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今のところ「平成=人生」なんですけど?

新元号、と言われても、平成生まれのわたしは平成しか生きたことがない。
元号が変わるときいたときは椎名林檎ばりに「あたしが古くなるじゃない」と思ったし、こないだだって昭和生まれの人が「3つも元号を経験するんだぜ」とジャブを打ってきたら「まじもんの爺さん婆さんじゃないですか!そんなのわたしからしたら大正生まれと一緒ですよ!」で対抗した。
ちょっとの焦りと、ちょっとのドキドキ。

私が生まれてから世に出た曲は、みんな平成をかざった曲だ。
つまり、 #平成をかざるプレイリスト は私の人生に触れた曲だ
そんな強引なスタンスでこのタグに参加します。

そもそも元号、ましてや「平成」という言葉は日本人以外は気にしていないちっぽけな記号のはずだ。
にも関わらず、「元号変更」は予定された事実になることによって、日本人というだけで全員が共有できる30年ぶりの一大イベントとなった。こんなところでナショナリズムに出会うなんて。

このお題はきっと多くの人にとって、邦楽洋楽問わず織り交ざるのだろうけど、せっかく「日本だけ」の元号イベントなので今回は邦楽に絞ってみました。

ほい!


1. ジェニーハイ「ランデブーに逃避行」

いきなり2018年にリリースされた新しい曲をピックアップ。これを最初に聞いたとき、「平成ってまさにこれ!」と思ったんですよ。特にこの歌詞。

やりたいことやらなきゃ死ねない
ジョブズみたいにならなきゃ
何か発明しなきゃ
歴史に残らなきゃなのに
昼まで寝ちゃった

「平成を総括する1曲を選べ」というお題があったなら、迷わずこれを選ぶ!と思って持ってきました。
ぼんやり焦ってはいるけど全然行動が伴ってない。でもそんな自分のこと、嫌いじゃない。


2. 矢井田瞳「My Sweet Darlin'」

両親からクラシックを中心に聞かされていた私が、人生で初めて能動的に音楽を求めるようになったきっかけの曲。
出会いは歌番組「MUSIC STATION」。
ちりちりパーマに黒のタンクトップ、ぴちぴちのピンクのパンツに裸足で歌うヤイコちゃんの姿に、雷に打たれたみたいな衝撃を受けました。
そのとき、わたし9歳頃。それから今(28歳)に至るまで、好き。何があっても一番好きな人。


3. ELLEGARDEN「Space Sonic」

これもテレビ番組「CDTV」で5秒くらい流れたPVで虜に。
当時中学3年生。この5秒をきっかけに、私の高校3年間は見事に邦ロック浸けになりました。俗にいう「ロキノンヲタ」。今だったら「ロキノン厨」の方が伝わるかもしれませんね。
見た目を重視する年頃にも関わらず、洋服を買うよりもCDと音楽雑誌とライブ参加とライブ会場で販売されるグッズに費やしていました。
この曲に出会わなかったら、オルタナティブ・ロックが大好きな自分に気づけないまま、つまらない日々を送っていたと思う。
あのとき出会ってくれて、本当にありがとう。


4. チャットモンチー「恋愛スピリッツ」

平成最後の年に解散した、チャットモンチー。
田舎から出てきて、バンドドリームを瞬く間に叶えた3人組。
こんなに派手じゃないルックスの女の子スターがいるんだ。なれるんだ。
どう頑張っても美人枠に入れない高校生のわたしに夢を見せてくれたバンドでした。
チャットモンチーの曲を聴くと、いまだってスターを夢見る女の子に一瞬で戻る。


5. School Food Punishment 「in bloom」

恋愛スピリッツで少女漫画心が立ち上がったのでこの曲をここに挟みました。
School Food Punishmentのボーカルの子の声が、めちゃめちゃ女の子!って感じで好きなのですよ。
好きになって、付き合う前の「ひとりで勝手に盛り上がっちゃう」ハイテンションの時は自分の中でひとり「女の子感」が爆上がりしている時にぴったり。
特にこの曲は今の夫と付き合い始める前に一番ノリノリで聴いていました。付き合ってから、彼もSchool Food Punishmentの別のアルバムをiPodにいれてたことがわかった日は、彼への好きレベルが爆上がりしました。同じ心情で同じ曲を聴いていたわけじゃないのに。
ちっぽけで、わたしだけのきらきらした思い出。


