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恋ができないわからない


「恋」って、「恋愛」って、みんな簡単に口にするけれど
その、「恋した」瞬間ってどんなものなのだろう。
相手をみつけた瞬間にビビって全身に電流が走るようななんてさ聞いたことがあるのだけど、本当にあるんですか?本当はないんですか?

深く考えすぎなのだろうが、恋するっていう感覚がやっぱり分からない。
いま、こんなわたしに「すき」と伝えてきて、深い関係にある相手は、果たして私に「恋」をしたのだろうか。
こんな傲慢な質問できやしないけれど、それって性的欲望とは別なのですか?

きっと明確に分類も線引きもできない事物なのだろうなぁと思ってはいる。それがいまいちピンと来ないから、余計なことを考えてしまう。

え、なに、これは、なに。

とてもとても大切にしてくれるのに、わたしは相手からすれば「なにそれ」っていう次元のことばかり考えて、被害妄想をして、自己嫌悪に陥って、なんだか一向に落ち着かない。
わたしが相手を求めてしまうのは、「わたしみたいな奴に愛情をくれるから」なのかもしれないと思う度に、それは自分の自身の無さや欠如感覚を手っ取り早く埋めてくれるからということで、それは相手を利用していることにならないかと自分責めの面倒なループに陥る。

他人の体温に触れているときに感じるのは、
「相手がどんな理由であれその瞬間自分を必要としてくれている」
という物質的要素、身体的反応を伴う事実。

自己肯定感が驚くほど低い人間の思考回路からしてみると、
わたしみたいな魅力のない人間を必要としてくれるの!?
嬉しい!!!なんでもします!!!こんなモノですがどうぞ利用してください!!!

ということになる。

わたしはそんな身勝手な気持ちよさを感じたいがために相手を受け入れていないか?
そんなことを考え出すと本当にキリがない。
面倒くささが大爆発。

相手を少しでも繋ぎとめようと、縛ろうとするような自分の思考に気が付くたびに、申し訳ないと思う。
この感覚を一般化してしまえば、よっぽど簡単なんだろう。
「恋」とかそんな言葉に集約してしまえば、モデルケースに当てはめてみたりして、あーでもないこーでもないなんて簡単に言えたりするんだろう。(いや、しないのか?)

きみがわたし以外を必要として、なってわたしが要らなくなったときに、わたしはわたしを価値がない人間として片付けようとするだろう。安直で醜い思考回路。
そして、勝手に「裏切り」だとかそんな言葉をあてがって、自分を可哀想にして可愛がってしまうのだろう。
それがただただ怖くてたまらない。

もうこれ以上自分の愚かさに気づきたくない。

だけど傷つきたくない。


なりたくないものになってしまいつつある自分が怖い。

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