デザイン、IoT、AI......流行りで捉えて見失う本質:100年使えるデザイン論
「デザイン」という言葉が、ビジネスの世界で飛び交っている今、言葉ばかりが先行してその本質が見失われているようにも思えます。前回までの記事では、デザインとは「変化を理解し、適応する行為」であるとの解釈を提示しました。
本連載では、キャリアを通じてデザインの本質を日本へ伝えてきたGOB Incubation Partners(以下、GOB)共同代表の櫻井亮(さくらい・りょう)が、自身の観点からデザインを語ります。
櫻井自身も、社会人向け教育機関「Hyper Island」 でデジタルシフトについての最先端の事例や実践を学んでいます。最近では、日本企業向けにデザインコンサルティング等を提供する「TensorX」を設立。UI/UXプロトタイピングツールを提供するスウェーデンのデザインファーム「TOPP」とも提携するなど、今なお新たなチャレンジを続けています。
*プロフィールや本文は掲載時点での内容です。
前回までの記事はこちら>
あふれるデザイン論に飽きた世代
今の若い人たちは、もうデザインという言葉に飽き飽きしている世代じゃないでしょうか。デザインが大切なのはわかったけど、誰も本質的な話をしてくれないし、デザインって言っておけば格好いいと思っている節を、どこかで感じ取っている。
デザインとは「環境に適応する行為のこと」だと言いましたが、その本質は設計にあります。
デザインと聞くと、見た目の美しさ、色の鮮やかさを想像するかもしれませんが、それはデザインの一要素に過ぎません。それをなぜ美しいと思えるのか、論理的な説明もそこになければいけないし、それがユーザーや消費者にとって意味のあるものではないといけない。
その観点で言うと、美しいけど使い勝手が悪いというのは良いデザインではありません。
デザインの本質にある「設計」——ユーザーの心を動かす仕掛け
では、使い勝手が良いとはなにか? これが設計に込められた意味です。
例えば、配車サービスを提供するUberやGrabは、既存の業界を壊しています。しかしその根幹にあるのは、破壊行為ではなく、3タップでタクシーが来るという使いやすさです。
何も考えずに5分後にタクシーを呼ぶことができて、しかも精算が済んでいるという状況は、ユーザーにとってとても心地が良い。だからこれらのサービスを選択するのです。つまり、彼らはこの心地の良さを設計しており、これこそがデザインの本質だと言えます。
ですから重要になるのは、何をデザインするか、その戦略性です。
日本の20代の60%が赤を好むから、スマホのデザインに赤を取り入れよう。こういう考え方もあるかもしれませんが、ユーザーが求めているものはそこにはありません。統計上、どんなに魅力的なデザインだとしても、使い勝手の悪いインターフェースにユーザーは辟易しているのです。
デザインの本質にある設計とは、ユーザーの心を動かすための仕掛けです。
私は年間100回以上のワークショップを行いますが、ワークショップにはまさにデザインがふんだんに詰め込まれています。
ワークショップをイベントと捉え、盛り上がればOKだと言う人もいるかもしれません。しかし、ワークショップには意図や狙いがあり、目的、ゴールがある。しかも参加者は緊張しながら、期待と不安が入り混じった状態で知らない人の隣に座る。そんな、全くの他人同士がどうやったら2時間後、連絡先を交換するくらい仲良くなれるだろうか、関係性を深めてくれるだろうかと私は考えています。
そのために何を起こすか。これは映画や演劇と一緒で、起承転結がないといけないし、参加者の旅路をデザインしなければいけません。これがワークショップのデザインであり、エクスペリエンスデザインと呼ばれるものです。
世界で、デザイン思考は「読み書きそろばん」と同じ
冒頭で、今の若い世代はデザインに辟易している世代だと指摘しました。
例えば「デザイン思考」という概念。最近では言われすぎて、若干古くさいものにすら感じられるかもしれません。
しかし、世界を見渡すと、デザイン思考が古いのではなくて、“当たり前”になっているのです。そんなことをことさら強調しなくても、みんながUX(ユーザーエクスペリエンス)って言っているし、デザイン思考のアプローチは読み書きそろばんと同じぐらい、感覚としてインストール(自明のものと)されています。私もデザイン思考と言い過ぎていた時期がありましたが、海外では「なぜそんなに強調するの? もちろんデザイン思考は重要だけど、それは当たり前にやることの一つでしょ」といった反応です。
私はデザインを「変化に適応する行為」のことだと言っていますが、認識しておかねばならないのは、世界の人たちはデザイン思考を流行りで捉えてないということです。つまり変化に適応するための必須要素だと思ってるわけです。
IoT、AI、デザイン......「流行り」で捉えて本質を見失う
前回、日本人はインスタントなもの、パッケージ化されたものを好むという話をしました。流行りで捉えるというのも同様です。
例えば、「IoT」。IoTの本質は、センサーを使い、今見えないものを見るという行為にあります。IoTガジェットを使うことがその本質ではないのに、日本ではスマートスピーカーを使うことがIoTだと思っているように感じます。AIもビッグデータも、同じかもしれません。
これらのテクノロジーの誕生で、何が変わるのか、我々の生活、我々の企業戦略のどこに利益があり、どこに弊害があるのかを理解することが重要です。
私が強く提示したいのは、流行りの言葉やインスタントに流れてくるものがたくさんあるけど、その中で少なくともこの先5年から10年を見た時に、変わらない真理や環境に適応するための原理原則があるということ。それが一体何なのかをよくよく考えながら情報を掴まえてもらいたいのです。
さらに言えば、流行りにだってなぜ流行ったか、その理由があるはずで、その意味を解釈しないまま新しいものを探しても自身の変化は望めません。
日本人は、学びの姿勢が不誠実
常に新しいものを欲しがっていると、消費者側に回ってしまうのです。これは世界から見れば、言い方は悪いですが格好の“カモ”。デザイン思考と言っておけばお金を払ってくれるマーケットに成り下がってしまいます。
もちろん消費者側の目線も大切ですが、もし自分が何か新しいことを創造したいとか、新しい価値を発揮したいと思うのであれば、生産する側、価値創造する側になってください。そのためにも環境よく見なければなりません。
もう一つ付け加えるなら、二次情報や三次情報を鵜呑みにしないでほしいのです。「デザイン思考」を学びたいなら、日本に来ている情報をすっ飛ばして、シリコンバレーに行き、トム・ケリー(デザインファーム「IDEO」の共同創業者)に会いに行ったっていいんです。
一次情報もしくはそれに近い“本物”から、直接学びを得てください。その点で日本人は学びに対して少し不誠実に思えてしまいます。学ぶことへの姿勢を、もう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。
最終回に続く>