6. GLIM SPANKY 「焦燥」

勝手に恩義を感じている大切なバンド。
何が恩かというと、中高で一番仲良くしてた後輩のひとりが人生で初めて自主開催した2011年のイベントに出てくれたんです。
運悪くイベント直前に 2011/3/11の東日本大震災が起こり、世の中は自粛ムード。
周りの反対を押し切って、開催を決行した後輩の想いに応えて出演してくれていました。
2011年当時は全くメジャーではなかったし、私自身、そのイベントで初めてライブを観たレベル。
当時音源リリースも(多分)してなくて、そのイベント以降音源を聴くことはありませんでした。
それなのに何年か後に別の場所で偶然聴いて、すぐに「あのバンドだ!」と気付けました。
それだけ光っている、希少な2人だと思っています。


7. 岡崎体育「MUSIC VIDEO」

EDMにすっかり押され、ロックは流行らないとして絶望していた2010年代に現れたスター。
この曲のMVが良いのは言わずもがなですが、個人的に彼がすごいなと思うのは、
「さいたまスーパーアリーナでワンマンライブがしたい」と「自分の夢」を言い続けていたこと。もちろん2019年実現が予定されているし、チケットは即日完売した。


「叶えたいことは口に出さなきゃダメだ」とたくさんの偉人が言ってきた。でも、それを実際に公共の場で口にし続けてきたミュージシャンを、私は彼以外に知らない。
彼は夢を語ることの大切さを、これまでも、これからも教えてくれている。


8. DAOKO「Shibuya K」

初めて恋い焦がれた年下の人。
この曲の途中にあるこの歌詞にやられました。

街にもキミにも思い出を重ね
『エモい』で終わりじゃダサいしな


このエモさたっぷりの歌詞をこんなに突き放す歌い方をするのか!!!!
自分とのセンスの差に打ちのめされすぎて「こんな人が同い年で世に出ていたら嫉妬で狂ってしまう」と本気で思いました。私が学生の時に出会わなくて良かったと思う。そんなことになっていたら、本気で追いかけすぎて、今のわたしのような生活は送っていなかったんじゃないかと心配する。どちらが良いのかは置いておいて。


9. capsule「Another World」

「テクノポップ」という新ジャンルを打ち立てて、広く受け入れられるように仕立てあげた。名プロデューサーとなった今は私が言うまでもないですが、まさしく一時代を作った人・中田ヤスタカ。
もっと初期よりの曲をいれたかったのですが、Sportifyになかったので聴きやすいこちらの曲をセレクトしました。
クラブ遊びもしないし、ロックばかりでDJにも興味を持たなかったわたしが人生で初めて引き込まれたユニット。
capsuleの成功なしには中田ヤスタカのプロデュースは生まれなかったでしょう。そしたらPerfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも見れない平成だったかもしれない。
そんなの嫌だ!って思う。だからcapsuleを肯定したい。


10. BABYMETAL 「ギミチョコ!!」

メロスピが好きなので、見事からめとられました。
「日本のアイドルが世界に受け入れられる」というこれまでにない事例を実現した姿を見せてくれただけでも大尊敬しています。
西洋に憧れなくたっていい。頭のおかしい発想こそが日本らしさだし、異色なスタイルを貫く強さがたくさんの人を惹きつける。これは音楽という娯楽において、めちゃめちゃ当たり前のことに見えるけれど、最初からそのかたちでビジネス的に成功できる人は本当に希少。BABYMETALの打ち立てた功績は平成のみならず令和もその先も、残って欲しい。


11. 水曜日のカンパネラ「ジャンヌダルク」

はぁ、好き。
コムアイの顔が好き。
あとコムアイとは地元近いから親近感がバカ高いわ。
・・・すみません、語彙力が秒で低下しました。
本当は「松尾芭蕉」という曲を入れたかったのですが、Sportifyになかったのでジャンヌダルクを入れました。
悔しいのでここでは松尾芭蕉について書きます。
ケンモチヒデフミさんの曲とリリックも勿論いいんだけど、社会人になって改めてすごいなと尊敬するのは法人タイアップがついた曲でも「カンパネラらしさ」を超えて「カンパネラじゃないとダメ」のレベルまで高める力です。
チームの力。
余談ですがこのPVの中でコムアイのスタントマンをやっている方は私の高校の先輩です。このつながりもまたしびれる。
どれだっけ?と思った方はぜひPV見直してください。
踊りまくって、交代時にコムアイと手を繋ぐ人です。


