(連載73)アーティスト・イン・レジデンスで日本へ行く事になった:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2012年
いきなりですが、この話は彼からはじまります。
飯島浩二くん!
彼は日本人の格闘家!!
そして、アーティスト!
アートパフォーマンスもやり、
作品も作り
日本ではこんなのにも出演してたらしい
また、アメリカではケージファイトもやりました。
彼の作品とのパフォーマンスは日本の武士道のような その魂を確認する静かな祝祭の儀式なのであった、、、
つまり。
野性と知性の融合
肉体と操る精神と精神を司る肉体
(( 文武両道をゆく! ))
えっと、あの、すみません、、、、。
緊張マックスのところで、話、それますが、ボクシングのアートといえば、思い出すのは、この方。
ネオダダの篠原有司男であります。(通称:牛ちゃん)
最近はこの映画もアカデミー賞でノミネートされました。
そうなのです。
飯島くんは牛ちゃんのマナ弟子でもあります!
先ほどの映画にも出ていますし、また、ロサンゼルスの美術館、ゲティミュージアムで、牛ちゃんのパフォーマンスのお手伝いもしてました。
そんな飯島浩二君が日本政府の援助を受けて、2007年から2011年までロサンゼルスに滞在しておったのです。
その4年間に、展覧会をやったり、アートパフォーマンスをやったり、
はたまた。。。。
私の演歌のミュージックビデオにも出演してくれたり。。。笑
これは連載48に詳しく書きました。
これは70年代やさぐれ映画がテーマのだったので、上の写真は、かなり、こわおもてに見えますが、、、、、、
彼の笑顔は限りなくやさしい。(ちなみに、これは現在の写真)
彼のロサンゼルス滞在中は、いろいろなイベントに誘ってもらったり、アート活動を身近で見せて頂いたりと、かなり勉強になりました。
スカラプチャーを包む服?のようなものを作らせてもらったり、
彼のサムライ魂に自分の男気が刺激されて(アタクシ、女性ですが。汗)こんなノコギリの下駄を作ってみたり。。。。
地面を切りながらしか歩けない下駄
そして、彼は無事にアメリカでの4年間の活動を終え、日本にもどりましたその直後、すぐに埼玉で、コンテンンポラリー・アート・イン・ジャパン略して、CAJ というプロジェクトに関わるようになったのです。
そして、その一環で、アーティスト・イン・レジデンス(アーティストが現地に滞在し、作品を制作して発表する)があって、それに、この私を招待してくれるというのですよ!
レジデンス?なんてやってことなかったんで、
と、最初は驚きましたが、
前のめりフェロモンが発動!
すぐに引き受けました!
スケジュール的にも、フリーランスだとこういう時は、ほんとに楽チンですね。誰にも気兼ねなく、すぐ決断できます。
しかし、埼玉で、何を作ろうか??
ふむ。 ???
しかし、私の場合、チョイスはなかったのだ。
あるのは、
「汚れの首輪」
(白シャツの襟の汚れに関するテーマ)だけだった。
チョイスがない分、これも、また即決!
チョイスがないってのも、楽チンだな!とわかった。
そして、もひとつ。この決断が、正しかったのだと立証された出来事が。
CAJでのもう一人のキーパーソンの矢崎さんという方がリサイクルビジネスをやっていて、埼玉で古着の工場を持っていたんですよ!!
ワオ〜!!
なんという繋がりであろうか!!
なので、私はそこに集まってくる汚れたメンズの白シャツを、材料として使う事ができたのだ!!
生まれて初めてのレジデンスに、この超ラッキーな状況!
私がやらなければ誰がやる?
埼玉で汚れた白シャツ群が、私を、「まだか?まだか?」と、待っている!!と想像すると、
アドレナリン爆上がり!!
自爆寸前っ!!
飯島くんのような、サムライ武士道の魂に刺激をうけて、私は、一瞬にして、幕末、高杉晋作の生まれ変わりとなったのであった!
高杉るん作
これよりは九州女子の腕前お目に懸け申すべく。。。。。
おもしろき こともなき世を おもしろく。。。。
(なんか、使い方、間違ってるかもしれんけどー。)
ついでに下関戦争の絵図!!
