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「チェア」と見つけた 僕の庭(soul)         銀座花伝MAGAZINE Vol.55

#庭の哲学 #ソウルメイト#チェアと散歩#松下幸之助#屋上庭園#SONY


まるで人を帰したくないように降る雨。銀座の街にも、そんな豪雨が降り注ぐ日がある。

「あいにくの雨」などとつい口にしてしまうと、8丁目で江戸醤油を商う老舗の主人はこんな言葉をかけてくれる。

「天が味方してくれたんだ、って考えるといいですよ」

「恋人を帰したくない、から転じて留客雨(りゅうきゃくう)なんて言いますでしょ。雨にこのタイミングで降ってくれてありがとう、なんて感謝すると、結局天が味方してくれる、そんな結末がやってくるから不思議です」

このまましばらく雨が降っていて欲しい、そんな気分が心地いい老舗店主との語らいの時間だ。

本号では、SONY創業者・盛田昭夫の「庭」への信念、パナソニック創業者・松下幸之助の「哲学の庭」との出会いから、「庭」探索を始め、「銀座の庭」にたどり着いた青年の旅をお届けする。              銀座文化情報として、銀座エルメス・フォーラムの「土に学ぶ、五感で考える」展示、観世流・シテ方・坂口貴信師による「道成寺」舞台(坂口貴信・独立15周年記念)の企画をご案内する。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。





1.僕の中に棲む「庭」soul            ー都会を「チェア」と散歩するー


銀座の街で散歩ライブを始めてから、かれこれ20年は過ぎたが、いろいろな方との出会いがあった。

その中のいつも企画に参加し散歩をともにしてくれる一人の青年、彼の愛称は「チェア」という。

どこにでも携帯用の「チェア」を持ち歩き、必ず訪ねた場所で腰を降ろし、しばし思索に耽るという行動をとるのでそう呼ばれている、と知人が教えてくれた。彼は散歩ライブの道中でも実に上手に座ることを試みていたが、ジェットコースターのような散歩と例えられる我が散歩ライブ、流石に物足りなかったのだろう。終わってから改めて座りに行った、という話を漏れ聞いて笑ってしまった。

肌身離さず、いつも共にいるチェア。彼にとってそれはどんな存在なんだろう?と不思議に思い、一度尋ねたことがあった。

「あなたにとってチェアとは何ですか?」

青年は答えた。

「僕のソウルメイトです」

そんな「チェア」が、多くの場所を散歩する中で格別に気に入った場所があったという。それが、「銀座の庭」だった。

彼が語る、「庭」の話をお届けしよう。



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◇大都会に「庭」を創る人


散歩とは哲学のを鑑賞するに近しい。

そんなことを言った哲学者がいた。僕はその言葉がとても気に入って、「散歩」をするたびに「庭」を意識するようになった。

僕が散歩をする場所は決まって街の中だ。都会の中に庭を探し出すのは難しいのだが、東京には想像以上に緑が多いことに驚くとともに、この大都会の真ん中の銀座にもいくつか「庭」が存在していることを知って、森に人知れず潜む「泉」を発見するようなワクワク感に駆られて散歩をするようになった。

数寄屋橋交差点は、目の前が日比谷という銀座の北西端。400年以上前には入江でここから南側は海の中だったという。1966年4月29日のことだ。遠い昔のことでとても不思議なのだけれど、数寄屋橋交差点の一角に、「庭」という名のビルディングが現れた衝撃を今も覚えているのだ。建てたのはSONYの創業者・盛田昭夫という人だということは、随分後になって知った。創業当時、「なぜこの地に庭を?」と問いかけられた創業者は、その意味をこんな風に話したそうだ。

「こんな一等地にSONYの本社ビルを建てるなんて、手放しで喜んでいいんだろうか。あまりに無謀でおこがましい。悩みに悩んだ結果、SONYらしい情報発信基地になるのならば、開館する意味があるのではないか、東京・銀座の玄関口になるようなビルならば建築してもいいのでは-という答えを得て、建築のコンセプトを「庭」に決めたのです」。

