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【経営とビジネスのための勉強法】知識の粘性(ネバネバ)について

知識には粘性(ネバネバ)の度合いがあるように思います。

どういうことかといいますと、例えば歴史の勉強をするときに

①・歴史的事象の羅列

②・歴史的事象と年号の羅列

③・歴史的事象と年号と因果関係をつなげる

④・歴史的事象と年号と因果関係をつなげて、その時代背景の小説を読む

⑤・出来事と年号と因果関係をつなげて、その時代背景の小説を読んで、その舞台となった場所への旅をする

上の①~⑤で、どれが一番自分自身に知識、知恵として定着すると思いますか?

おそらく皆さんは⑤と回答されるのではないかと思うのです。それは、同じ歴史的事象という情報でも、その歴史的事象に年号という時系列のつながり、因果関係のつながり、小説のストーリーとのつながり、関連エリアへの旅によるつながり、によって最高にネバネバした状態になります。


知識の粘性・ネバネバとは?

知識の粘性・ネバネバについて、私なりの表現ではあるのですが、実践的な勉強をするときや人材教育の現場などではこの考えと表現を大切にしています。

脳のシナプスの構造と同じで、一つ一つが粒である知識や情報を、なるべく多くのものとつなげるとその知識・情報が粘性・ネバネバをもって自分自身に定着していくということなのだと思うのです。

それぞれの知識、情報、思考の粒のつながりに、少しづつのネバネバがくっついていて、そのネバネバの相互接点が多くなればなるほど、個別の知識、情報、思考の粒は自分から離れなくなってくる、ということなのではないかと思うのです。

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この知識のネバネバレベルっていうところの①から⑤の部分について、どのようにしてレベルを上げていくかというとやはり何かの目的意識を持って情報に触れてそれを磨いていく(というかネバネバさせていく)ということなのではないかと思います。

例えば歴史上の出来事についても、誰かにそれを説明する必要があるというような状況であったり、歴史上の人物を教訓として自らが成長したいという強い意識を持っていたり、そのような何か具体的なアウトプットへの必要性があってこそ知識の粘性を高めようとするのではないでしょうか。


経営や人材教育において

経営においても、幹部教育や社員教育を行う際に実践的にその教育の効果を発揮するためには、皆さんがどの程度の知識の粘性を持つことによってそれが教育された知識や考え方を実践で活用出来るようになるのかということを考えていく必要があります。

その知識をテストなどで反復するということも1つでしょうが、ストーリーや背景なども含めて1つの知識や考え方の粒に対して様々な要素と絡み合わせて何かを実践すること、その実践の繰り返しによってそれらの知識や考え方の粘性が増して実践に足るようなものになっていくのだと考えます。

何かに到達するため、または何かのアクションをしたいためにそれらの知識を活用するということです。


旅とリアルの世界についての思い

今はコロナ禍の中で、都道府県をまたいだ移動が自粛される状況ですが、できれば歴史やその他の出来事についてはその現場に行って空気を感じて単なる出来事や知識だけではなくその背景やストーリーを知った方がより粘性の高い自分事として話せる生きた知恵に発展していくということだと思います。

海外旅行などに行く時も、歴史的な背景を知って行くのと行かないのではだいぶ喜びが違います。

私も若い頃は、たいした歴史の知識もなく地理的な知識もなくいくつかの国をバックパッカーとして歩いてきましたが、非常にもったいないことをしたなと思います。今の時代であればWi-Fiなどのネットワークを駆使して現地で現地の歴史をその場で学ぶこともできます。
昔は紙の本しかなかったので、地球の歩き方以外を持ち運ぶ気になれませんでしたが今では電子書籍によって山ほどの情報を持って旅に出ることもできます。(以下、電子書籍と紙の本を比較した記事です。紙の本も捨てがたい。。)

私は内向的な人間なので、本を読むことが非常に好きです。バックパッカーの時も本を読みながら旅ができればどれだけ良かったかと思います。
ただ、新聞や本やデジタルの情報に触れない空白の思考の時間というのも今となっては必要なのだとも思います。情報浴びるだけではなく、様々な情報や思考を浴びた後に空白の時間を設けるということも思考を熟成させるという意味において非常に重要であると思うからです。

学生の時の学びは、時間的にもお金にも制約があるのでなかなか知識の粘性を高めるような勉強の仕方ができませんが、社会に出て自分自身の責任で行動ができるようになった状況であれば知識の粘性を意識したダイナミックな活動もできるでしょう。
もっとも今はコロナ禍の中で行動が制限されていますが、このような旅や現場の魅力、リアルな行動の魅力というものを思うにつれ、やはりアフターコロナの時代もデジタル中心の世の中にはならないと思うのです。
人間は本能からリアルな世界を渇望することになると思うのです。社会は結局社会を構成する人々が心から何を求めるかによって構成されていくはずです。

生産性を高めるために合理的なものだけデジタルに置き換わり、本当の喜びを享受するという場面においてはまだまだリアルの世界が優先することになるのだと思います。コロナ禍の影響で人の集中により生産性を高めていた社会がリアルにおいては分散化され、ある程度魅力的な地方への人の分散が始まることも想定されます。そうすると結果としてリアルな世界から得られる魅力がさらに増していくことが考えられるのです。

知識の粘性、ネバネバの話からずいぶん社会的な話になってしまいましたが、私はコロナ禍の渦中においてもリアルな世界の魅力を信じます。そのためにも、この中の渦中においてアフターコロナの時代に生き残る価値のある魅力的なリアルを提供してくれる会社さんを支援したいと思います。

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