デザインとは、変化を理解し適応することだ:100年使えるデザイン論
「デザイン」という言葉が、ビジネスの世界で飛び交っています。現在でこそデザインの重要性が当然のように語られますが、数年前まで、日本のビジネス文脈でデザインが語られることはほとんどありませんでした。
こうした変化を前向きに捉えることができる一方で、デザインが流行として扱われ、言葉ばかりが先行。その本質が見失われているようにも思えます。
GOB Incubation Partners(以下、GOB)共同代表の櫻井亮(さくらい・りょう)はこれまでのキャリアを通じて、デザインの本質を日本へ伝えてきました。また、自らも社会人向け教育機関「Hyper Island」 でデジタルシフトについての最先端の事例や実践を学んでいます。最近では、日本企業向けにデザインコンサルティング等を提供する「TensorX」を設立。UI/UXプロトタイピングツールを提供するスウェーデンのデザインファーム「TOPP」とも提携するなど、今なお新たなチャレンジを続けています。
*プロフィールや本文は掲載時点での内容です。
「デザイン」への接触——デンマークのデザインファーム「Designit」日本法人立ち上げなど
新卒で日本ヒューレット・パッカード(現・日本hp)に入社してから、2014年にGOBを創業するまでのキャリアの中で、私はさまざまな角度から「デザイン」というものに関わってきました。
2007年から所属したNTTデータ経営研究所では、NTTデータの山下徹社長(当時)のプロジェクトに参画し、デザイン思考やダイアログ(対話)、参加型デザインのためのリビングラボを日本に紹介、実践するための取り組みを始めていました。世界10ヶ国のさまざまなデザインファームを訪問する機会もありました。
今から10年以上も前から、デザインに触れていたことになります。
また、2013年には、デンマーク発祥のザインファームDesignitの日本法人「Designit Tokyo」の立ち上げを行い初代代表取締役に就任し、日本企業に向けてデザイン経営の市場牽引に尽力してきました。
ではキャリアを通じて私がそれほどまでに力を傾ける「デザイン」とは一体何なのだ、ということをお伝えしたいのですが、その一歩手前として、なぜ私がデザインに注目し続けているのかをお話しします。
まず大前提として、「日本のモデルは古い」という話から始めましょう。
「24時間戦えますか」に見る、当時の日本
日本のあらゆるものが20年前で、いやもしかしたら30年前から止まってしまっています。
ある挑戦者の人たちは、それを新しくしようと試行錯誤を続けていますが、まだまだ日本全体が大きく変革している感覚を私は持っていません。皆さんはどう感じているでしょうか?
私が小学生の頃、 リゲインという栄養ドリンクのCMがテレビで流れていました。キャッチコピーは「24時間戦えますか」。
このCMが描いていたのは、当時の国際ビジネスを行う商社マンたちです。日本という小さな国から、海外を飛び回り、世界を動かすような提案を持っていく。そういうストーリーでした。
今なら、解釈を間違えると24時間働き続けるブラック企業の話に見えるかもしれませんが、実はそうではありません。
寝る間を惜しんででも、世界に向かって自分たちがやろうと思っていること、その熱意を伝える。当時の日本という、小さくて、吹けば飛ぶような影響力しかない場所から世界を動かそうとする大きな野望や野心、夢がそこに凝縮されていたように、私には思えます。
バブル崩壊から、日本を覆う“くもり空”
当時の経済はものすごく上向いていて、静岡県浜松市の田舎にいた私も小学生ながらそれを肌で感じていました。いわゆる「バブル」です。上向いていたとも言えるし、日本全体が浮き足立っていたとも言えるかもしれない。
バブルを引き起こした要因はさまざまで、良いことばかりではありません。それでも、経済が上向いているという楽観的なワクワクや大人たちの熱量を、確かに感じていたんです。私も早くそういう大人になりたいなと思っていました。
ところが、バブルが崩壊。以来、日本はずっと停滞しています。“くもっている”と言えば良いでしょうか。
そんな中で、私も若者時代を過ごし、中堅を経て、今では人を雇う立場になりました。しかし、若い人たちが、いや同じ世代の人たちでさえ元気に働けていないような気がするんです。
私は仕事柄、とにかくよく海外へ行っています。そこには、非常に野心的で、エネルギッシュに働く若者、それを応援する大人や組織、自分のスタイルを持った“かっこいい”人たちが大勢います。そのたびに、日本のみんなもこういう風に働けたらと思うのです。
適応する者が、生き残る。
新卒で入社した日本ヒューレット・パッカードで学んだのは「強いものが生き残るのではない。適応する人間、会社こそが次の世界で生き延びていく」ということでした。
ダーウィニズムにも通じるところで、種(しゅ)を次につなげていくには、環境に適応しなければいけないんだというのを、すごく大きな衝撃を持って受け取りました。
日本の企業はその規模に関わらず、変化に適応しなければいけません。今強い力を持っている人や企業が5年後、10年後にそのポジションを保っていられるは分からないという前提で動かなくてはいけないのです。
一方で、私たちが公教育で言われてきたことはその逆を行っています。
「結果を出しなさい。さらに言えば各学期ごとでしっかりと結果を出しなさい」「弱点をなくし、バランスよく全体の点数を上げなさい」
こんなことをどこかで期待されてきたはずです。学校に限らず、卒業したあとの会社でも同じだと思います。
ところが「四半期経営」ということを言い出した管理主体の企業が多い欧米ですら、もう10年前か下手すると20年前から企業変革の必要性に気付きはじめています。会社のKPIやゴール設定など、四半期の業績判断のみで経営を行うのは違うんじゃないか、もっと別の形で会社を成長させないといけないのではないか。そうした危機感のもと、変革のチャレンジを続けているのです。
「デザイン」=環境の変化を理解し、適応すること
では日本に目を移した時、20年前の経営スタイルからどれだけ環境に適応してその形を変えてきたでしょうか。国のレベルでもそうです。国家のあり方を、変化に適応させる形で変えてこれたのでしょうか。
そう考えると、公教育の仕組み、交通の仕組み、税金の仕組み......会社に目を向ければ、意思決定の仕組み、働き方、休み方、入社の時期や人事異動の仕組み……変えられていないんじゃないか、足りないんじゃないかと思うわけです。
環境に適応するためにもっとも重要なキーワードが「周りを見ること」。
環境がどのように変わっているのかを理解し、それに適応していく行為。私自身はこれを広義に解釈して「デザイン」と呼んでいます。
デザインするためには、ユーザーやステークホルダーたちが何を求めているのか、何を経験したいと思っているのか、そういうものを理解しなければいけません。
この営みを、エクスペリエンスデザインやサービスデザインなどさまざまな言葉で表しますが、とにかく今持っているものを疑い、環境に適応するために、変化するために、何が最善の方法なのかを考えることこそが必要なのではないかと考えています。
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