因みに、こういう話を椅子に座って聞くのが僕は大好きだ。その時は、どうしても座って聴きたいのだ。神経を全て耳と脳に集中させるために。

この頃のSONYは、ウォークマンが誕生する10年以上前で、世界的なエレクトロニクスメーカーとして飛躍する前、黎明期だった。その後、2020年東京オリンピック・パラリンピックを目前にした2013年から、世間がビルの建築ラッシュに湧く中(銀座も例外なくビルの再建ラッシュに沸いた)、「あえて建物を立てない」選択をする。そして、2018年にSONYは 創業時の精神そのまま、本当に「庭」に生まれ変わった。
創業者の想いを本物の「庭」を作ることで実現させたのだった。

世間の動きとは全く逆の「都会の中に庭」を造る、という選択をしたSONY。
創業者が描いた「庭」にはとてつもなく深い意味が込められていたのだろう、そんなことを想像して微かな身ぶるいを覚えた。

庭には思わぬ宝物が潜んでいるような気がして、僕は、「庭」を見つける小さな旅に出ることにした。結局それは、自身の「庭」を見つけるための旅だったことが後から分かったのだけれど。



上空からSONY PARKを眺める(数寄屋橋交差点)



庭とは何か


僕たちが「庭」と気軽に呼んでいるその場所には、一体どんな意味があるのだろう。語源由来辞典によれば、「庭」について次のような説明がある。

『古くは何かを行うための平らな所を指して「庭」と言い、神事・狩猟・農事などを行う場所や、波の平らな海面などのことも言った。
「学びの庭」といった用法は、このような意味を持っていたことに由来する。奈良時代には、草木が植えられたり池が造られたところは「園(その)」や「山斎・島(しま)」と呼ばれ、「庭(には)」と区別していたが、平安時代頃から「には」が庭園の意味に転じた。』


大自然に擬して人間がつくった小自然の景観。原初は神を祀(まつ)る儀式の場であったり、農作業などの実用の場であったりしたが、文化が進むにつれて、人間と自然とのかかわりを求めて、住居を取り巻く環境として発達した、ということらしい。
家などの生活空間の周辺にあって、狩猟、農事を行うのが原義だが、「二(土。丹と同根)➕ハ(場)」と語源は考えられるという。

語源はそうだとしても、時代とともにその使われ方もさまざまだったようだ。

◇都会に棲息する「庭」


庭は思索の場

GINZA SIX には世界中のアート本を扱う書店があるのだが(銀座蔦屋書店)、その書店内にあるスターバックスコーヒーには、盆栽の名木が季節のみずみずしい姿をいつも披露してくれている。この春に、桜の古木の盆栽が大きなテーブルに置かれていて、桜の花びらが今まさに開こうとしている瞬間に会うことができた。植物が「生きてる」感覚とほとんど白に近い薄紅色が重なる美しさに心を奪われ、コーヒーが冷めるのも忘れて見つめ続けてしまった。

盆栽には本棚に置かれているものもある。
清涼感が漂う青もみじの盆栽が置かれている本棚の一角に、「庭」にまつわる本を見つけた。

「散策・哲学の庭」(江口克彦著)。

京都東山山麓「真々庵(しんしんあん)――松下幸之助が思索の場として選んだ庭園の四季折々の写真と示唆に富んだ文章をあわせて綴るフォトエッセイだ。一見してこの本には、いわゆる庭師が綴る庭園本とは異なる優れた視点があると思った。先ずフォトが、一本の松を斜め上から切り取り、小枝の生え際に注目したりして、木々が成長している様をよく捉えていることだ。

真々庵は、京都東山山麓、南禅寺の隣にある明治の有名な庭師による庭園を購入した、幸之助が、自分の好むように時間をかけて手を入れ、愛し続けた庭だ。特に晩年はこの庭を思索の場として毎週のように訪れていた。

文章は、著者の江口さんがこの庭で、松下幸之助から問わず語りで折々に聞かされていた話を平易な語り口でまとめたもので、フォトに表出した風情と相俟って、幸之助の心情が溢れているように感じられた。

