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定年後フリーランス☆二足の草鞋ならびにフリーランスについて②

 雇用契約満了による定年退職後あるいは満了を目前にした中高年サラリーマンのフリーランス転向についてひと言だけ。

五十八歳と四ヶ月でサラリーマン稼業、即ち〈雇われれて働くひと〉から足を洗いフリーランスに転向し、六十六歳直前のただいま現在も辛うじてフリーランスでもがき続けている私の率直な感想。(なお、ここで言うフリーランスとは、お客さんと雇用契約以外の形態の契約(おおむね業務委託契約)を結んで、サービスや製品提供の対価として金銭を受け取る一個人のこと)

 五十代半ばあたりから六十代はじめあたりの、昨今の社会の、あらゆる前提をどんどんひっくり返してゆく大変化の波に呑まれて右往左往しているサラリーマン卒業、あるいは卒業間近のひとびとについては、たとえば下記の要件のいずれかをクリアしているひと以外は、フリーランスへの転向は止めたほうがよい感じがする。(フリーランスに転向しても大丈夫そうな要件は他にもあるかもしれない。取り敢えず頭に浮かんだものを記述した。)

もちろんべつにフリーランスになるのはそれぞれの勝手だが、実質の伴った、額面どおりのフリーランスにはなれなくて、中途半端な〈なんちゃってフリーランス〉で停滞して、結局、〈雇われて働くひと〉で生活の大部分を稼いで凌いでもやもやしたまますごすことになる可能性がかなり高い。とは言え、形だけにしてもフリーランスっぽさを味わうのも、〈雇われて働くひと〉に終始して人生を終わるよりはなんぼかマシだが。

私は〈雇われて働くひと〉のままで終わる人生、即ち、〈稼ぐ〉ことにおいて何の主体性もなく人生を終わるのは〈負けの人生〉だとつよく思っている。いっときでどっかり〈儲ける〉のではなく、おのが身ひとつ分だけ死ぬ直前まで主体性をもって〈稼ぎ〉続ける。「一寸の虫にも五分の魂」という訓があるが、それに倣えば「一寸の裸虫(すなわち人間)にも一分の主体性」だ。

要件①   現役サラリーマンの頃から、パラレルワーカー(複業)であって、サラリーマンとして企業から与えられた仕事以外の仕事で一定水準以上の収入を継続して得ている。

要件② 現役サラリーマン時代、仕事はサラリーマンとして企業から与えられた仕事一本であったが、所属企業を越えて業界に、一般社会に、その実績と名前が知られている。

サラリーマン定年退職後の五十代半ばあたりから六十代はじめあたりの、大方のおおむね〈普通〉のひとびと(つまり上記の〈フリーランスに転向しても大丈夫そうな要件〉に当てはまらないひとびと)に安直なフリーランス転向をすすめない理由は、ひとえに自分の名前で自分独自のサービスや製品を、〈お客さん〉に売ったことがないからだ。(ただ企業と雇用契約を結んでのサラリーマンのうち、給与内訳がほとんどコミッション(歩合)のひとは、自分オリジナルなサービス、製品の提供ではなくても、すでにして実質フリーランスなので話が違ってくるかと)

企業に所属しているサラリーマンとしての一個人は、企業の仕事の一端を担っているにすぎない。企業がお客さんから受注した仕事のお手伝いをして、その見返りとして給与(役員の場合は報酬か)を貰っているだけだ。勘違いしてはいけない。(ひとえに已に向けて言っているのだが)仕事をしている主体はあくまで企業だ。ブランドも設備も備品もヒトモノカネを動かすシステムも信用も全部ひっくるめて企業という存在が仕事をしているのだ。だから企業を出た一個人は、出たとたん、通常、企業に関するすべての資産が使えなくなる。仮に所属していた企業と業務委託契約を結び直して、自分にとって〈お客さん〉の立場になったとしても。またそれは企業に所属する人間全員。社長と言えどもサラリーマン社長ならば平社員と同じ。創業のオーナー社長でも企業からの離れ方(出され方)によっては一緒だろう。

それからサラリーマン(雇用契約)とかフリーランス(業務委託契約)とか関係なく、一個人がサービスや製品を提供した見返りとして、お金を払ってくれる相手は、法人、個人関係なくすべて〈お客さん〉である。お金を払ってでも、そのサービスや製品が必要なのか否かは、ひとえに〈お客さん〉の価値観に基づく判断だ。〈お客さん〉の価値観がその時代の社会通念上、諾えるものか諾えないものかなど、サービスや製品を提供する側の一個人がどうこう論じても意味がない。〈お客さん〉自身がサービスや製品を、そのタイミングでお金を支払ってでも、どうしてもと思うほど本当に必要としているかどうか。それしかない。そこに情緒的なはからいが介在してくる余地は通常ほとんどない。

定年退職後のサラリーマンがフリーランスに転向しても大丈夫そうな要件を、すぐに思い浮かんだところでニつあげたが、これとて磐石ではない。
とくに〈要件②〉すなわち、現役サラリーマン時代、本業一本(つまり所属企業から与えられた仕事)ながら卓越したパフォーマンスをもって、所属企業の枠を越えて関連業界に、ひいては一般社会にその実績と名前を知らしめているひと。どんなに実績をあげていたとしても、それは企業に所属して企業のあらゆる資産を使って、企業のサービス、製品を提供してたまでのこと。一個人の自分オリジナルのサービスや製品を提供して、お客さんからお金をいただいた実績はない。商取引の規模云々ではない。そういう一個人としての実績が全く無いという事実だ。もちろんフリーランスの一個人に転向しても、実績や名前を承知するひとが〈お客さん〉としてオファーをかけてくる確率はかなり高い。ただそのオファーに応じて提供したサービスなり製品に〈お客さん〉が満足するかどうかは、またまったく別の話だ。初回はよいが、満足しなければおそらく次のオファーはない可能性が高い。人縁のよしみで数回あって、以降途絶えたという話はよく聞く。この時点(五十代半ばあたりから六十代はじめあたり)から、試行錯誤しながら〈お客さん〉のレギュラー層を作ってゆくのはなかなか大変だ。

〈要件①〉もフリーランスとしてまともにやっていけるかどうかについて、磐石ではない。
とは言えすでに自分の〈お客さん〉を持って商取引をしているぶん〈要件②〉よりもかなりのアドバンテージがある。とりわけ集客の実績があるのは大きい。しかしながら既存の〈お客さん〉を維持し、新たな〈お客さん〉を獲得しながら、フリーランスを継続してゆくのは難しい。



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