見出し画像

(連載73)アーティスト・イン・レジデンスで日本へ行く事になった:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2012年


いきなりですが、この話は彼からはじまります。

飯島浩二くん!



彼は日本人の格闘家!!

画像1



そして、アーティスト!

画像2



アートパフォーマンスもやり、

画像14


作品も作り

画像19

画像21

画像26


日本ではこんなのにも出演してたらしい

画像22

画像25


また、アメリカではケージファイトもやりました。

画像3

画像27


彼の作品とのパフォーマンスは日本の武士道のような その魂を確認する静かな祝祭の儀式なのであった、、、

つまり。

野性と知性の融合

肉体と操る精神と精神を司る肉体

(( 文武両道をゆく! ))


画像34




えっと、あの、すみません、、、、。


緊張マックスのところで、話、それますが、ボクシングのアートといえば、思い出すのは、この方。

ネオダダの篠原有司男であります。(通称:牛ちゃん)

画像10

最近はこの映画もアカデミー賞でノミネートされました。

画像11


そうなのです。

飯島くんは牛ちゃんのマナ弟子でもあります!

画像25


先ほどの映画にも出ていますし、また、ロサンゼルスの美術館、ゲティミュージアムで、牛ちゃんのパフォーマンスのお手伝いもしてました。

画像12


そんな飯島浩二君が日本政府の援助を受けて、2007年から2011年までロサンゼルスに滞在しておったのです。

画像22


その4年間に、展覧会をやったり、アートパフォーマンスをやったり、


画像4


はたまた。。。。

私の演歌のミュージックビデオにも出演してくれたり。。。笑 

これは連載48に詳しく書きました。

画像15

画像16

画像9


これは70年代やさぐれ映画がテーマのだったので、上の写真は、かなり、こわおもてに見えますが、、、、、、


彼の笑顔は限りなくやさしい。(ちなみに、これは現在の写真)

画像14


彼のロサンゼルス滞在中は、いろいろなイベントに誘ってもらったり、アート活動を身近で見せて頂いたりと、かなり勉強になりました。

画像6


スカラプチャーを包む服?のようなものを作らせてもらったり、

画像7


彼のサムライ魂に自分の男気が刺激されて(アタクシ、女性ですが。汗)こんなノコギリの下駄を作ってみたり。。。。


地面を切りながらしか歩けない下駄

画像8


画像9




そして、彼は無事にアメリカでの4年間の活動を終え、日本にもどりましたその直後、すぐに埼玉で、コンテンンポラリー・アート・イン・ジャパン略して、CAJ というプロジェクトに関わるようになったのです。

そして、その一環で、アーティスト・イン・レジデンス(アーティストが現地に滞在し、作品を制作して発表する)があって、それに、この私を招待してくれるというのですよ!


レジデンス?なんてやってことなかったんで、


画像18

 と、最初は驚きましたが、


前のめりフェロモンが発動!

すぐに引き受けました!

スケジュール的にも、フリーランスだとこういう時は、ほんとに楽チンですね。誰にも気兼ねなく、すぐ決断できます。


しかし、埼玉で、何を作ろうか??


ふむ。 ???


しかし、私の場合、チョイスはなかったのだ。

あるのは、

「汚れの首輪」

(白シャツの襟の汚れに関するテーマ)だけだった。



チョイスがない分、これも、また即決!

チョイスがないってのも、楽チンだな!とわかった。



そして、もひとつ。この決断が、正しかったのだと立証された出来事が。

CAJでのもう一人のキーパーソンの矢崎さんという方がリサイクルビジネスをやっていて、埼玉で古着の工場を持っていたんですよ!!

ワオ〜!!

なんという繋がりであろうか!!



なので、私はそこに集まってくる汚れたメンズの白シャツを、材料として使う事ができたのだ!!


生まれて初めてのレジデンスに、この超ラッキーな状況!

私がやらなければ誰がやる?

埼玉で汚れた白シャツ群が、私を、「まだか?まだか?」と、待っている!!と想像すると、

アドレナリン爆上がり!!

画像34

自爆寸前っ!!


飯島くんのような、サムライ武士道の魂に刺激をうけて、私は、一瞬にして、幕末、高杉晋作の生まれ変わりとなったのであった!


画像29

高杉るん作


これよりは九州女子の腕前お目に懸け申すべく。。。。。

おもしろき こともなき世を おもしろく。。。。

(なんか、使い方、間違ってるかもしれんけどー。)


ついでに下関戦争の絵図!!