中に綴られた逸話の中にこんな件があった。
庭木の枝を切る話をあげて、全体(組織)のためにやむなく枝(人)を切らねばならない場合もあるが、切った枝(人)に「いままでありがとう」という感謝の念を持つことの必要性を熱心に説いたという。冷静に判断しつつ情を添える経営者の要諦を述べる場面として胸を打つ。

一枚一枚季節が移り変わる写真を見ながら、幸之助が何を考え、何を願ったか、その思索の一端を手繰りながら、「庭」とは「哲学」だと分かった一冊である。

引き込まれるように読み込んだ「庭」の世界の中で、味わうコーヒーは格別の味がした。

豆知識:真真庵
真々庵は、鐘淵紡績重役で佐竹本三十六歌仙絵巻の分割購入者の一人であった染谷寛治の元別邸であった。数寄屋造の母屋と樹木に覆われた庭園から成っており、5千㎡ある庭園は東山を借景とする池泉回遊式庭園で、7代目小川治兵衛が1909年に作庭したものである。池には琵琶湖疎水から水が引き込まれている。

1961年、パナソニック創業者の松下幸之助が社長を退任してPHPの活動の拠点とするために、この別邸を購入した。PHPというのは1946年に創設された「Peace and Happiness through Prosperity」の頭文字で、「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」との意味が込められている。

庭園は入手当時かなり荒れていたと言われ、幸之助は自らの感性と哲学に基づいて京都の庭師・川崎幸次郎とともに、大改造して松下流に整備した。あえて名木や名跡を使わず、木々それぞれの個性を生かし、池を広げ滝を作っ
て動きを与え、灌木を取り除いて足元をすっきりさせた。さらに、東北の角に自らの念を収めた伊勢神宮の内宮を模した根源社(こんげんのやしろ)を設置、白砂と杉を配して神苑とした。池泉回遊式庭園の基本は守りつつ、帰るべきところは大胆に変える。組織にスーパースターはいらない、適材適所で個性を生かして全体の調和を重視する等々、幸之助の考え・思想を表現した庭と言われる。

ここは真実真理を探究する道場であり、また辺りがしんしんと静かであることから幸之助自身が真々庵と命名した。
 最初に 兜門を潜り、右手の木戸から中に入ると、貴重な白砂が敷き詰められた歩道の先に秋であれば美しい紅葉に彩られた池が見える。母屋からのその池と木々の向こうに東山が連なる眺めが素晴らしい。庭には、幸之助がその形を愛でたという赤松に出会いながら歩みを進めると、手前に白砂が敷かれた杉木立がある。幸之助が瞑想に耽ったという圧巻の眺めである。そこに「根源社」がある。このほかに庭には「真々茶室」、地下に国宝の作品展示もある。真々庵は、非公開。


真真庵(石庭)




◇天空にある屋上庭園

書店から、エレベーターで屋上に向かうと広々と空に抜けるような庭が現れる。GINZA SIX13階にある約4,000㎡の広さを誇る回廊式庭園だ。森林ゾーン、水盤ゾーン、芝生ゾーン、回遊広場が歩道に取り囲まれるように設計されている。ビルの正面を向いて左手には東京タワー、ビルの正面の右手に回るとスカイツリーがのぞめる。この日は朝7時と時間も早かったせいか、遠くに富士山も見えた。

そうした眺望も素晴らしいが、ここでの見どころは、銀座和光時計塔を始め近隣のビル群を見下ろせること、これこそがこの場所の魅力に違いない。
そしてわずか5mmに厚みを抑えた水膜を湛えるスタイリッシュな水盤(水桟敷)、とりわけ風のない時に遮るもののない空を映し出す水面の美しさと言ったら形容しようもない。
一方、水膜が風波によって揺れ動く様は、まるで一枚のアートみたいでとにかくカッコいい。

