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博士がゆく 第2話「おつかれさま」

目を開けると蛍光灯の光がまぶしくて顔をそむけた。変な態勢で仮眠をとっていたからか、体中がいたい。時計の針は3時を示している。外はもちろん真っ暗だ。

ウェスタンブロッティングの抗原抗体反応が終わるまであと3分。

「そろそろ準備するか」

博士(ひろし)は自分の愚策のツケを払いながらからだを起こす。

「実験机の上で寝るもんじゃないな」

もちろん仮眠用のベッドなどない。人が横になれるほどの大きな実験机が研究室にあるため、その上をきれいにして寝ていたが、床とどちらが汚いかという問いに答えられる気はしない。

慣れた手つきでChemiluminescence用の試薬を混合し、Pipettmanで1mL吸い取り、メンブレンにかける。メンブレンをステージに乗せて扉を閉める。カメラの感度を標準に、露光を1分に設定して撮影を開始した。ウェスタンブロッティングの工程で一番緊張するのがこの時間だ。工程全体で5~6時間かかるため、失敗したらこの工程を再度行うと考えただけでぞっとする。パソコンの画面が結果を表示する。

メンブレンは真っ白。

失敗だ。

「は?」

「なんで?」

深夜3時まで起きている人間に自分の怒りはコントロールできない。

「あー---------っ!もう!」

誰もいないことをいいことに大声を出してみるが、怒りは収まらないし、結果は変わらない。

ふぅ。

少し落ち着いた博士はとりあえず結果を保存しようとマウスを握ろうとした。

「ん?」

ふと視界に青いぷよぷよとした何かが映った気がした。手元をもう一度確認すると、あいつがいた。

「こんばんは」

「またお前か」

博士はウェスタンが失敗したことで、明日以降の実験プランを頭の中で練り直していた。今週も週末はなさそうだ。はぁ、と息を吐いたら青いぷよぷよが言った。

「おつかれさま」

「君はよく頑張っているよ」

「はは。結果は出ないけどね」

ねぎらいの言葉をかけられたのなんていつぶりだろう。

努力をするのは当たり前。
朝から晩まで実験して一人前。
もちろん週末なんてない。
報酬も出ない。

研究室に配属されてからそんなことばかりだったが、まさかこんなぷよぷよにねぎらいの言葉をかけられるなんて思いもしなかった。

「最初は誰だってそんなものさ」

ぷよぷよは続ける。

「最初から結果を出せるのは、よっぽどの天才か、結果が出ると分かってやっている実験をしている人だけだよ」

「まずは失敗を重ねるしかないんだ」

「1万回失敗しても、1万1回目に成功すれば君の勝ちだ」

「それを君の指導教員もわかっているよ」

博士は半信半疑だったが、思い返してみれば指導教員に失敗をとがめられた記憶はない。毎回失敗した結果を見せに行くたびに、どこで失敗したのか、次はどうすればいいのかを淡々と説明される。それはそれでツラいのだが。

「失敗から学び続けるしかないってことか」

「うん!その通りだね!」

「とりあえず今日の教訓は、実験机の上で寝ると、からだが悲鳴を上げるってことだな」

夜遅くまで実験を続けるのも考え物だが、日中授業や実習がある博士に選択肢はない。ウェスタンをどこかで中断できるといいのだが。

「途中で中断したらいいんじゃないかい?」

「そんなことできるのか?」

「うん。ゲルからメンブレンに移すトランスファーの工程を一晩かけてもいいし、トランスファーのあとのブロッキングを冷蔵庫で一晩かけてもいいんだよ」

「抗原抗体反応は、抗体ごとに適切な反応時間が定められているけれど、場合によっては一晩おいた方がいい結果を得られることもあるんだ」

「知らなかったな…」

「ひろし君はもう少し手を抜くことを覚えた方がよさそうだね」

確かにそうかもしれない。時間をかけることだけが努力だと思いこんでいた。とにかく今日は帰って寝よう。

今日の実験データが保存できていることを確認してパソコンの電源を落とす。手早く荷物をまとめて研究室を後にするとき、ふとあの青いぷよぷよのことを思い出したが、早くシャワーを浴びでベッドに入りたい。博士は入口を閉めて帰路についた。

「ひ~。はさまっちゃった~。」

博士のマウスの動きに押されて、机と机の間にはさまってしまった細胞くん。次回はどんな悩みを解決してくれるかな?

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