【本紹介】私は男でフェミニストです(著:チェ・スンボム 訳:金みんじょん)
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『私は男でフェミニストです』(著:チェ・スンボム 訳:金みんじょん)
概要
韓国で男子高校の教師をしている筆者が体験した、家庭環境から現在に至るまでのフェミニズム的な生き方を巡る葛藤や試みを書いている。全女性への応援と同時に、男性への呼びかけも大きく、ジェンダー問わず色々な人におすすめしたい。
印象に残った文章
プロローグ
幼少期から男性としての生きづらさに日々感じていた筆者の違和感を表現した文章。
この生きづらさは日本以外でも同じなんだということを目の当たりにさせられた。
まず、女性の生きづらさは経済力など色々な観点で定量的に説明され世界的に克服すべき目標の一つとして扱われるが、男性の生きづらさがフォーカスされることはあまりないように思う。触れたことがあっても例えば、日本人男性の幸福度は世界の統計からみてかなり低い…というような内容や、「おっさん」という言葉に代表されるように、壮年男性が誰からも顧みられない存在というように認識している程度だと思う。構造的強者故にフォーカスされづらい男性の生きづらさが、このように率直に表現される文章を読んだのがほぼ初めてかもしれず、驚いた。
また、就職して働き始めてから、体育会系文化の社風に馴染もう・適応しようとした結果、自分自身がこのような「男性的」な思考を内面化しつつあることを日々感じている。新しく人と会うときどちらが上なのかを気にしたり、相手を上として立てながら自分の意見を言うのに苦慮したり…、「社会人ならそういうコミュニケーションが出来て当たり前だよね」という上下関係に素早く適応できない人は価値がないと、自己肯定感を削らせたりしていた自分を重ねて読んでしまった。
男ばかりの集団で発言すべき理由
この文章も色々なことを考えずにはいられない文章である。
フェミニズムを訴える女性がモンスターのように扱われるのは、国に依らないのだなと感じた。ただこれは、フェミニズムを訴える側、モンスターのように扱う側、どちらの気持ちも想像できる。
周囲の男性から性加害を受けたり、そういった物理的な暴力でなくても、生活の中で周囲の男性から「意欲の冷却効果」と言われるような呪いの言葉を書けら続けたり、それが「おかしいことなのだ」と一度気付いてしまったらもう後戻りはできない。どれだけおかしいと訴えても周囲からは理解されない、理解されないから更に声高になる、口調が激しくなる、というサイクルが始まってしまう。そういった女性の苦しみは私も経験したことがあり、想像できる。
一方で、目の前の人に直接危害を加えたわけではないのに、社会や自分の属性への憎悪をぶつけられたら、人は驚き謝罪を強要されているような気持ちになるのではないだろうか。これは私自身もそうである。今現在不利益を受けている「女性」という属性については非常に敏感にであるが、同じジェンダーに関わる問題の中で、男性、LGBTQ等については不勉強だし、「そうだったんですね、気付いてなくて、知らなくてごめんなさい。これから気を付けます。」としか言えないと思う。
次に、男性のフェミニストは自分を協力者として位置付けようというのは、分かるようでいまいち納得できていない。頭ではそうだと思う。何がもやっているのか、言葉に出来ない。1つ言えるのは、その属性を持つ人しか、当事者しか、その問題を解決する主体にはなれないのか?ということかもしれない。
上野千鶴子先生の解説にこのような文章がある。
この文章もとても身につまされる。私は女性というジェンダーで、ジェンダーに関しては本当に問題を解決したいという気持ちが強いので、周囲の人に対して傍観者や共犯者だというように感じたこともある。ただ、それ以外の問題に関しては傍観者で共犯者である。そもそも傍観者で共犯者であることにすら気付いていない問題がたくさんあることに、罪悪感を感じる気持ちもある。その反面、周囲の男性に対して、フェミニズムに疎いことに対して罪悪感を感じてほしいと思うこともある。でも、フェミニズムに関しては、人を罪悪感で縛るのは少し違うような気もする。
あとは、男性は男性の話を聞くというのは、経験的にそうだと思う。なんでかなあ…悲しいけど、女性の意見は聞くに値せず、軽く扱われているということなのだろう。意見が軽いというのは、意見を生み出す心・頭の軽さ、命の軽さとも取れると思う。
読後会をしたい
この本は、男性を交えて読後会をしたい。出来れば、あまりフェミニズムに関心がない男性に読んでもらい、意見を交換したい。フェミニズムに関心がある男性はスムーズに意思疎通出来てしまう気がする。I&Dの観点で、職場で意見交換などをしてみたい。
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