ここのランドスケープを創ったのは、ザ・キャピトルホテル東急や東北大学青葉山キャンパス・センタースクエアなどを手がけたデザイナーだったそうだ。「江戸の庭園と西洋の広場の融合」がテーマの設計。スタイリッシュさは江戸の粋に通じるのだろうか。一方で西洋ガーデンにあるように植栽には凝っていて、植物にかかったネームプレートをよく見ると、サクラ、ツツジ、アジサイ、カエデ、コナラ、キンモクセイ、ツバキなど、季節を感じる木々が多い。こんもり茂った森の中にマツがさり気なく混ざっているのもユニークだ。

マツの近くに、そっと「チェア」を置いて座ってみた。目線を落とすと、静かな水面と思っていた景色が全く異なって見える。水盤は生き物みたいにうねっている。

その光景を眺めながら、かつて中国を旅した日に見た水田風景を思い出した。中国のあちらこちらをかつて日本のIT会社でエンジニアとして一緒に働いた中国の友人に助けを借りながら、ヒッチハイクまがいに辿ったのだ。中国は農業国で、秦嶺山脈を境に河北、河南に分かれて生産される穀物の種類が異なる。河北は小麦中心のいわゆる粉食文化、河南は米中心の粒食文化が盛んなのだという。河南の洛陽郊外には広大な田園風景が広がっていて、その広大さは日本国内で見ることの出来ないものだった。

友人は、南宋の詩人・范成大(はんせいだい)、いわゆる田園詩人の詩を教えてくれた。

行間清浅穀紋(ぎょうかん せいせんにして こくもんしょうず)
ー水田には清らかな水が満ち、細かな水紋が生じるー

前後の句の詳細は忘れてしまったが、確か苗代はびっしりと、田植えはまばらに緑の絨毯が広がっている様を謳った「挿秧」(秧を挿す)つまり田植えの様子を謳ったものだという記憶がある。

水盤を見つめていると、そうした農業にこめられた豊年撃攘(ほうねんげきじょう)の声が聞こえてくるから不思議だ。

僕は農業から切り離された生活をしているのにもかかわらず、豊かな実りを知らせる声が聞こえてくるなんて。人には体験に基づかない遠い祖先の記憶というものが本当にあるのだろうか、そんなことを考えた。

1時間も座りつづけていただろうか。                  目を落とすと足元にバラ科のコトネアスターや薬草のユキノシタなどが生えている。Googleの植物図鑑(植物の名前がすぐわかる)のアプリを覗き込んだりしながら、視点を近くにしたり、遠景を楽しんだり、庭にある水盤の意味を朧げに考えなたりしながら、まったりと時間は過ぎていった。

正月2日には、この水盤が能舞台に変わると、教えてもらった。新春能といって、観世流の宗家や能楽師たちによる、おめでたい演目「高砂」が披露されるという。
「古くは何かを行うための平らな場所」を指した「庭」。神を祀(まつ)る儀式から始まった「能」がこの庭で披露されるという。なんという深い意味を感じさせる取り合わせだろうか。

「チェア」から体を起こして振り向くと、北側の一角には、靍護(かくご)稲荷大明神が鎮座していた。1929(昭和4)年、松坂屋銀座店の屋上に江戸の根岸の里から分霊・遷座した稲荷で、GINZA SIXとなった後も同じように屋上に鎮座し、銀座のパワースポットとなっているそうだ。稲荷の説明看板の隣には、銀座初の百貨店として開業した松坂屋銀座店の歴史が書かれた看板も立っている。


屋上の水桟敷




◇「歌舞伎座庭園」


知人に連れられて歌舞伎座で芝居を見た時のことだ。昼の部が終わり、合間に歌舞伎座の最上階にある庭に出て、その知人は先人たちが残した自然を眺めながら、かつての歌舞伎演劇の名残に思いを馳せるのが好きだ、と話してくれた。

それ以来、春ならば枝垂桜、初夏の始まりの紫陽花、重用の節句からしばらく経つと紅葉など、四季折々の自然の美しさが都会にいて味わえるこの場所が、僕の通う「庭」の一つになった。

