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【編み出した概念】旅をするように生きるパニック障害【スティーブ・ジョブズ】



7歳からパニック障害である

小学校4年生の遠足
小学校6年生の修学旅行

パニック発作を起こしている

記憶、自我のあるこの34年間、私はパニック障害とともに生きており、7歳から発作を起こさないようにあれこれ工夫して生きてきた

だから、全ての行動に制限があり、旅ができない

てか旅どころじゃない

本当は自由に移動して生きたいという自分の気持ちを、自分の特技をもってアレンジするのが私の命題なのかもしれない




正直めちゃくちゃ辛い


当たり前のことが当たり前ではない人生

人が当たり前にすることを話しているのを聞いてきて、その度に「いいなぁ、私は普通になれないんだなぁ」という疎外感や羨望を感じて生きている。

当たり前ができないということは、理解が難しい

私にとっての当たり前、記憶力や語学、相手の立場に立っての理解など、「なんでできないの?」と理解できないことと同じだから、理解を求めることそのものが無意味であると、数年前にようやく腹落ちできた。

それからは理解ではなく、限られた中でどう幸せに生きるのか、を考えてきた




スケールの小さい旅と自由


旅というか、そもそも移動ができない

東京寄りの千葉に住みつつも東京へ行くことが、おそらく普通の人の海外旅行くらいの意気込みである。

かつて3年間、この家から出ないで過ごしたあの頃と比較すると、私はとても自由になれた

今でも毎回「うわー私が東京に日帰りで行ってるよ!」と、本気で感動している

だけど「千葉なんて東京から近いのになんでそんなに気合い入れるの?笑」と言われる度に「普通じゃない」と言われているようで、再三再四「普通になりたかった私」疎外感を感じて殻に閉じこもってしまう。

だからこそ、自分が思いもしないところで思いもしない理由で苦しむ人がいる、という理解度が深まったのだろうと今は思う。
別にいらんけどそんなん。




求めているものが全て詰まっている「旅」


社会人になるまでの引きこもり期間、旅番組をかなり見た

旅チャンネル、ディスカバリーチャンネル、そこには私が求めたものが全て詰まっていた。
自由に食べること、自由に移動すること、自由に人と関わること、普段自分ができない全てが旅にはあった。

その中でもNY出身の元シェフであり物書きの故アンソニー・ボーディンは私を魅了した。
ただ、彼を知っている人に出会えていないので、彼の魅力を伝えることが難しい。

Anthony Bourdain/1956-2018

白人の知識層の彼が世界を周り、ギリギリのことをしながら、どんな境界も簡単に飛び越えて試して、トラブルになりつつも世界を回る番組は、私の気持ちを満たしてくれた。
代替行為なのだろう。

どういう流れか忘れたが
オバマにフォーの食べ方を教える回


そんな彼も数年前に旅先のフランスのホテルで自殺してしまった。

私が求めた全てを体現している超絶セクシーな彼でも、そこに行ってしまうのか、という、残念でありながらも救いを感じた出来事だった。

おそらく私の特技のひとつは悲劇的なことからも救いを見出すことだろうと最近思う

失恋、死、つまりあらゆる喪失から、学びや教えを見出すことにかなり長けているらしい





The journey is the reward. Not the destination.

" 旅そのものがご褒美である。行き先が目的ではない "

Steve Jobs

スティーブ・ジョブズの言葉だそう。
時に、こういった名言の翻訳は大変だなと思う。
その言葉の背景を簡潔な日本語に表すのは難しい。

これって人生そのものを目的や目標、夢よりも、そこに到達するまでのあれこれを楽しめってことにも思える。
目標を設定することはもちろん大切で、それを具現化することも最も大切だという上で、その道中も楽しめよ、という意味な気がする。

私も同じことを思っていて、たとえば今、私は「立派になる」という目標のもとあれこれ切磋琢磨しながら生きている。

「これくらい収入があったらいいなー」とか不足から来る不自由にフラストレーションを抱えることも多い。

だけど、である

「それら」が手に入ってしまったらこの不自由やフラストレーションはもう味わえないということも知っている

だから夢が叶うことそのものが喪失の始まりであるとも思っているのだ

しかし私のことなので求めているものは手に入れると信じているし、更に夢が叶ったあとも自分の正当化や学びや教えを見出す特技を活かして更に飛躍することもわかっている。
とは言え今感じているフラストレーションはやはり解消したいし自分が求めているものは手に入れたいし具現化もしたい。

だけど視点を変えてみると今しか味わえない道中のあれこれもどこかで楽しんでいるのだ

しかも何をしても珍道中になりがちなので自分でも面白い

つまりやはり毎度の呑気なのである

肝が据わっているとかそういう美しいものではない




さて私は、あなたはどうするか


実際の旅は無理そうなので得意の思考の工夫でどうにかするしかない

与えられたカードで満足できなければ、作ったり変えたりしなければならないし、カードの不満だけを垂らすのは趣味ではない。
この、人一倍多い好奇心と自由への渇望を、旅以外で満たしてあげないといけないわけだ。

できないこと、不足を嘆くのではなく、その代わり何ができるのか、その分自分にはどういう利点や学びがあったか

できないこと、不足、苦手なこと、難しいこと

実はこれって意外と多くの人が多かれ少なかれ持っているものだし実際よく聞く。
仕事がうまくできないとかやりたいことがあるのに難しいとか、はたまた好きな人がいるけどうまくいかないとか。

逆に私はその悩みがわからないのでそれはそれで嫌味だしむかつかれるのも今はわかっている

自分の悩みを共有できる範囲がほぼ無いだけで、みんな悩み苦しんでいることは同じだ


The journey is the reward. Not the destination.

旅そのものがご褒美である。行き先が目的ではない。


旅を人生に入れ替えると、生きていることそのものがご褒美であり、何を成し遂げるかどうかではない、つまり評価や賛美ではない、とも言えるのかもしれない

まあ、私のことなのでそこには反対である。
生きていることそのものがご褒美とか、生まれてきたことそのものがすごいこととかよく聞くけど、ただ息だけして生きてきた期間が長かった私からすると、言いたいことはわかるがそんなの綺麗事of綺麗事である。

とりあえず、私が求めることは旅するように生きること

しかし実際に旅はできないので、その概念を他で応用する

その試行錯誤すら楽しむ、まあ一旦はこういう結論としておこうと思う

" もし生涯で一つの都市でしか食事ができなくなったら、東京を選ぶね。
俺が知ってるシェフのほとんどが同調するだろうな。
絶えまない探求心を持ち、決して理解できなくとも幾重に重ねられた風味や味わい、習わしの虜になった者にとって、東京はたまらなく不可知だ "

アンソニー・ボーディン


Thank you Tony, I love you.

トニー(アンソニーの愛称)がかつて言っていた東京に戻れる私、超絶ラッキー🤞

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