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当たり前だけど、難しいこと

私にとっての常識だったり、当たり前だと思っていることでも、他人から見ると当たり前じゃなかったり、常識の範囲外だったりすることって結構あります。

人それぞれ違うこと

人それぞれ育った時代も違えば環境も違うし、影響を受けた事象や出来事も人それぞれです。価値観が違います。

おじいさんとインドの牛車

私も以前インドを一人で旅行していた時に、驚いた光景を目の当たりにしました。

多くの人が行き来する路上で、ガリガリのおじいさんがフラフラになりながら歩いていた時の事。
かなり幅のある木製の荷台を積んだ牛車が、大きな荷物を運んでいました。牛を操っていたのは比較的若そうな青年です。
多くの人が行き交っていたので、すれ違う時にみんな荷台の間を潜ったり、屈んだりしながら牛車の通行を妨げないようにしていたのですが、そのガリガリのおじいさんはフラフラだったこともあって、避けきれずに左肩から喉あたりにガッツリぶつかって、「ドゴッ」という音と一緒に3-4mぐらいふっ飛ばされました。

見た限りでは、かなり大怪我してそうでしたが、その瞬間牛車に乗っていた若そうな青年が、そのおじいさんを怒鳴りあげました。そして飛ばされたおじいさんは申し訳無さそうにsorry,sorryと謝っている。
どう考えても私の「当たり前」とは逆で、飛ばされたおじいさんが完全に悪い方になっていました。その時は「これがカースト制度か」とも思ったのですが、それ以降もインドでは、人がぶつかったり、車の割り込みなど様々なケースで、逆転している様子が目につくようになりました。

価値観や考え方の違い

これは極端な例ですが、文化や宗教、暮らしが違えば、常識や当たり前の範囲が全く重ならないことがあって、それは同じ日本人で同じ世代に育った人同士でも常識や考え、当たり前の範囲がズレていることがあるんだと強く認識をしました。

それが「価値観や考え方の違い」で、私たち皆それぞれ違っています。

そう、この事自体は単純で皆分かってはいるけど、、

日常の中で、この事を理解して、理解した上で建設的な行動出来ている人は結構少ない、私も含めです。
みんな自分が主人公として、精一杯自分を生きています。だからこそ自分が知っている、見えている範囲で物事を解釈してしまうものだと思います。

今思えば、おじいさんとインドの牛車も、私がヒンズー語を話せて青年とおじいさんから話を聞いたら、「そういうことか!」や「僕が違う解釈をしてたんだ」ということに気づき、「単なる勘違いだったという事実や、人との考え方の違いを知れる機会」だったのかもしれない。

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