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パン職人の修造62 江川と修造シリーズ バゲットジャンキー

扉絵



「修造さん」


選考会が終わった後
北麦パンの佐々木が声をかけてきた。


「俺、絶対勝ちたかったんですよ」


「すみません、、あの、店を休んで特訓してたって聞きました」

「そこまでやって勝てなかったなんて悔しいな。先生にもついて貰ってたのに。ま、結局は俺の実力不足かな」


佐々木はやや自嘲気味な言い方をした。


「こんな事俺が言うことじゃないけど是非次回頑張って下さい」

2人は握手した。



「本当だね、修造さんが言うことじゃないよ」

そう言って佐々木は笑って去って行った。

 

ーーーー

 

「修造さん荷物を運んで帰りましょう」


「うん、江川良かったな」


「はい、修造さんもおめでとうございます」


「ありがとうな江川。いつか感謝を形に変えるよ」


「感謝なんて、テヘ。僕が勝手にやった事ですから」


そう言いながら2人は会場の裏にある駐車場に荷物を運びパンロンドの配達用の車に積み込んだ。


「控室に戻って大木シェフに挨拶して帰ろう」

「はい」


2人が駐車場から通用口に入り長い廊下を歩いている時、向かいから帰路につく沢山の会場スタッフが長い列を作って歩いてきた。

修造はぶつからない様にそれをよけて
廊下の端を素早く行き過ぎた。

その時江川と少し距離ができた。

スタッフに紛れてオレンジ色の大きなスーツケースを押した背の高い男が歩いて来る。

そのトランクには沢山の国のものと思われるシールがベタベタと不規則に貼ってあり、中には剥がれたあとや、剥がれかけのものもある。

江川はそのトランクを見て、剥がれかけたシールなんて外せばいいのにと男の顔を嫌悪感のこもった目で見た。

男は立ち止まり「おめでとう、頑張ったね」と労をねぎらった。

江川が一瞬頭を下げて行きすぎようとした時、男がメモを渡してきた。

「これ、お兄さんに渡しておいて」

江川は、話したこともないのにお兄さんなんて言い方は軽すぎると思って苛立った。

不機嫌に黙ったままメモを受け取りそのまま遠ざかった江川をしばらく見ていたが、やがて駐車場を通り外に出てタクシーを捕まえようと歩道に立った。

 

ーーーー

 

江川は控え室に戻り、大木と話している修造にメモを渡した。

「通路を歩いてたら渡されました」

珍しくイライラしている江川に
「どうしたんだ?疲れたのか?何かあった?」
と聞いた。

「別に、何もありません」

「そうか」そう言ってメモに書かれた文字を見た。

 

人生は数奇なり

己の運命に流されても己は流されるなかれ



あ!この字!本に挟んであったメモと同じ文字だ!


「江川!この人どっちに行った?」

「さっきの駐車場の方に行きました。小汚いオレンジ色の大型のスーツケースを押してました」

修造の慌て様に驚いて江川が言った。


修造はもう一度長い廊下を走って通用口を出た。

駐車場は搬出のスタッフでごった返している。車の一台一台を見て回ったがオレンジ色のトランクはもう車の中なのか全然わからない。


「もう帰ったのかな」

 

仕方ない、俺とその人がどこかで繋がってるならまたいつか出会えるだろう。と、次のチャンスを待つことにした。

 

でも気になる

なんだ

流されても流されるな

って

どういう意味だ。

俺は順調だ。

愛する妻と可愛い子供

数奇な事なんて何もない

なんだ名乗りもせずに

 

速足で廊下を歩きながら

修造は頭の中で文句を言っていた。

 

ーーーー

 

新名神高速道路に入った帰りの車の中

せっかく二人とも優勝したのに口数が少なかった。

しばらくすると江川は少し不機嫌が直ってきた。
イライラがおさまってきた様だ。


「僕ホッとしました。これで二人で世界大会に出られるんですね。夢みたい」

「だな」


僕、鷲羽君がトラブルがあって、なんて言っていいかわからなかったです」

「あんな事になるとは思わなくて園部も気の毒だったな」

「コンテストが終わるまで何も知りませんでした。僕なら泣き喚いてたな」

「他の選手に知れるとみんな動揺するだろうから知らなくて良かったよ。鷲羽は自分にも非があるからって犯人はお咎めなしになったんだ」

「へぇ〜。鷲羽君って本当はいい人なのかな」

「口は悪いけど悪いやつじゃないよ」

「帰り際声をかけた時フランスに行くって張り切ってました。僕達の事応援してくれるって」

「うん、大木シェフや佐久間シェフも協力してくれるって言ってたな」

「はい」


辺りは段々暗くなり、名古屋を過ぎた辺りで修造が言い出した。


「なあ江川!俺、男の子が生まれるんだよ。こないだ律子と産婦人科に行ってお医者さんにエコーを見せて貰ったんだ!どんな名前にしょうかなあ〜ウフフ」

「えっ?」

急にガラリとソフトムードになった修造に江川は驚いた。

ウフフだって、、いつもシブイ感じなのに、、

勝負みたいな事が終わるとホッとして
家族に会いたくなるんだろうな。


「楽しみですね!」

「そうなんだ!どこかに寄ってお土産を買って帰ろう」

「はい。僕もみんなにお土産買いたいです。駿河湾沼津 のサービスエリアにのっぽってパンがあるの知ってます?それも買いたいなあ」

「寄ってみる?夜でも売ってるのかな?」

「いっぱい買っちゃお!桜海老のパイや卵の形のプリンもあるんですよ!」

「お前よく知ってんな、、」


ーーーー


夜中
パンロンドに車を返してアパートに帰り着いた修造は、荷物をいっぱい持ってみんなを起こさない様にそっと入って来た。

リビングの明かりが少しだけ差し込む寝室の、緑の可愛い寝顔を見つめて目を細めうっとりしていると、布団の中から律子が声をかけた。

「お帰り修造。おめでとう」

「律子、ただいま。大変な時に家を開けてごめんね」

そう言って急いでパジャマに着替えて布団に入り愛妻の手をそっと握った。

「私絶対勝つってわかってわ」と手を握り返した。

「どう?」と言ってお腹をさすり赤ちゃんのご機嫌を伺った。

「元気よ、すごく動いてる。ほら」
修造はお腹に手を当てて手のひらに神経を集中した。

グニ

と手応えがあった気がする。


「あ!」わかったよと言う修造の嬉しそうな顔を見て律子も満足げにしていた。

修造はそのまま律子の顔を見つめながら目を瞑り寝てしまった。


修造の顔を見ながら「おかえり」と呟き
高い鼻頭をツンツンと触った。

 


つづく

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