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病院から電話。寿命が縮む思いと「マダニ疾患」【総合病院E-ICU12日目】

一度は鼻からの酸素に戻ったが、いろいろな検査に疲れ酸素濃度が安定しない父は酸素マスクに逆戻りしていた。私たちが面会に行くと目線でマスクを差し「ちょっと外してくれねぇか」と訴える。看護師さんの目を盗んで上に持ち上げてあげると、はぁ〜とため息をついて、空気をいっぱいに吸っている父。酸素マスクって普通ラクになれるんじゃないの?と不思議な気持ちだった。

入院10日・11日目は、良くもならないが悪くもならない、いわゆる小康状態が続いていた。いつも通りリップクリームを塗ってあげるくらいしかやることのない家族。妹も私も「何もしてあげられない」と自分を責めるような傾向が出てきていた。

「自分だけでは抱えきれない」そう思って地元の親友に連絡を取る。心配をかけるだけになるかもしれないと躊躇していたが、あの悪夢のような「最悪のケース事件」以降、自分で自分を保つのが難しくなったと感じている。もっとも矛先が向けられたのは看護師さん(ごめんなさい!)。小さなことでイラっとし、その焦りはあともう少しで共に闘っている家族にまで向けられてしまいそうな気がしていた。

何から伝えればいいのか…迷った挙句、出て来た言葉は「今、地元に帰って来てるの」だった。やりとりの中で自然に、実はこういう状況で、と話せるタイミングになると思ったからだ。こういうとこ、回りくどい。「大変だったね、大丈夫?」この言葉が聞きたくて話を誘導している自分を少し嫌いになりそう。

親友は私の心境を見抜いているようだった。私が何もしてあげられないと自分を責めていることを伝える前に「結果、親孝行になるから、いっぱい一緒にいてあげて」とアドバイスをくれたのだ。「何かしてあげようとすると、切ない本人がさらに切なくなるから。ただ一緒にいてあげるだけ。家族だから通じると思うよ」と。

一気に、気が楽になった。そっか、親孝行…だとしたら「同じ時間を過ごす」だけでいい、そう考えればいいんだ。

私はいつもこうやって、すぐいろんな人に助けを求める。そして求めているものは必ず返ってくる。本当に恵まれた人間だと思っている。昔から、いただいてきた恩を別の人に送っていくのが自分の使命じゃないかと常々肝に命じてきた。感情を振りまいて、周囲を振り回して、ホント迷惑なヤツだと自分でも思うけど。親友からもらったものを噛みしめながら、ふと、父が今こういう状況になっていることで「自分が学ぶべきこと」があるのではないか?と感じた。

小康状態の父との面会を終えると、精神ギリギリの私と妹はプチプラファッション店巡りをしていた。もともと急に地元に呼ばれ、すぐに一度帰宅する気でいた私は、着替え等を一切持ってきていなかった。「この際だから妹に似合うファッションを開拓しちゃおう」とか訳のわからないことを思いついて、ユニクロやしまむら、GUなどの試着室をかたっぱしから制覇し、妹はまるで私の着せ替え人形みたいになっていた。

2着しか持って入れない試着室で、5着の服を汗だくになりながら着せ替えられていた妹を待っている間に病院から着信があった。「長女さんですか?グレイです」一気に背筋が凍った。妹を試着室に置き去りにし、店内の音楽が聞こえにくい場所に移動した。

グレイ先生のご用件は、一瞬予想した急変の連絡などではなく、新しい検査の同意を得ることだった。

『これまでいろいろな検査をしてきましたが、どれも陰性の結果が続いています。それで保健所や感染症センターに連絡をしまして、そこに検体を提供するのにご家族のご同意がほしかったんです。日本の一部の地方でしかみられない感染症や、ダニに噛まれて全身が炎症を起こす事例など、さまざまな感染症の可能性を”そうではない”ときっちり否定するために検査に出したいと思っています。面会の時にお会いできなかったのでお電話しました』

なんだもう…心臓に悪いよ。寿命が縮むよ。

「よろしくお願いします」とグレイ先生にお伝えし、電話を切る。試着室から出て不安げな顔をしていた妹に内容を伝え、何も買わずに店を出て来た。妹も、3年は寿命が縮んだ気がしてたんじゃないだろうか。

後になって、ひとみ先生が書いたこれまでの経過書面を見せていただいた際、この感染症検査のことを【マダニ疾患の可能性を否定…】と表現しておられた。マダニ疾患て、何だろ?と思っていると、グレイ先生が「これ、私が書いたんじゃないんですけども…」と苦笑いしていたのが印象に残っている。

その翌々日には、マダニ疾患を含めた全ての感染症が否定されたと保健所等より連絡があったそう。あとは骨髄とリンパ節生検の結果を待つだけになった。

父の全身の炎症は進み、輸血をしても数値が元に戻ってしまう状態(輸血依存)、見た目でわかる腹水の溜まり具合、胸水による呼吸の苦しさ、尿を自力で出せず100ml/日の無尿状態に陥っていた。その上、定期的に襲ってくる「尿を引かれるときの痛み」に、父はうめき声を上げるようになっていた。

いろいろな検査をしてその都度陰性の結果が返ってくる。骨髄とリンパの検査も陰性だったら、次は何を調べるんだろう?私はもしかしたら転院をしたほうがいいんじゃないか?という思いが募るように。妹にそうつぶやくと、即座に医療関係者の義弟に聞いてくれた。「今の全身状態を考えると転院時のリスクの方が高い」との答えだったらしい。

そしてその翌日、妹から「姉、怖ぇよ」と言われることになる。グレイ先生からの転院の打診だった。それは少し前向きな提案でもあった。

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