見出し画像

免許証更新に思う

12月の誕生日前に免許更新があった。カリフォルニア(全米)では車の免許証は5年ごとの更新だ。今回はちゃんと誕生日前にネットでサクサクっと更新手続きを完了したが、前回の更新時に実はすっかり手続きを忘れてしまっていた。

そのことに気づいたのは有効期限切れの誕生日の翌日。年末の祭日に入ってしまっていてDMVという州の更新センターのオフィスも数日間お休み。ネットでももちろん時すでに遅しで更新できず。

それで、これってどうなの?試験受けて取り直し?ああ面倒くさ、とかぶつぶつ独り言ちたあとふと思った。せっかくのこういう機会だから車なしの暮らしを少し続けてみようかと。自分が高齢になって万が一免許証を返還しなければならなくなった時に、異国の地での独り暮らしでも果たして心地よい暮らしができるのかどうか興味津々だったからだ。その頃は、長年ともに暮らしていた愛犬たちも他界し、ドッグパークやオーシャンビーチに車で遠出する必要性もなくなっていた。

運転できないので自慢のジープもほったらかし。カリフォルニア移住30年弱にして、初めて公共交通網にたっぷりお世話になることとした。バスの路線を調べて一枚のチケットで一定の時間内なら乗り継ぎ可能なことを知ったり、電車にはバイカー(自転車のことをバイクと呼びます)専用の車両もあり、線路とほぼ高さの同じプラットフォームから一段50センチもあるであろう階段2段をバイクを担いでやっとやっとで乗り込めば行った先では自由に動き回れる便利さに感動した。路線バスのフロントにも2台くらいはバイクを設置できる金具もあり、なんとまあ、カリフォルニアらしいなと改めて感動した。

約半年間だったがその間に様々な体験ができた。小銭がないと「いいよいいよ」と無賃乗車を促すバスの運転手の対応にも驚かなくなっていった。これは欧州を放浪してた時にも体験していて、申し訳ないなと思った反動で他でやさしさをリレーしていこうと思わせてくれる。

いつどんなことがわが身に降りかかるかわからない、危険と背中合わせのような海外での暮らし。自分の身を守るために必然的に警戒心が強くなっていた私は、当時すでに定着していた白タク運営のUberに乗るのがどうも怖かった。だから車がないと買い物の量も制約されるし、やっぱり不便だなと思うことも多かった。

幸い、住んでいた場所から歩いて1分のところにグルメマーケットがあり、A2ミルク(改良される前の古来のジャージー牛種の牛乳)も、グラスフェッドの良質なお肉も買えるブッチャーも、毎日自分で淹れるラテ用にはブロンドロースト豆一択の私の暮らしに必須のスタバもその店内にそろっており健康オタクの私の食生活に支障はなかった。

マウンテンバイクで大きなバックパックを背負い10分ほど行けば自然食品がそろっているトレジョもあり、そこからちょっと遠回りすればブルーボトルコーヒーもあり。自転車でのスロー走行ならではの発見も多くあった。よい運動にもなるし車社会といってもベイエリアのような都市部であれば、車なしでも結構生きていけるものだと未来を展望して安心したものだった。

徐々にUberやLyftも安心して活用できるようになっていった。スマホのGoogle Mapを開けばUberやLyftのアプリと連携しており、地図上には近隣を走行している登録車の画像がうごめく。タクシーの3分の一くらいの料金であちこち行けることに驚喜した。

いろんな国の人々が移住するメルティングポットのサンフランシスコとシリコンバレー。運転手のお国もさまざまだ。いつも私は運転手といろんな話をする。私が過去に訪れた国々からの方も多いし、いつか行ってみたい国の人もいる。さらに割安の乗合コースを選ぶと途中乗降する他のお客さんもあり、その中には旅人もいて話が弾むことも多く、次第に乗合コースが面白くなっていった。


 

ある日のこと、私が行き先の住所のストリート名をうっかりアベニューとUberアプリに入力してしまったようで、まったく違う住所に到着してしまったことがある。乗合客が一人いたので、その人の目的地に向かっている時に乗合にしてはずいぶん方向違いの経路だなと思っていた。急いでスマホの登録住所を観ると明らかに私の間違い。運転手に相談すると「このまま引き続き乗ることはシステム上できないけれど、僕がブロックを一周するから僕が近づいてきたら正しい行き先を入力してよ。近い場所に僕しかいないから僕が君のオーダーを受けられると思うよ」と言ってその通りにしてくれた。どのドライバーもそうだとは限らないけれど、今や大企業となった雇い主のシステムに沿いながらも、こちらがしっかり交渉すれば、柔軟に客の困惑に寄り添ってくれる人情ある対応をしてくれる人が多いのがうれしい。


本来の目的地に着くと「もしかしたら用事が済んだらすぐ帰るの?」と運転手。「そうなの」と私。「だったらどっちみち僕も同じ方向に帰るから乗っていきなよ。まっすぐ帰りたいから今日の仕事は終わり」と。私書箱から郵便物をピックアップするだけの用事でまた次の車を予約して待つのも面倒で、結局帰路もお願いした。30分ほどの帰り道もまた政治・社会の話、その人のお国の話しに花が咲いた。メーターをオフにしていたのはわかっていたのでそれでも帰り道の料金を払おうとしたら、とうとう受けとってくれなかった。運転手も私との会話を楽しんでくれたようだから、ま、いいか、と思った。

自分の車で走り回る日々からは想像もしなかった体験をすることになったそんな楽しい日々も瞬く間に過ぎていった。さすがに半年も車を動かさないとバッテリーが上がってしまい、バッテリーボックスごと総取り換えすることとなった。しかも、車検はないものの、ガス規制の厳しいカリフォルニア州のこと。毎年送られてくる車両登録通知には私の乗っていた年式の排ガス点検が求められていた。バッテリーを取り換えたことでそれ以前の走行記録に基づくデータが消えてしまったとのこと、少し走らないとその検査ができないという問題が発生した。それで、とうとう免許証の更新をすることにした。

