見出し画像

映画『ロスト・キング 500年越しの運命』が教えてくれる推しのいる人生

世の中に「推し」のついた言葉があふれるようになったのはいつからでしょう。「推し」と呼べる特別な存在を持たないわたしはその尊さや苦しさは想像することしかできません。そんなわたしに「推し」のいる人生を魅せてくれたのが『ロスト・キング 500年越しの運命』のヒロイン、フィリッパ・ラングレーでした。

『ロスト・キング 500年越しの運命』はイギリスのリチャード三世の遺骨を発見した1人の女性の実話がベースになっています。500年以上も行方不明だったイギリスの王様の遺骨発見、しかも歴史の専門家でも何でもない人物が成し遂げた大ニュース!

これが2012年、わりと最近の出来事のはずなのにわたしはこの映画と出会うまで知りませんでした。こんなに夢とロマンいっぱいのニュースをリアルタイムでキャッチできなかったなんて……。わたしのアンテナ、残念すぎる。

このように広い世界のニュースには疎くリチャード三世が歴史上どういう人物かも知らないわたし。彼を悪役に仕立て上げたというシェイクスピアを読んだことも観たこともありません。その上、三世=サードでたびたびルパン三世が頭に浮かぶほど、わたしの頭の中は偏っています。とまあ、そういうワケでして彼についての話は詳しい方にお任せするとして、わたしは映画の感想を。

究極の推し活と銘打たれたこちらの映画はリチャード三世の魅力に取り憑かれたフィリッパが彼についてとことん深掘りし、ついには遺骨までも掘り起こしてしまうというお話。繰り返しますが実話です。

リチャード三世の演劇を観てから彼の幻が見えるようになったフィリッパ。舞台の上では冷酷非情な王様だった彼もフィリッパの目を通してみるとどこか寂しさを讃えた目元と、その中に漂うのは品の良い微笑み。さながら大型犬のボルゾイ、アフガンハウンドのようです。

なるほど。これは推せる気がする。……というのはあくまでわたしの感想なのですが。

フィリッパは40代で2人の子供の母親、旦那さんとは別居中なので自分が働いて稼がなくてはなりません。持病を抱えているせいで職場では正当な評価をしてもらえないと感じる日々。だけど生きていくために仕事は必要でした。

そんな彼女を最初にかっこいいなと感じたのは、いつもカジュアルな格好をしているのにヒールの高い靴を履いているところです。さぁ骨を発掘するぞという場ではさすがに長靴でしたが、それでもイギリス国旗デザインの長靴というセンスはズルいでしょう。そうでしょう。

こちとら彼女と同じ40代なのにスニーカーばかり履いている毎日。いや、スニーカーに罪はないし歩きやすいからいいのだけれど。でも、身軽に動けるはずなのに平坦な道ばかりを選んでいる気がして、じっと足元を見る……、みたいな。

ヒールがもたらす緊張感、あるいは自分を奮い立たせる感覚を思い出しました。不安定かもしれない。でも、だからこそ履いている自分自身がブレないことが大切。じゃあ、自分の軸となるもの、支えとなるものって何だろう。胸に手をあててじっと考えるてみる……。はてさて。

自分以外の何かに自分の行動や気持ちを強いられ、もやもやからの突破口を探していたフィリッパ。そんな感情の導火線に火をつけたのがリチャード三世でした。

映画はもちろん紆余曲折もありますがトントン拍子に進みます。実話なので答えは出ています。それでもフィリッパがリチャード三世の骨が埋まっている場所に初めて立った時はこみ上げてくるものがあり、息を飲まずにはいられませんでした。

そして歴史が動き出そうとする瞬間、肝心のフィリッパはその歯車から弾き出されてしまいました。その名誉を手に入れようと肩書きのある人物が次々と表舞台に乗り出してきたのです。

お金は出さない、どうせ遺骨なんて見つけられるわけがないから。フィリッパの情熱を夢物語と決めつけていた人たちの手のひら返しはまるでお伽話を観ているかのような展開で、わたしはそんな彼らの恥ずべき行いが公の場で糾弾されることを期待しました。

甘い汁だけ吸おうとする人たちは痛い目に合ってスカッとする。これこそお伽話の王道、でなければやりきれないでしょう。だけど、これはお伽話ではありません。ラストは綺麗に結ばれていましたが、その一点においてどうしてもモヤモヤが胸に残ってしまいました。どうしてフィリッパは彼らを責めなかったのか、と。

時間が経って何となく見えてきたのは彼女は自分の正しさを証明したかったわけではなく、リチャード三世の名誉を回復したかったという一点でした。歴史によって虚像となって歪められた彼の、リチャード三世が生きてきた事実を世の中の人たちにちゃんと知ってもらいたい。遺骨が発見されたことによって研究は進むでしょう。また、それが著名な人物であればあるほど世間に対する説得力は増し、布教の範囲は広がります。きっとそれが彼女の推し活。

推しのことは他の誰よりも自分が一番知っているとか、遺骨を発見したという優越感に浸るとか、それらを誇示するとかではなく。ただ、リチャード三世の魅力を知ってもらうこと。そして、本来名を残すはずだった場所に彼をかえすこと。自分への見返りは求めない。それがフィリッパの推し活でブレない軸なのでしょう。だから、彼女はヒールの高い靴でどこまでも動き回ることができるし、その姿はかっこいい。素晴らしきかな、推しのいる人生。

ちなみに実際に費やされた時間は8年だそうです。そして、まだまだ道の途中だと語るフィリッパ。「どうしてそこまで……」と、理由を求める人もいるでしょう。でもね、20年30年経っても変わらない思い、追いかけている存在、あなたにも覚えがありませんか?目を閉じてじっと考えてみてください。思い浮かんだそれが、きっとあなたにとっての……。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?