12. 一青窈「ハナミズキ」

いわずと知れた名曲。
水カンのPVに高校の先輩が出演した流れでこれを出します。
一青窈さんはわたしの中高の先輩です。
この曲がリリースされた2004年当時、わたしは中学生。
当時、窈先輩を教えた経験のある先生が多数在籍していたので、そりゃあもう先生たちは浮かれていました。
しかも彼女の大ヒット曲のタイトルが「ハナミズキ」。
これで盛り上がらないはずがない。
ハナミズキは学校にたくさん植わっていて、校花というものがもし存在するならば、母校の校花は間違いなくハナミズキになる。
学校は幼稚園から高校まで付属である私立だったのだけれど、一貫して全員?に配られる校内誌のタイトルも「ハナミズキ」。
そう、母校に関わった人ならば誰でもわかるくらい、「ハナミズキ」は彼女の学生時代の思い出を歌った曲なのです。
こんなに素敵な曲を母校の思い出と共に抱いていけるわたしはなんて幸せなんだろうか。
感謝しかない。

※リリースから10年以上経ってからですが、改築後の母校で撮影したセルフカバーPVが公開されています。セーラー服でピアノのそばに立っている子たちも後輩です。この時に学生じゃなくて悔しいぜ。


13. RADWIMPS「25コ目の染色体」

これも地元が近い、というお話。
ラッドのはじまりはボーカル野田さんとギターの桑原さんの出会いなのですが、その出会いの場が東急田園都市線・あざみ野にあるミスタードーナッツだと、いつかのROCKIN'ON JAPAN誌のインタビューで語っていました。
もろジモティーであるわたし、同級生と一緒に大興奮。
塾が終わった後に同級生とだべる場所は同じミスド。
彼ら2人の出身高校もかなり近所で、生活圏はもろ被りだったはず。どこかですれ違っていたかも。そんな事実があったらテンション上がるしかないじゃないですか。
ちょっと年上で、学生時代が被ってないのも憧れる条件には十分でした。
ロキノン厨としての印象をおそらく持たれていたわたしは音楽ネタを振られることが多かったのですが、なぜかこの「25コ目の染色体」の意味を物理専攻の同級生(※親しくはない)から、「生物専攻の人」として説明を求められたという不思議な思い出が妙に残っています。
ちなみに出会いの場になったミスドは潰れたので今はありません。潰れたと知った当時、かなしすぎて同級生とわーわー言い合ったところまで含めてラッドの思い出。


14. THE YELLOW MONKEY「LOVE LOVE SHOW」

雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」で知った話の中で最も覚えているのがイエモン・吉井和哉さんのインタビューでの一言。
「たまたま二重で生まれただけなんですよね」
そう、吉井和哉といえば言わずもがなのガチイケメン。
その発言が出たのはスピッツ・草野マサムネとの対談で、おそらく草野さんが吉井さんのルックスを褒めた時に出た言葉だったと思うのですが「自覚あるブス」として生き方を模索していた当時高校生のわたしには衝撃だったんですよね。
もともと顔が整っている人は、自分の顔をそんな風に捉えているのか...!!!
と。
もともと美しい人たちはただの「事実」として受け入れているんだという視点を教えてもらいました。そして同時に気づいたのは美醜にこだわった指摘が多いのは美しい人じゃなくてブス側の人ばっかりだということ。
いろんなモヤモヤが吹っ切れて、美人になれない自分を肯定できるようになるきっかけになりました。
また、それ以来整形についても全くネガティブな感情を持たなくなりました。
「たまたま持ってなかったんだからしょうがない」。やりたい人はそのお金を支払って行えばいいし、しない人はそこまで整形を必要と思ってない、ただそれだけなんだと。
曲について触れてきませんでしたが、この曲のPVの吉井和哉はじめ、メンバーがかっこいいので最高だなと思って選びました。


15. Mt. Children「雨のち晴れ」

ここにきてのミスチル。
超王道。
らしくないように見えるかもしれないけど、わたしはハイパーメジャーであるミスチルのことを、本当にすごいと尊敬しています。
ずっとヤイコちゃんが好きでその後ロキノン厨になったわたしにとって、音楽は自分と同じ温度感を求める場合、他人と共有できるものではなかったんですよ。
そんなわたしが音楽について唯一多くの人と接点を持てたのがミスチルでした。
ミスチルの新譜についてなら相手もいくらでも喋れる。
「ミスチルのライブに行くよ!」と言えば「同じ日に行くよ!」という人がいて、開演までグッズ買いに一緒に並んだり、これから始まるライブのセットリストへの期待を語れる。
他人との距離が、ミスチルという単語ひとつでグッと縮まる。
こんな無敵なもの、他にない。
だから最後の一曲はどうしてもミスチルにしたかった。
「雨のち晴れ」を選んだ理由は

最近じゃ グラマーな娘にめっぽう弱い

と歌う桜井さんが元グラドルと再婚したという事実が個人的に何度聴いても面白いからです。
え?嫌味なやつだなって?
そうは言っても、男ってこんなもんでしょ?

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