#1「料理人生の始まりと終わり」
どうも、ガンガンです!
記念すべき第1話です。
高校時代の話からすると、多分かなり長くなるので、
専門学校入学からの話をしていきます。
それではいきましょう!
憧れの調理師学校へ
高校卒業後、田舎を飛び出して大阪で一人暮らしをスタート!
料理の東大と言われる、『辻調理師専門学校』へ入学。
ここから2年間料理を基礎から学ぶ日々が始まる。
在学中から、もう修行のような日々でした。
学校が終わったら、現場経験を積むためにみんなバイトです。
僕もイタリアンチェーンやミシュラン星付き店で、アウトプット&インプットをしていました。
在学中はもうほんとに勉強しまくりました。
テスト前には課題の料理を1週間前から試作しまくって、それしか食べない週があったり。
味覚を研ぎ澄ませるために、「お菓子」「ファストフード」「冷凍食品」「ジュース」などを禁止。
自分でもかなりストイックにしていたなとw
結果として、実技は2年間通してオール満点!
卒業時には成績は校内2位でしたね。
食戟のソーマなら十傑入りですわ!!🤣
2年生の時には、自分のクラスの授業を受けずに、教授の助手として教壇に立ったりと。
なかなかレアな経験も多くさせていただきました。
当時は「なんで俺が・・・」みたいに自信がなかったですけど、師匠はそれを見越して、期待してくれてまかしてくれていたんだなと、愛を感じましたね。
そんな専門時代を過ごし、卒業して本格的な修行がスタート!
修行の日々の始まり
国内屈指のリゾートホテル企業に就職。
配属先は『高原野菜とワイン』がテーマのイタリアンがある施設。
修行の日々が始まります。
予想外の展開!?
配属先はまさかの2ヶ所あり、僕の希望はコース料理を出す『メインダイニング』。
だがしかし、僕の配属はバイキング形式の『ブッフェレストラン』。
「なんてこった…高原野菜とワインのマリアージュを学びにきたのに…」
しばらく落ち込みましたが、そんなことも言ってられません。
施設がリニューアルするタイミングで入社したため、業務も新しく組み直すとのこと。
これに関しては自分の意見も反映されるし、やりやすかったですね。
僕の担当は前菜!
ここで僕はひとつの目標を立てました。
「結果を出して、3年以内にメインダイニングへ異動する。」
そう決心して日々前菜を作りました。
いつしかエースと呼ばれるようになり、やりがいしかなかった。
え?いきなり!?!?!
その日は突然訪れました。
ある日総料理長に呼び出され、とある話をしました。
「メインダイニングに欠員が出たから、来てくれないか?」
心の声(え!?早くないすか!!!???!?)
いきなりのチャンス到来に動揺しましたが、目標を早くも達成!
ここからまた新たな日々が始まります!!!!
その夜、母に電話して、泣きながら「頑張る」と伝えたのも覚えています。
いよいよ本領発揮
やっと専門時代に磨いた技術を披露できるチャンスが巡ってきた。
ここからはこの厨房で頭角を表してやる!と意気込み、新たな気持ちでリスタート。
配属はまさかの『メイン料理」。
そこはコース料理の魚料理と肉料理を担当するチームで、
料理長と5年目の先輩、3年目の先輩、僕を含めた4人チーム。
最初は3年目の先輩について1ヶ月サポートをしながら仕事を覚えました。
そして、1ヶ月後に総料理長から一言
「焼き場やってみ?」
※焼き場は肉や魚を焼くポジション
心の声(え!!??俺まだ入社して3ヶ月やし、ここきて1ヶ月ですよ!?!!)
いきなりの無茶振り?にかなり動揺しました。
でも、僕には辻調で学んだ技術があり、テストには一発合格。
なんなら、先輩たちより上手く焼けてるとベタ褒め。
辻調のカリキュラムには、本当に感謝しかない。
開業からいる総料理長曰く、こんな偉業は前例がないとのこと。
なんかやべーことしてたみたいですわ(必死すぎて無自覚。
そこから営業中は焼き場を担当することになり、総料理長にも期待され、やりがいしかなかった。
降りかかる重責
ちょっと待ってくれ!!!
その日は突然訪れました。
ウエディングの宴会部門に欠員が発生し、3年目の先輩が異動。
僕の所属するチームは3名体制に。
ここから地獄の日々が始まりました。
その人の分の仕事は、下っ端である僕に必然的にのし掛かります。
毎日100名を超えるコース料理の仕込み。
切り出す野菜の数は数千〜数万個、焼く野菜や肉や魚は数百個。
(どう頑張っても終わらない)
終わらない仕込み作業に、慣れない発注作業。
営業中は責任の大きい焼き場担当。
自覚してないうちに、体はどんどん蝕まれていきました。
早めに行って仕込みをスタートして、なんとか終わらせる。
発注業務は休憩中にやればなんとかなる。
色々工夫したが、蓄積する肉体と精神疲労。
次第に、オーブンの野菜を忘れて焦がしたりというミスを連発するように。
明らかに以前の自分ならしないミス。
(俺やばいかもしれん)
次第に食欲もなくなり、
コンビニの6本入りのスティックパン1本しか食べれない程に。
夜は眠れず、夢を見ると仕事をしている。
気づけば朝になり、ロボットのように仕事へ。
いつしか「死にたい」と思うようになった。
出勤の時、歩道のない道路を歩きながら
(誰か轢いてくれ)
そう思いながら歩いていた僕は、気づけば道路の真ん中まで乗り出していたそう。
その時助けてくれた同期には感謝しても仕切れない。
まさか俺が?
その日は流石に会社にも話が回って、近くの病院へ。
診察はすんなり終わった。
医者からの一言は
「うつ病です。」
嘘だろ?この俺がうつ病?
正直信じられなかったが、これがうつ病かと腑に落ちるところもあった。
すぐさま母に電話し、
「ごめん、うつ病になった」
泣きながらこう言ったのを今でも覚えている。
4年制の大学と同じ学費を2年間の専門学校時代に使ってくれて、夢を応援してくれた両親に、ただただ申し訳なかった。
そして、実家に戻り療養することに。
家に帰ると、母からの最初の一言はこうだった
「おかえりなさい」
その言葉の温かさに涙が止まらなかった。
無条件に帰れる場所を作ってくれていることに、心から感謝した。
そこからひたすら心を休めることに。
体は明らかにおかしく、冷蔵庫や食材を見るだけで過呼吸に。
ストレスによる耳鳴り。睡眠薬で寝ても夢に見る厨房。
本当に辛い日々だった。
最初は3ヶ月だけ休むつもりだったが、戻るのがやっぱり怖くて
半年以上休んだ結果退職を決意。
これを最後に、僕の料理人人生は幕を閉じました。
後悔
当時の僕は、周りに頼ることは甘えだ。迷惑がかかる。と思っていて、
全て自分の力で解決しようとしていた。
典型的な完璧主義で責任感の塊。
今思えば、そりゃ潰れるわなって感じですねw
ここで自分の限界を知れたのは、後の人生にとって大きな経験になりました。
終わりに
ここまで長々と話しましたが、とても壮絶な日々でした。
「専門学校〜就職〜うつ病による退職」までを綴りました。
次回は療養明けの話からしたいと思います。
では一旦終わりです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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