小径を歩いていると、歌舞伎座の興行に関わった人々の「先人の碑」に出会う。「黙阿弥(狂言作家)の石灯籠と蹲踞(つくばい)」は歌舞伎作者 河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の旧邸から移設されたものだと聞いた。風情のある蹲踞の近くで木陰にチェアを置いてしばらくビル群の向こうを眺めていると、芝生の青青した伊吹がこちらに向かって波打っているように見える。

人気の少ないこの場所にチェアを置くと、庭に面しているカフェからも隠れてなかなか居心地がいい。

「五右衛門階段」を通り抜けて回廊を降りて行くと、歌舞伎座の粋な屋根を間近に見ることのできる場所に出る。屋根瓦に採用されているのは、「三州瓦」と言って愛知県の三河地方で生産される粘土瓦で、なんでも石州瓦、淡路瓦と並ぶ三代瓦の一つなんだとか。歌舞伎座に使われている瓦は10万枚。建て替え前の鬼瓦も生き続けている。100年以上経っても吸水性に優れ凍害にも強いので使用されているという。この瓦に太陽が当たると、屋根瓦全体が光り輝いているように見える。最近見なくなった瓦の美しさを再発見できる珍しい庭なのだ。


石灯籠のある庭



美しい三州瓦




◇「資生の庭」


銀座7丁目の並木通り沿いのビルの上にその庭はある。

銀座文化創生の立役者と言われる資生堂が、2013年10月の新本社ビル完成とともに屋上に設置した「資生の庭」だ。都会のど真ん中であることを忘れさせる静かで心地よいその屋上庭園は、100種類近くの植物が生息すると言われていて、想像を超える豊かな緑の世界だ。さすが、銀座の中でも、秘境のオアシスと噂される「庭」だけのことはある。縁あって、ここを訪れたときには森の中にいるような空気感に心底驚いた。

並木通りから白亜のビルを眺めると、この会社の理念みたいなものが迫って来るように感じる。資生堂のシンボルマークといえば、「唐草模様」。それにちなんで「未来唐草」と名付けられた白いアルミシェードが、無機質な壁面を包むように柔らかさを含んだ美しさを醸し出している。無機質な材質なのに、ふ〜っと息を吹きかけたら揺らぎそうな柔らかさがそこにはあった。建築物には環境性の高い資材を使用していて断熱性はかなり高いらしい。



資生の庭


庭は「鎮守の杜」「語らいの木陰」「知見の水辺」の3つのゾーンに分かれていた。ツバキ、イロハモミジ、アマナツミカン、オリーブといった木々の葉が風に揺れ、ヒヨドリや、蝶やミツバチの姿を見かけることもあると言う。

どうしてこんな都会のど真ん中にこの清々しい空気が造られているのだろう。庭園としては稀な気がするので、気になって庭番の方に伺ってみると、この庭の開設には、新本社ビル建築のために環境調査の専門家が実施した周辺地域の生きもの調査を参考にしたという経緯があるとのこと。つまり単なる屋上緑化ではなく、新本社ビルが都心の緑地である皇居や日比谷公園と、浜離宮恩賜公園を結ぶ約2キロの間にある立地条件を活かし、生物多様性への貢献を意識して植栽をしているのだ。へぇ、生態系への適合が清涼感を感じさせるのか。

中でも興味深いのは「知見の水辺」と呼ばれるエリアだ。綿の木は化粧コットンの材料、サトウキビは紙のパッケージや植物由来プラスチック容器に用いられるなど、資生堂の製品の原材料となる植物を植えて社員が学ぶ機会を作っていると聞いた。商品開発担当者と一緒に植えることもあるという。
社員がここに植えられている薬用植物の甘草(カンゾウ)を見て、『これが化粧水に使われる有効成分の元だったのか』と初めて知ることも少なくないという。実際に見て触ることで接客する場面でも説得力が増しそうだ。