(ルンナ生まれ故郷の田ノ浦。左の下の方)

画像30





いつものように、話、それまくったんで、もどします。汗


アーティスト・イン・レジデンスの話でスた。

で、このプロジェクトなんですがインターナショナルで、外国から二人一組という事なので、アメリカからもう一人、誰かいないか?と聞かれました。

ある程度のキャリアがあり、しかも、1ヶ月以上、日本に滞在し、作品を現地で制作して展覧会ができるキャパを持ってる人、、、

自分の周りをいろいろと見回したのですが、なかなか、見つからず、友達に片っ端からたずねていたところ、

ある日、私の英語の読書を手伝ってくれてた先生が「デトロイトのバンド、アダルトって知ってる? 」

と、言ったんです。

このバンドは、日本ではあまり知られてないかもしれないのですが、アメリカでは「エレクトロクラッシュ」というシンセ音楽のシーンがあって、、、

ちょっと、日本のウィキを引用してみますと。

「エレクトロクラッシュ」というジャンル名は2001年、ニューヨークで「エレクトロクラッシュ・フェスティバル」が開催された時期から音楽マスコミの注目を集めるようになった。エレクトロクラッシュは、一般受けのする当時のシンセポップやエレクトロニック・ミュージックに対して、よりアンダーグラウンド志向を持ちアート性を追求した。音楽面ではニュー・ウェイヴやポストパンクから影響を受け、歌詞はパンクなどの怒りに満ちた歌詞から影響を受け、ビジュアル面では1960年代のポップアートなどを参照していた。またクラブではなくギャラリーなどの空間を使ってライブを行うグループも多かった。
代表的なアーティストとして、DJヘル(Gigoloレーベル)、2 Many DJ's、LCDサウンドシステム、アダルト、ピーチズ、フェリックス・ダ・ハウスキャット、フリーズポップ、ミス・キティン・アンド・ザ・ハッカー、ティガ、ル・ティグラ、チックス・オン・スピード、フィッシャースプーナー、ザ・スランツ、レディトロン等がある。

当時ロサンゼルスでは東海岸ほど盛り上がってなかったのですが、それでもファッション指向の強いクラブイベントやパーティーでは、この手の音楽がガンガンにかかってました。

しばらくすると、このブームも2004年くらいには、ひとまず収束し、やがてエレクトロ・クラッシュ自体は過去の事になってゆきましたが、それぞれのアーティスト達は、その後も独自の活動を続け、DJヘルやLCDサウンドシステム などは、後に大ブレイクいたしました。

で、上のウィキにもあるように、アダルトは、エレクトロクラッシュの代表的なバンドのひとつだったので、私は何度もライブに行った事がありました。

画像34


デトロイト在住のアダムとニコラの夫婦ディオで、アナログシンセなビート、全身黒尽くめ。

画像35


スタイルはパンクで、エッジーなんだけど、なぜか清潔感があり、洗練された雰囲気を醸し出していて、たとえば、「嘔吐」っていう曲をパンクのリズムの合わせて叫ぶとか。

その当時の同じようなシーンにいるバンド中でも、アート色が強いバンドでありました。

画像34


彼らは、ブームが去った後も、コンスタントに活動を続けていて、二人で、映画を作り、サイレント映画の時代のように、その映像を流しながら、映画音楽をその場で演奏したり、、、というような事をやっていた。それと並行して、

アダムはビジュアルアート(絵)で、

画像35


ニコラは写真やパフォーマンスもやっていたのだった。

画像36


で、その英語の先生は、「アダムだったら今でも絵を描いてるから、もしかしたら、日本のレジデンスに興味あるかもよ。」と。

本人たちを直接知っているから、紹介してくれるという事になった。

私テキには、大興奮!あの、アダルトと!!!って。


で、早速、スカイプ(その頃はズームはなかった)で、直接話したら、これまた、即決で、日本に行ってもいい!ということになった。

話、はっや〜!

まさか、あのアダルトと! 彼らのライブにはいつも一番ノリして、かぶりつきで見ていたのに、いっしょにレジデンスができるなんて!!

夢がかなったような、ウキウキ気分倍増!!

矢崎さん、飯島君、ありがとう!

運命とは、不思議なものですねーーー。


さて、次回は、いざ、埼玉へ。

つづきます!

L*






この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?