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【掌編】ペンギン殺し

ペンギンを手に取って、その場で引き摺りまわしてみた。ペンギンが愛らしい生き物だからか、彼らが地面にこすりつけられ、鮮血を散らす様を誰も想像したことがない。

私はこうやってペンギンをひきずり回す自分の神経と腕を尊敬している。ペンギンを動物園で見て、可愛いと手放しに喜んでいられるなら、まだ社会的に存在価値があっただろうし、私はつまらなくも細やかな幸せを手にしていただろう。

だけど、私は私の腕を信用している。ペンギンを無残にも殺して見ることができるのだ。まだ死んでいなかった。ぎーと力弱く、鳴く。


私は居酒屋でバイトをして、帰ったらふらふらした頭で絵を描く日々だった。絵を描くことで何か前に進む感覚でもあれば、人生に希望的観測を抱くことができただろうに、私の絵はその場にあるだけで、どこにも飛んでいかない。

描きたいものを数枚描いて、そのうえで保存ボタンだけ押して、誰にも見せずに、私すらも見ないようなフォルダに押し込む。
そんな日々の中で、鬱々しさを感じて、偶にエロ絵を描いてみたりしたら、「(・∀・)イイネ!!」がついて少し嬉しくなった。

でも、それが私にとっていいことなのか分からずに、ふらふらと大学まで赴いて、机に突っ伏して寝た後に居酒屋のバイトへ向かう。


大学の同期がバイト先に遊びに来た。正直イヤだった。私が伝票を落として靴の裏で踏むところを見られたし、それを嘲笑われたし、店長は「接待だから」と言って私に3杯くらい飲ませたし、店を閉める直前になって、私は自分がなぜ笑っているのか分からないまま、笑い続けていた。

帰りの電車で、私は笑いたくなかったんだと、何度も自分に言い聞かせる。


動物園に行った。暖かくなった、よく晴れた春の日のことだった。
ペンギンが水浴びをしていた。
私はぼんやりとひとり、ペンギンを眺めていた。
それは私にとって必要な時間だったと思うし、彼にとっては不要な時間だったと思う。
ひとりで動物園なんか行けばいいのに、ひとりで行くよとわざわざ彼に言って、わざわざ不機嫌にさせて、わざわざ喧嘩をして、わざわざ一緒に行くことにした。
あの部屋で行った喧嘩は何だったんだ。そう思いながら動物園を歩き回っていたらペンギンがいたのだ。
彼氏に対して、ストレートに言えばよかったのだと思う。
私はひとりで動物が見たかった。それによって得られる何かがある気がした。特に4月の第3金曜日の今日は。
そう誠実に説明すれば良かった。意味わからん、と言われても、しつこく事細かに説明して、自分をあけっぴろげに見せるべきだった。
それによって「意味わからん」が何倍にも増強されていくにしても、
私はそれを怖れるべきではなかったのだ。


「ちょ、ちょっと何やってるんですか、柵を越えないで」
そう言われても、こうするしかない気がするもの。
だって私がペンギンを静かにひとりで見たいって説明しても、誰も納得してくれないじゃないか。彼だって、私が「まぁ君と将来考えてもいいよ」と判断した彼だって、私がペンギンを見つめる時間の真意に気付いてくれない。

いや、違う。
真意に気付いてくれないんじゃなくて、私が「なぜペンギンのひとりで見つめ続けたいのか分からない」と言って、その疑問に死ぬまで付き合ってくれないと、私はイヤだ。

でも、そんなことに付き合ってくれる人がいなかったんだ。
付き合っている人でも。

じゃあ、こうするしか、ないじゃないか。

「ちょっと、何してるんですか!」


「お姉ちゃんにはわからないかもしれないけどね、動物園にいる一匹一匹ってとても、高いんだよ。飼育員も大事に丁寧に育てているわけさ。それをね、何も考えずに殺しちゃおうとか考えるのはやっぱりどうかと思うよ。いや、こんなことを言いたいわけではないんだ。こっちは被害者だからね。とにかくね、払うもん払ってもらいたいんだ。警察に行くことになるよ、払わなかったら、我々も面倒なんだ、静かに終わらせたいんだよ」


静かに終わった。もちろん私のバイト代ではカバーしきれないほどの金額だった。ペンギンに値段がつけられ、その高額さに茫然として、結局「動物に値段がつけられるっておかしくない?」とか考える余裕はなかった。

彼氏は私の横にいる。電車に揺られ、二度と動物園には行かないと約束した。私を傍に置きつつ、彼は同棲している部屋に帰ってくる頻度が少なくなった。

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