見出し画像

【短編】朧になったら

朧月って空気中の水分が多くなって空を見た時に霞んで見えるってことから生じる現象の名前だから、月側からしたら、急に地球人が見る目変えてくるの不思議でしょうがないだろうな。

そんなことを言う謙介は禁煙の公園内で堂々と紙巻きたばこを吸って、足元に捨てた。ナイキのスニーカーでぐりぐり煙草を踏みつぶす様は、地球を少しでも痛めつけてやろうという、プチ憎悪みたいなものを感じさせた。

「春になると寒い時期を越えたってこともあって、少しだけ色々なことを考える余裕が出てくるじゃない。だから昔の人はゆっくり空を見上げて、なんか霞んでる月っていいなって思ったっていうことだと思う」

先ほどの謙介の発言に対して、あまり噛み合わない返答をする私。それは返答というよりは、私が思ったことをただ言っただけで、2人の間に浮かんだ返答はふわふわ漂っている。
平行線というよりは、シャボン玉をお互い気ままに作っているかのような、そんなコミュニケーションの空気感。私にとって、それは心地いいものだった。

謙介と付き合って数ヶ月は、会話として成り立っているのか微妙、という状況が正しいのかどうか分からず、どぎまぎしていた。そんな私を見て、頭を撫でて「友梨佳の言うことって、なんか好きだな」と言ってくれた謙介を今でも覚えている。

今ではそんなこと言ってくれなくなったし、本人もそんなこと言ったっけ、程度の認識でいると思う。だけど私にとって、あの一言をもらった瞬間が謙介と過ごすうえで欠かせないものとなっていた。

謙介は4月から社会人だ。私は謙介の2個下で、喫茶店のアルバイトで知り合い、1ヶ月と少しで付き合うことになった。
大学は一緒だったが、それまで関りがなかった。私はアカペラサークルに入っており、謙介は文芸愛好会だった。

いちど、その愛好会が同人イベントで作品を売るという話を聞いて、私もブースに行ってみた。謙介も含めてメンバーは全員男性で、小さな机の上にそれぞれの個人の作品を並べていた。

謙介の前には『天然復讐』と青色のゴシック体が印字されていた。特にイラストなどは入っておらず、タイトル以外真っ黒だった。
収録されていたのは3作の短編で、それぞれ、妻の不倫相手を食卓に招き続ける男性の話、自分が出すゴミをつつくカラスを殺そうと数十種類の罠を開発するフリーターの話、新人賞が全く獲れないから自らネット上にオリジナルの新人賞を創設しまくる女性の話がおさめられていた。

この『天然復讐』に限らず、謙介の作品に出てくる主人公は人への憎悪とか嫉妬とかがドバドバに溢れた生活を送っていた。「フラストレーション」という概念を細切れにして再構成したような物語の数々から、謙介と言う人間の、悪く言えば「八つ当たり気質」みたいなものが透けて見える気がした。

ただ、その作品を読んだ後に謙介を見つめ直しても、たいして尖った人でもなく、どちらかというと穏やかで丸い人だなという印象が続いた。ちょっと発言が面白い人、くらいのレベルで寧ろそこが丁度良いオリジナリティに繋がっており、魅力に感じられた。
作品を書いている時は…?

そして、そんな謙介が4月から働き始める。
「ねぇ、就職した後も何か書くの?」
「いやどうかな、書けるなら書きたいし、書きたいことがあれば絶対書くけど」
私はそれを聞いて安心した。謙介は私が好きな謙介のままでいてくれるんだろうと、間抜けな安心をした。
「できれば書いていてほしいな」
「お、嬉しいね」
謙介はぎこちなく笑う。笑い慣れていない謙介は、未だにバイト先で店長から「笑顔だよ、笑顔」と優しい指摘を受け続けている。


謙介は変わった。それは世間的に見れば望ましい変化であり、私にとっては困惑を生じさせるものであった。

配属先の都合で、埼玉への県境近くへ引っ越した謙介。私と会える頻度はぐっと減った。入社して6月くらいまでは、仕事終わりに会いに来てくれたりしたけど、それも夏になると少なくなり、秋を越して冬になると殆どなくなっていた。

