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人生の教科書(2) 〜 公認会計士という職業

 私が子供の頃(40年くらい前)のことだが、収入もよく地位も高い仕事は医者と弁護士と会計士と社長だった。いい会社にいるとよいと親には言われながらもサラリーマンの悲痛を知っているためか、これらの職業をあげた。もちろん、子供の私に取ってはプロ野球の選手や漫画家の方がすごいと思っていたが。

 当時の世評や神話を受けてなのか、私の世代で公認会計士を目指す者は多かったと思う。医者を目指す人もいたが医学部を目指す人は父親が医者だから後を継ぐ必要があるとか、かなり世襲的な理由が多かった。そして公認会計士と司法試験は最難関の試験かつ業務独占の3大国家資格ゆえ目指す者が多かった。

 社会人になり私は仕事柄の都合もあり公認会計士と友人や知人になる機会に恵まれた。ひとまわりふたまわり上の先輩会計士の方々は地位も高く裕福だった。つまり人生の成功者と呼ぶにふさわしい方々だった。そして当時は公認会計士試験の合格=人生の成功の方程式が成立していた。西暦で言えば2000年前後の頃だ。したがって同世代の団塊Jr層は成功の登竜門として会計士試験の合格を目指した。彼らの話を伺う限りとても難易度が高い試験で学生生活の全てを犠牲にする代償として合格を得ていた(合格を得られない人も多くいた)。

 しかし2000年半ばに入り、公認会計士試験が変更になり一時期顕著に合格者が増えた。1990年代後半頃に団塊Jr層の受験者が集まったことを考えるとその合格難易度は格段に下がったと想定される(団塊Jrが年間200万人の出生数だったが6-7年後には150万人まで下がっている)。この会計士バブルと言われた頃は試験合格後に監査法人に入ることが一般的なキャリアルートだったのが、監査法人はリーマンショック後の景気の影響で採用人数を減らしたことも相まってその人数を受け入れられず会計士浪人が大量に発生した。こんなことをやっているうちに会計士の質と価値は下がっていった(実は司法試験も同じタイミングで合格者数を増やすことを行なったが会計士ほどの影響はなかったと私は捉えている)。 

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 では海外では会計士の権威と市場価値は?と問うと一般的なアカウンタントの資格として捉えられている。一般的とは何か?というと業務を遂行する上で必要な資格であって、日本のような難易度の高い試験に合格をした神様のようなすごい人、ではなくて監査をする資格のある人、CFOをする資格のある人という単なる資格として捉えられている。実際、日本でも米国公認会計士の資格を持っている人はたくさんいる。日本の試験よりも容易に取得できるからだ。しかしあくまで米国の資格なので日本にいて日本の仕事をする限り全く役には立たない。あくまで箔として取っているのだ。

 国家資格の日本の会計士は独断的な言い方をすれば、昔は会計士の合格者数を限定することで需給ギャップを調整して市場価値あるいは権威を高めていただけなのだ。確かに頭の良い優れた人が監査をしていたかもしれないが、監査業務なのでそれが国の生産性を高めるわけでもない(実際、不正会計が当時相次いだことを考えれば、試験には頭の良さよりも倫理を問うべきだった)。

  ということで、公認会計士に昔ほどの価値と権威はなくなっている(私が独断的に見て)。私の同世代以降のキャリア形成で言えば、もはや飽和状態の監査業務に残るのはほんの一握りでコンサルティングやアドバイザリー/トランザクションに移ることがキャリアアップ(給与アップ)になってきている。しかし会計士の資格は優遇されたりする。とは言え、私の周囲の同世代の会計士の方々はあぐらをかくことなくいまだに日々努力が続く毎日が続き終わりなき戦いを続けている。

 まとめると会計士は昔(40年前)ならばあまりにも魅力的な職業だった。試験に合格さえすれば将来安泰だった。しかしもはやかつての利権はなくなってきており、むしろキャリアの1stステップの職業となっているが、そのために試験勉強を費やす時間が見合うかは考えものだ。自分が目指すべきキャリアが監査法人で監査をすることが最初のキャリアとして必要かどうかを見極める必要があるだろう(資格はあくまで監査をするための国家と割り切った方が良いだろう)。

 しかしながら、時代の波に翻弄されて人口も多く難易度の高い頃に会計士試験に合格した方々は並外れた頭脳の持ち主であり、忍耐力の持ち主だ。多くはその苦難の試験勉強の過程でネジは2−3本外れることで人間の極限に達し、むしろ人間的魅力が溢れる。今後は彼らが新たなキャリアモデルを生み出し価値を創造していくと思う。と、門外漢が偉そうなことを言って申し訳ありません。    

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