半年も期限切れのままにしていたので、いったいどうなるのかと懸念していたのだけれど、DMV更新センターに行けば「更新し忘れました」の書類を提出し、設置されたキヨスクでちょちょちょとデータをインプットし、目の検査を含め1時間くらいで手続き完了。住所の確認のために郵送されてくる免許証を待つ2週間ほどの免許証不携帯時に提示できる更新済み証明書のプリントアウトが会計時に渡される。

移住当初から、5年ごとの誕生日2か月前くらいに手紙がDMVから届いている。「更新します」を選択し、手数料の小切手を同封し返送すればDMVに登録されている5年10年前に撮った写真が貼られ新しい免許証が届くのだ。何年たっても比較的写真の顔が変わらない場合ならそれでもいいかもしれないが、加齢で顔の変化が激しい人もいるだろうに、それでいったい大丈夫かなと心配になるくらいだ。

更新時に一度試験を受けなおした記憶がある。特に講習を受けるなどの必要はなく、人がうじゃうじゃいるフロアの片隅に並ぶキヨスクのパソコンに向かっていきなり筆記試験だった。その時は単車の筆記試験にパスしなかったが、その場で小冊子をペラペラし、準備が整ったら即、再挑戦できたことも記憶している。

日本では中型・大型で分けられている単車の免許だが、国際免許を発行するときに単車の免許も記入してもらえば海外で大型に乗ることも可能だ。私の場合、中型免許を日本にいた時にとっていたが、移住後一年で国際免許が切れるのでギリギリでカリフォルニアの単車免許を取りに行った。当時、自家用車はなく、当時ビジネススクールに通うために乗っていた600㏄のホンダCBRハリケーンで試験場に向かった。

駐車場の一角に用意された直径5メートルほどの円周を周る練習をしてみたが、どうもうまくいかない。実地試験の時刻となり奮闘していた私の前に現れた教官が大笑いしている。「モペットでも借りてきな。そんな大きなバイクじゃ円周回るの無理無理。」翌日にはまたその600㏄に乗るっていうのに、本当にいいの?といぶかしく思いながらも急遽試験を延期してもらい、友達から50㏄を借りて臨みなおしめでたく単車の免許をゲットした。そのいい加減さに心から感動した。

いい加減といえば、さらにカリフォルニアでは交差点で信号が赤でも、曲がる方向が一通だったら左右どちらでも、あるいは曲がる方向が右側なら一時停止で安全確認後、信号が青にならなくても発進できる。そうすることで無駄な交通渋滞を作らなくていい。

そういった、日本の交通規則に慣れた者の観点からはいい加減そうに見える政策が私は大好きだ。そこに個人の自由や能力を尊重する気持ちが感じられるし、それに個人が努力して一度取得した権利や労力への尊重も感じる。よく考えてみれば、忘れずに更新の手続きをしたかどうかと、安全運転そのものとは関連性がないはずだ。免許証がなければ自分が不便を強いられ損するだけだ。困るとわかれば更新もするだろう。私のように自宅で仕事をしている人間なら忘れてしまうこともあるだろう。うっかり忘れることに懲罰がない、セカンドチャンスを用意した社会は無駄が少ない。そして、その柔軟性がどれだけ人件費の無駄を省いていることかについても着目すべきだと思う。

それがアメリカ、いや少なくともカリフォルニアの時代の流れに乗れる文化を顕現しているように思う。基本、自分の命は自分で守るもの、という基本的暗黙の了解が州や国の政策にも反映されており、人民はその結果、自分の命に対して自己責任を持つ必要性をより強く認識している。次々と人件費が節約されていく社会で生きる民はウカウカできず、一人一人が時代に合わせて新しいことを学び、スキルを身につけ、時代が生み出す新たな職場・業界へと転職していく力も必要になる。

残念ながら、広いアメリカには「昔の良き時代のアメリカに戻ろう」と時代の流れに反旗を掲げる人たちが多い地域も多く、うまくいかないことが誰か他の人たち(異人種や異政党)のせいだと思い込んで生きている場合は狡猾利己的な政治家たちにまんまと利用されてしまうようだ。

日本でデジタル化がうまく進まなかったり大規模の考えられないような思慮不足の問題が発生したり、なかなか国家としての全体的な経済の立ち直りが観られない状況の裏側には、まだまだ上に立つ者たちに終身雇用制への執着・甘えがあり新しい仕組みの構築への抵抗が保身という形で障壁となっているように私には見える。国会でウトウト居眠りしている国会議員が、選挙となれば裏金であろうが国民の血税であろうがお構いなく法外な額の大枚を受け取っていたりする。世界中がそんなにウカウカしていられる時代じゃないと認識し始めているというのに。

結局は他人を批判していては何も進まない。自分は甘えないと決断し実践する以外にないのだ。そして自分がお手本となり、自分を磨き続ける人間を自らの身近から育て上げ増やしていくことしか改善への道はないのだろう。それは日本やアメリカに限ったことではない。人類の心がバーチャルに心がつながれる今、戦争のない世界を目指して人類誰もが基本的な立ち位置に戻っていかなければならない、その時が来たのだろう。


#英語がすき
#米国移住
#シリコンバレー
#脳神経科学
#neuroplasticity
#生涯教育
#MBA
#自己責任



この記事が参加している募集

#英語がすき

20,352件

よろしければサポートをお願いいたします。これからも世界に視野を広げ活動していきたいと思います。