クリスマスの予定も決めていたけれど、ホテルの予約をしようとLINEしている最中、仕事が泊まり込みになりそうと急に言ってきた。
それによってデートの予定が消えるなどはなく、22日に有給休暇とったから、21日の夜からどっかいいところでゆっくりしようと提案してきてくれた。

約束の日に待ち合わせ場所へ向かうと、謙介の髪形はさっぱりしたツーブロックに整えられていた。
元々目が見え隠れするほど長い黒髪に、パーマを当ててもじゃもじゃになっていた謙介は、いわゆる「清潔感のある社会人」として自らを律するようになったのだな。
私はその事実によって、悲しみにも似た寂しさが如き違和感を覚える。

「仕事、忙しいんだね」
「証券だからね、舐めてたけどやっぱり忙しい」
「慣れてきた?」
「慣れはしたよ。それなりに結果も出てきて、上司にもいい感じだって評価されてる。証券ってアナリスト的なスマートな人が多いかと思ってたら、足で稼ぐんだよみたいな体育会系の人が多かった。意外だったわ」
「そうなんだ、社会人って怖い」
「でも業界によると思うけどな」

会話を何気なく続けながら、謙介の発言をリスニング問題よろしく集中して聞いている自分に気付く。会話自体を続けられるよう、謙介の発する単語から自分がするべき返答を考えている。
私は、謙介に気を遣っていた。
その後会話をしていく中で、謙介も同じように気を遣っていることが伝わってきた。
そして、そんな気遣いの行き交いにも疲れが生じてきて、沈黙が目立つようになってくると、私は少しだけ勇気を出して謙介に、
「何か最近書いているものあるの?新作とか」
と聞いてみた。

謙介は、目を丸くして、えーっと、と言いながら頬に手を当てた。
そして2秒ほどして、あぁと声をあげて、
「作品ね、書いてない、忙しくて」
と言った。私は、そっか、とだけ返した。
その後は、出てくる料理やお酒に、ひたすらリアクションをとったり薄いレビューや食レポを繰り返して、時間が過ぎていくのを待った。

この日の会話は、それくらいしか記憶に残っていない。
強いて言うなら、仕事か就活関連の話になった時、謙介がぽつりと呟いたことがある。

「変にかっこつけないようにしたんだ。社会人ってそうなるんよ」


卒業論文の資料を詰めた、重い鞄を背負いながら、いつか謙介と来た公園を通過する。
謙介とは12月から会っておらず、連絡も少なくなっている。

こちらから食事に誘っても、断られることが多くなった。1度だけ、断られた日のインスタに、謙介が同期の男子と飲んでいるストーリーが流れてきたことがある。
私はそれに対して何の指摘もしなかった。数週間ぶりのLINEが問い詰めみたいになることも避けたかった。

私は卒業論文を執筆しながら、同人誌を書いていた謙介のことを思い出していた。パソコンに向き合いながら、やや大きなタイピング音を響かせ、音が止まったかと思えば私の横に来て、黙って肩に頭を乗せてくる謙介。

例えば、謙介と私が一緒に暮らしたとして、そして謙介がリモートワークになって、同人誌を書くみたいに仕事に熱中したら、そして合間の時間、かつてと同じように私のそばへ来て、体を寄せてきてくれるのなら。
それなら、私は満足だろうか。

おそらく彼のPC画面に映るものが、縦書きのWordファイルではなく、Excelの表だったり、武骨な社内システムだったり、商品知識の記されたPDFだったりするのだろうなと想像した。

その想像は、霧のようになって、記憶の中にある謙介の下手糞な笑顔を隠していく。おそらく職場での彼は、器用ににこやかに笑っているのだろう。

私は公園内で立ち止まり、ゆっくりと空を見た。
朧月。
あらゆることが始まる季節に放出された水分。
それが月と私の間を阻んでいる。

#シロクマ文芸部


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?