでの「死」の表現というのは、宗教のフィルターがかかっていたりしてパターン化=慣習化されていた。と。

「死」というのは、当たり前のように、重く、暗く、荘厳なもの、敬意を払うべきものとして、描かれていました。

たとえば、こんなかんじです。
どこからかお迎えがきて、天国に登っていくようなイメージというのが、ポピュラーで、その例として、ひとつだけ、エル・グレコの絵が載っていました。(本からだと白黒なので、ネットから。)

The Burial of the Count of Orgaz 1586-8   El Greco   wikipedia


〜それが19世紀には覆され、「死」そのものを「日常生活の延長」としてとらえるようなアーティスト達=リアリストが現れたという事です。

ここで、思い起こすのが、わがクールベのあの美術史上に残る有名な、
「オルナンの埋葬」であります!!

「死」の題材で、お葬式と思うのは至極自然な流れです。

しかしですよ。



この絵のテーマは「死」そのもの?とは言えないですよね。

悲しんでいる人はたくさんいるものの、聖職者や子供もこっち向いたり、あっちむいたりしてて、十字架もめちゃくちゃ小さいし、犬もいるし、なんか、どう考えても、荘厳なお葬式とはいえません。
第一、真ん中にある、お墓の穴も手前に半分しか描いてないですし。

中央だけをクローズアップしてみました。


まったく「死」のイメージから、ズレてる絵です。「お葬式」という儀式そのものではなくて、なんかスナップショット的で、これが、等身大のデカさ!!
まあ、だから当時物議をかもしたわけですが。


ここで、19世紀の他の画家たちの描いた「死」のイメージをご紹介しておきましょう。

以下、本に載っていたものです。

マネです。

The Dead Christ with Angels 1864 Édouard Manet wikipedia


そしてLéon Cogniet
(すみません、カタカナで書けません)

Tintoretto Painting His Dead Daughter 1846 Léon Cogniet  https://byronsmuse.wordpress.com/


そして、Vincenzo Vela。

Tomb of Contessa d' Adda 1849 Vincenzo Vela   https://artsandculture.google.com/

あの政治的なパロディで有名なドーミエも。

Rue Transnonain, April 15, 1834 Honoré Daumier -_WGA5966.jpg


こういうかんじで、装飾的なものを削ぎ落とし、シンプルにあるがままの「死」という現実をそのままストレートに表現するのが、「リアリスト」のやり方だったらしいです。

そして、リンダ先生がおっしゃるには、クールベは、「オルナンの埋葬」ではなく、他に「死」そのものを表現した絵があるというのです。


それは、、、、、、、、、、、

準備はいいですか?

アー ユー レディ〜〜????




the Trout  1872 Gustave Courbet  https://commons.wikimedia.org/

魚!!

しかも、食材用の!!苦笑 


さすが私のクールベ様です!!
そして、ここに注目したリンダ先生!素敵です!

彼が思う「死」のイメージ!
宗教的な死ではない。
天国も地獄もありませんので、聖職者も必要ないです。
ゴテゴテした装飾、花なんかもいりません。

天使は見えないから描かないどころか、

棺桶や遺体もなし!!


彼にしたら、
「死」とは、ただ、餌につられてひっかかった魚、
食事の皿に載せられて、いずれ食べられるもの。
食べるという人間の欲望にひっかかった、魚があるだけです。

リンダ先生がおっしゃるには、クールベがこれを描いたのが、1872年、コミューン騒動の後(クールベはこれで投獄された)ので、魚と自分を重ねている、、、と。
つまり「死」「生きるか死ぬか」のドラマをクールベは全く違う次元から捉え、とことんミニマルな表現をしていると、リンダ先生はおっしゃっています。


う、う〜ん。
リンダ先生の考えすぎでは?という気もしないではないが。苦笑

でも、たしかに、当時はミディアにいろいろとりあげられ、いじられて、結局亡命する羽目になったので、文字通り、あの頃は「まな板のコイ」で、
そしてその何年か後に亡くなりましたので、確かにそういう気がしてきた。

概念としての死。。。。



そしたら、背後で、声が聞こえてきた。

これが俺様にとっての「死」よ!

今までのイメージをブチこわせ!

既成のやり方を飛び越えろ!!!


私のクールベがそう言ったのが(確かに)聞こえた。
そして、犬が横で、クンクンと鼻をならして、何が食べたそうだった。


これからお刺身を見るたびに、クールベを思い出すだろう。
おかげで、ちょっと食欲がなくなるが、この強烈なクールベからのメッセージが、自分を応援してくれてるような気もしてきて、なぜかエネルギーが湧いてきた!!

今回は以上です。
お読みくださりありがとうございました。

L*


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