薬用植物のそばに「チェア」を置いて座ってみた。中国東北部から,中央アジアおよび南ヨーロッパの乾燥地に分布する甘草は、時には1mにも達する植物で、葉は互生し、大きい物では20センチを超えた卵型や楕円形になる。6月~7月に淡紫色の花をたくさん密生させるという。僕が訪れた時がちょうどその季節で、可憐でいてしっかりとした甘草の花が咲いていた。もっと近づいて見ると、土壌の隅々まで驚くほどよく手入れされていることが分かる。
全ての植物に育て方のマニュアルがある訳ではなく、環境づくり部署のメンバーが、一株ごとに生育具合を見ながら試行錯誤していくというから、情熱を持って庭づくりを続けていることが分かる。こうしたことを、近隣の小学生を招いて環境授業として披露するという取り組みもしているのだと聞いた。


資生の庭「知見の水辺」



「資生の庭」には資生堂のもうひとつのシンボルマークである「椿(ツバキ)」も植えられ、赤い実をつけていた。資生堂は環境問題に熱心で、その一環として長崎県の五島列島、和歌山県白浜町、横浜市の「横浜こどもの国」などで、ツバキの保全活動も行っている。特に五島列島ではヘアケア製品の「TSUBAKI」の原材料にその実が使われるツバキを守り育てる活動を行っていて、原料産地への恩返しと製品への理解を深めてもらうことが目的だという。
銀座7丁目と8丁目にまたがる「花椿通り」の名は、昭和初期に出雲から寄与された「出雲椿」(ヤブツバキ)が街路樹として植えられたことが由来だった。銀座の街を自らのシンボルとともに培ってきた姿が垣間見える。

「鎮守の杜」には、銀座では通称「成功稲荷」と呼ばれている「満金龍神成功稲荷」が厳かに祀られている。毎年10月には、ビルの階下に降ろされ、並木通り沿いで一般の人々も参拝することができる。

資生堂の創業の地である銀座に植物や鳥など多くの生き物と人々が共に憩っている「庭」を見たとき、そこには社名の由来となった易経の一節「万物資生」(ばんぶつとりてしょうず:「全てのものはここから生まれる」の意)の精神を伝える姿が宿っていることを実感したのだった。
*「資生の庭」は非公開。

豆知識:資生堂                           資生堂は1872年(明治5年)に、福原有信が「良質の薬を提供し、人々に健康的な生活を届けたい」という思いのもと、日本初の民間洋風調剤薬局として創業。その後、福原信三が化粧品事業を本格的に展開し、現在のグローバルな化粧品事業の基礎を築いた。薬学でよりよい世界を願った有信と、美によって生活を豊かにしたいと思った信三。人が健康で美しく幸せに生きることを願い、それまでになかったものを生み出すことから、資生堂ははじまっている。銀座7丁目・8丁目界隈には、資生堂パーラー、資生堂ギャラリーをはじめとする画廊などが現在も資生堂の美意識の発信地として営まれている。


資生の庭「生息する花たち」



◇「野草の庭」

銀座2丁目の松屋銀座の裏通りを歩いていると、軒先にたくさんの野草を並べた店を見つける。野草専門の店「司」だ。入り口には使い込まれた麻の暖簾に「千客万来」と染め抜かれた墨字が揺れている。裏通りを行き交う人々が、野草の可憐な姿に足を止めて、かがみ込んで見入っている。畑や温室で育った花ではない、自生している自然そのままの花たちが集まっている。

店内に入ると、「ここは山里?」と見紛うほどに、山の上から風が吹いているような清々しい空気が溢れていて深呼吸をしたくなるほどだ。
段違いの木製の棚に置かれている古い陶器に大振りの枝が投げ込まれている。それは人の手の入らない、自然の中にあるままの姿で、曲がり、太さも枝ぶりも均一でない。
夕方になると、仕事帰りのサラリーマンが、野草ソムリエと短い会話を交わしたのち、野の花一輪を手にして帰路につく姿があって、都会だからこそのライフスタイルがカッコいいといつも思う。

この店の屋上には、野草の庭が広がっている。
春の芽吹きから始まり、初夏になると爽やかな緑がいっぱいに広がり秋には実をつけ、冬がめぐりまた新しい春が訪れる。田舎の里山にいるような、四季の移ろいと時の流れを体に染み込ませることができるのが、この野草の店の屋上にある「野草の庭」だ。



