議論をするための前提条件
こんばんわ。
バタバタしていて、こんな時間の更新になりました。
あと52分で今日が終わってしまうので毎日連続投稿が途絶えないようにタイムリミットと戦いながら書き始めてます^^;
さてさて、仕事でもプライベートでも議論することって多々あると思うんですが、どうにも日本人は学校教育の中でディベートみたいな機会がないせいもあってか、議論ができない人が多いようです。
まず議論とは、前提条件として
①相手を言い負かすことではないこと
②勝負ではないこと
③傾聴できること
④人間性批判をしないこと
⑤目的地(ゴール目標)が同じであること
⑥なにを目的とした議論なのかを忘れないこと
⑦感情的にならないこと
ということが共通理解としてないと成立しません。
異なる考えや物の見方を表明、提示し合う中で化学反応が起き、相互理解が生まれ、あらたな着地点を見るかどちらか一方の論に腑が落ちて同意するということで終了します。
言いたいことを言いたいように言い合うものは議論ではなく、ただの一方通行の言い合いです。
理解ができないのは自分の知識や経験の範囲外にある想像できないから受け止められないということもあるわけですから、相手の論について理解するための質問を投げかけたり、まずは相手の論を理解しようと聞く姿勢が欠かせません。
でないと互いにボールを投げつけあっているだけで、双方ともにボールを受け取りませんから、キャッチボールになりませんし、対立構造のままとなります。
議論とは相互理解のための手段です。
語り合わない限り、相手の考えやロジックが分からない限りは平行線のままですよね。
なのでまずは傾聴することが大事です。
ディベートはターン制になっているので、仕組みとして傾聴することになっています。
そして傾聴があるからこそ、相手の意見を冷静に処理して的確な疑問や質問、反論を選択することができ、議論を深めていくことが可能となります。
日本人はどうも民族的な習慣や気質的にもこれが苦手です。
語り合って理解することよりも阿吽の呼吸とか、空気を読むとか、以心伝心とか会話による相互理解ではない手法を重用してきているためです。
おそらくこれは島国で多民族国家(アイヌや琉球などありますが)ではなかったからでしょうね。
そしてどうしても喧嘩腰になってしまい、しまいには相手の容姿や家族のことまで批判しだしてしまうということもあります。
特に子供の時にそういう経験したことがある人はたくさんいるのではないでしょうか?
残念ながら大人になっても、そういうレベルのままの人がいますからそもそも議論ができないという悩みを抱えている上司や部下がたくさんいると思います。
議論は前述した通り、相手があって成立するものなので前提条件が揃っていない相手とはどうにもなりません。
自分だけが前提条件を守っていても相手がそれを守っていなければ成立しなくなるからです。
議論ができないということはずっと自分の考えのみに固執することになり、世界も知見も広がらないので人としての成長機会も失われます。
さまざまな世代、主義主張の人と交わることで新たな知見を得ることができ成長できるのにもったいないですよね。
なので私はまずは傾聴することにしています。
そして、議論ができそうにもない人、その気がない人とわかったら早々に切り上げることにしています。
お互いに得るものはなく、失われるのは時間と心のHPだけなのでw
だったら、忌憚なく議論できる人との交流に時間を充てたいですよね。
一度きりの人生ですし、時間は有限ですから。
井の中の蛙にならないように気をつけています。
それは若造の頃はまさに議論の前提ができていなかったからです^^;
もったいないことをしたなと反省しかありません。
ただ、運の良いことにそんな私に目をかけて関わって下さった諸先輩方がいらっしゃったことで、様々な経験や体験をすることもできましたし、知見に触れることもできました。
また、現在のような考えと至ることもできたので深く感謝しております。
ありがとうございました。
私が歩んだ茨の道をわざわざ歩かないようにお節介にならない範囲で、ご支援することで恩返しをしていっています。
20分で書き上げることができました(ホッ
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