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分別無いのは良いことだ。

世間一般的に"分別がある"と言うと良い意味になります。
”分別が無い”と言うと悪い意味になります。
「分別があって、あの人は大人だなぁ。」
とか
「お前も少しは分別を持て。」
という様に使います。

しかし仏教的には無分別ということが良いとされています。
もちろん現代でいう分別とは少し意味が違ってきます。
ここでいう分別は物を分けて理解すること。
それを仏教ではあまり良い意味では使いません。
分別とは分けて物事を判断すること。
今の学校教育はほとんどこの分別知を発達させることに力を注いでいますし、
西洋的な学問、科学、等々は
アリストテレス以来のこの物事を分けて理解するということを重要視してきました。
細かく細かく物事を見ていきます。
少しわかりやすく言うと、
私たちの肉体には物凄い数多くの細胞がありますが、
その細胞一つ一つをどれだけ詳しく調べても、
私と言うトータルな人間は分かりません。
その視点をもっと大きくしていった時に、
自他の境はもうありません。
一つなのです。
個々の猫とか犬とか私というものは本来ありません。
無です。

…とここまで書いてみましたが、
難しいですね。
まずは全体を掴んで物を理解すること、
これが大切だと思って頂ければ良いのではないかと思います。
分別ないことは良いことだ。
これでいいのだ!!

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