(ルンナ生まれ故郷の田ノ浦。左の下の方)
いつものように、話、それまくったんで、もどします。汗
アーティスト・イン・レジデンスの話でスた。
で、このプロジェクトなんですがインターナショナルで、外国から二人一組という事なので、アメリカからもう一人、誰かいないか?と聞かれました。
ある程度のキャリアがあり、しかも、1ヶ月以上、日本に滞在し、作品を現地で制作して展覧会ができるキャパを持ってる人、、、
自分の周りをいろいろと見回したのですが、なかなか、見つからず、友達に片っ端からたずねていたところ、
ある日、私の英語の読書を手伝ってくれてた先生が「デトロイトのバンド、アダルトって知ってる? 」
と、言ったんです。
このバンドは、日本ではあまり知られてないかもしれないのですが、アメリカでは「エレクトロクラッシュ」というシンセ音楽のシーンがあって、、、
ちょっと、日本のウィキを引用してみますと。
「エレクトロクラッシュ」というジャンル名は2001年、ニューヨークで「エレクトロクラッシュ・フェスティバル」が開催された時期から音楽マスコミの注目を集めるようになった。エレクトロクラッシュは、一般受けのする当時のシンセポップやエレクトロニック・ミュージックに対して、よりアンダーグラウンド志向を持ちアート性を追求した。音楽面ではニュー・ウェイヴやポストパンクから影響を受け、歌詞はパンクなどの怒りに満ちた歌詞から影響を受け、ビジュアル面では1960年代のポップアートなどを参照していた。またクラブではなくギャラリーなどの空間を使ってライブを行うグループも多かった。
代表的なアーティストとして、DJヘル(Gigoloレーベル)、2 Many DJ's、LCDサウンドシステム、アダルト、ピーチズ、フェリックス・ダ・ハウスキャット、フリーズポップ、ミス・キティン・アンド・ザ・ハッカー、ティガ、ル・ティグラ、チックス・オン・スピード、フィッシャースプーナー、ザ・スランツ、レディトロン等がある。
当時ロサンゼルスでは東海岸ほど盛り上がってなかったのですが、それでもファッション指向の強いクラブイベントやパーティーでは、この手の音楽がガンガンにかかってました。
しばらくすると、このブームも2004年くらいには、ひとまず収束し、やがてエレクトロ・クラッシュ自体は過去の事になってゆきましたが、それぞれのアーティスト達は、その後も独自の活動を続け、DJヘルやLCDサウンドシステム などは、後に大ブレイクいたしました。
で、上のウィキにもあるように、アダルトは、エレクトロクラッシュの代表的なバンドのひとつだったので、私は何度もライブに行った事がありました。
デトロイト在住のアダムとニコラの夫婦ディオで、アナログシンセなビート、全身黒尽くめ。
スタイルはパンクで、エッジーなんだけど、なぜか清潔感があり、洗練された雰囲気を醸し出していて、たとえば、「嘔吐」っていう曲をパンクのリズムの合わせて叫ぶとか。
その当時の同じようなシーンにいるバンド中でも、アート色が強いバンドでありました。
彼らは、ブームが去った後も、コンスタントに活動を続けていて、二人で、映画を作り、サイレント映画の時代のように、その映像を流しながら、映画音楽をその場で演奏したり、、、というような事をやっていた。それと並行して、
アダムはビジュアルアート(絵)で、
ニコラは写真やパフォーマンスもやっていたのだった。
で、その英語の先生は、「アダムだったら今でも絵を描いてるから、もしかしたら、日本のレジデンスに興味あるかもよ。」と。
本人たちを直接知っているから、紹介してくれるという事になった。
私テキには、大興奮!あの、アダルトと!!!って。
で、早速、スカイプ(その頃はズームはなかった)で、直接話したら、これまた、即決で、日本に行ってもいい!ということになった。
話、はっや〜!
まさか、あのアダルトと! 彼らのライブにはいつも一番ノリして、かぶりつきで見ていたのに、いっしょにレジデンスができるなんて!!
夢がかなったような、ウキウキ気分倍増!!
矢崎さん、飯島君、ありがとう!
運命とは、不思議なものですねーーー。
さて、次回は、いざ、埼玉へ。
つづきます!
L*
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