小さな小さな庭の初夏の楽しみは「藤の花」だ。藤と言えば、日本古来の花木と言われ、万葉集にも歌われているのが原種・野田紫。うす紅、むらさき、白、藤色と順に色が移り行くのが特徴だという。

この藤の樹齢はよく分からないそうだが、毎年実に見事に花をつけて、満開になると屋上から通り側へと枝垂れるので、この時期は裏通りから見上げるだけで藤を楽しむことができる。

無粋な僕でも、この庭の風景にはとりわけ心を奪われる。古い板が連なる飛石板を爪先立ちで進んでいくと、木枠に囲まれた小さな池がある。メダカや藻草が澄んだ水の中で揺らいでいる。その脇にチェアを置いて、身を預けると何だか棚田の海から里山を望んでいるような開放感に包まれて、時を忘れてしまう。

こんな深い緑の中に身を置くと、また共に中国の地を旅した友人の言葉を思い出す。
中国では、古代より役人や知識人は、自らの俸禄(給与のこと)や巨大な人口の基盤が農業によって支えられているという当たり前のことを忘れがちだという。そういう中にあって、農業や農民たちへの同情や共感を抱いて田植えの様子を詠ったのが、清の趙翼(ちょうよく)という詩人で、彼が農民の田植えをする姿を描いた詩が好きだと前置きして、教えてくれた。


観挿秧(秧を挿すを観る)

扶病東阡一倚杖(病を扶けて 東阡 一たび杖に倚る)
分秧愛看緑茸茸
(秧を分ち 看るを愛す 緑茸茸たるを)
我因無俸思勤稼(我 俸無きに因りて 稼を勤しまんことを思う)
人笑非官也勧農
(人 官に非ずして 也た農を勧むるを笑う)
整隊以申軍令粛(隊を整えて 軍令の粛かなる申すに似たり)
鞠躬豈習礼容恭
(鞠躬 豈に礼容の恭しきを習わんや)
只余袖手閑観処(只余す 手を袖にして 閑かに観る処)     
心愧泥塗戴笠傭
(心は愧づ 泥塗 笠を戴く傭)

〈現代語訳〉
ー稲の田植えを見るー
病の身をおして杖を頼りに東の道に出る、
稲の苗を分けて、緑の絨毯が広がるのを喜ぶ。
俸給がないので、収穫に励もうとするが、
役人でもないのに、田植えを勧めるのを笑われる。
隊列を整える様子は、軍隊の命令を発するがごとく、
身をかがめて敬う姿は、儀礼の作法を学ぶまでもない。
手を袖に入れながら、田植えの様子を見るとき、             笠をかぶり、泥だらけになって働く人に恥ずかしく思う。


彼は、「身をかがめて苗を植える姿が、相手にお辞儀をしている姿に見える」という句が一番心打たれると明かした。

僕たちは「自分たちの生活が農民の人たちの働きによって支えられていることを、時々忘れるよね」と自分のことに比較して恥じるような瞳を僕に向けた。たじろぎながら僕は、そういう発想も持たずに暮らしている自分こそ恥ずかしいという気持ちになってしまったことを今になっても思い出すのだ。

紙片にメモ書きしてくれたこの詩は、あの日の思い出として僕の宝物になった。この野草の庭に座るのは、それを思い起こすためだ、と自覚している。





コロナ禍以来、自宅マンションのベランダや、自宅の屋上などに野草の庭を作りたい、という希望が寄せられることが多くなったという。
野草というのは育てるのが難しいのですか?と、そうした人々から聞かれることがあるのだそうだ。野草ソムリエにその辺りを尋ねてみると、「難しいというのは高山植物のことで、いわゆる里山の野草は元々私たちの暮らしの中に自生していたものですから、そういうことはないんですよ。よく誤解されている方がいらっしゃいますが、、、」ということだった。

