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こんにちは😃
Marchです⭐︎

今年は、「祈りと御言葉の年」!
核心は、悟りなさいですね。

2022年が始まり、
悟りの嵐でビビっています。
良いことも、苦しいことも、、、。


お正月、親戚に会いに行く予定はなかったのですが、
なんか親戚に会いに行ったほうがいい気がして、
状況も整えられ、
急遽長野に出かけるようになりました🚗

片道4時間ほどかけて、叔父さんの家に到着。
一昨年、祖母が亡くなって
築3年の新しいだだっ広い家にひとりで住んでいます。(全床暖房でで、全てが最新!)

しかし、
予想はしていました。
予想通りだったのですが、
ガーーーン(;´Д`A

そう、お掃除が全くされておらず
綺麗なところがない状態だったのです。

もったいないよぅ( i _ i )
だってすごいお洒落なお家なのにさ( i _ i )

たまにお手伝いに来られていた叔母さんは、
ご病気で手伝いに来られなくなって、
たぶん一度も掃除されていないだろうなぁ
という状態。
(私は、内心速攻帰りたかったです😭)

他に掃除する人がいないので、
その環境を掃除するところから始めました。

実家にも掃除をする人がいないので、
私が定期的に帰って掃除しているのですが、

「わたしはどこに行っても掃除する運命なんだなぁ、、、」
となんだか少し悲しくもどかしくなりました。

でも、牧師先生なら、放っておくことはせずに
絶対に掃除されると思ったので、
感謝してひとりで掃除しました。

しかし、本当にもどかしかったので
ものすごくたくさん祈りました。
神様に告げました。
そうすると、すごく大きな心情の悟りがきました。

それは、「牧師先生がそのような人生を送って来られたんだなぁ」もいうこと。

思い出した、
先生はいつもそうだったじゃないか。

自分一人しか掃除する人がいない状況、
周りの誰もその状況を変えようとしないもどかしさ、
涙が溢れ出てきました。

先生は、日本に来られても、
全世界をまわられても、
実際にも掃除をされて、
お祈りをしておひとりで霊的な掃除をどれほどされてきたんだろうと思いました。

綺麗にする人がいなければ、
ゴミはなくならないじゃないですか?
そういうことなんだって思いました。

だから私が滞在している間、
掃除できるところは全部掃除をして、
洗濯をして、できることは全部しました。

でも、私が洗い物をしている時に、
お酒を何度も注ぎに来る叔父さんを見るたびに、
心がぎゅっと苦しくなりました。

「神様、本当にすみません。」
全然足りないけど、牧師先生の心を感じて
苦しくて悔やしくて、申し訳なくて
ずっと涙が止まらなくて
帰りの電車でも涙が止まらなくて、

なんだか個人的に忘れられないお正月になりました。

でも、この悟りを通じて私が決心したのは、
「どこに行っても
先生のように、喜びで十字架を背負う人になろう」
ということです☺︎

「知らないだけなので、許してください。」
いつもどこでもこの姿勢が、
神様を愛する信仰者としてふさわしい姿勢ですよね!

久々にスキーにも行って、
神様が美しい雲海を見せてくださいました。
(充電がなくて写真がとれなかった😭)

「万物が神様の芸術品だ」
・・・アーメン!
木々も、降りしきる雪も、空も、何もかもが美しくて、涙。 

このスキー場の隣の山のスキー場に、
27年前に牧師先生が来られたのですよ😏♡
父が、翌日にそのスキー場に滑りに行っていました(いーなーーーー)

いつも近くに神様を感じ、
牧師先生を感じ、
また心が近づいた(と思われる)
お正月の出来事でした。

結果、ハレルヤヽ(´▽`)/

ではまた〜👋

March



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