自分の暮らしの一角に、野草を植えて、身近に眺める生活もいいかもしれない、と庭のある暮らしに思いを馳せた。


好みの鉢に野草を植え込む


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おわりに ーいつかの SONY PARKー


今は、数寄屋橋に新たなSONY PARKが建設中(2024年完成予定)だが、これまでもPARKにはいつも遊びがいっぱいで、都会にありながらメッツァ(水と緑の森のイメージ)の趣がある。かつてその森の中に、おしゃれなワゴン車が駐車していた。それは東京FMのサテライトラジオ局でもあり、銀座の今を伝える象徴として、シルバーの輝きを放っていた。しばらく頑張って放送していたが、コロナ禍で2021年にクローズしてしまったのがとても残念だ。


シルバーワゴン・東京FM


僕がこの庭で特に印象的だったのは、「移動本屋 BOOK BOOK TRUCK」。TOKYO ART BOOK FAIRのイベントで、見たこともない珍しい本と出会えたことは忘れ難い思い出だ。中でも好奇心が揺さぶられたのは、オランダ・アムステルダムに拠点をおくインディーズ系アートブック専門の卸会社・アイデアブックスが、世界中の珍しい国の展覧会カタログや、建築、写真、絵本、洋書などを厳選して車に積んで現れていたことだ。その本の流通スタイルもとても共感したし、文化発信する銀座の玄関口として魅力的だと感心したものだ。

もう一つ、移動本屋で素晴らしいと思ったのは、市場に出ない詩集などを積んで、全国を走り回る「ペンギン文庫」という本屋。様々な土地でワゴン車の中に本屋を開き、本と本屋の持つ新たな可能性を追求しているという話を聞いて、「移動」という手段の奥深いポテンシャルに感動したことだ。



移動式本屋



「チェア」はソウルメイト


人と語らう時(特に「庭」でのことなのだけれど)、いつも僕は「チェア」と一緒だ。これに座ると、周囲の人たちは奇異な目で僕を見るけれど、中にはとても面白がってくれる人もいて、会話が弾むことが多いのだ。

人間にとって「座る」とはどんな意味があるのだろうか、と考えてみたことがある。アンドロイドを人間そっくりに開発している、ロボット工学者の石黒浩さんが、椅子の発明は人類にとって最も大切なことで「人間らしくあるために椅子がある」とまで言っている。立つ・歩く・寝るといった行動は、人間を含めて多くの動物の基本行動だけれど、「椅子に座る」という行動は人間しかしない、というのだ。なるほど、その話を聞いて僕は「人間でいるために椅子に座ってるんだ」と、とても納得したことを覚えている。

とはいえ、僕は「人間でいるため」をことさら自覚して、チェアとともにいる生活をしているわけではない。僕にとって「チェア」は、「ソウルメイト」なのだ。

ソウルメイトとは、soul(魂)とmate(伴侶、仲間)を組み合わせた造語だと言われる。「座る」ことで新鮮な視点を提供してくれる、パートナーと言ってもいい。
そのいつも一緒にいてくれるパートナーのおかげで、僕は自分の中にある「庭」の存在を見つけ出すことができたのだ。





2.銀座文化情報

◇GINZA MAISON HERMÈS Le Forum


銀座6丁目にある、銀座メゾンエルメス 8・9階において、「土に学ぶー五感で考える」をテーマに変化を学びに変えるフォーラムが開催される。


土は、地球が生まれ、大地がまだ海の中にいた頃からの記憶をもつ、人間の一生を遥かに超えた時間を宿す素材であり、太古から、動物・植物・土壌生物・微生物などあらゆる生物のすみかとして、その生命を育む場となってきました。また、地球上の人口の約3分の1は、土の建築に住んでいると言われています。本企画では、土をひとつのタイム・ベーストなメディアとして捉えます。ここで扱う時間軸は、生と死、起きることや眠ること、その循環、その間にある生命の営みや生活といった人間中心のできごとにとどまりません。人間以外の生物、あるいは地質学的なスケールで土の時間といった、死や眠りを超えて後世へ遺され、再生し続ける土について、五感で体験し、味わう、会期を通して変化する学びの場を観客のみなさんとともにつくっていきます。

エルメス財団は、これまで自然素材にまつわるスキル(職人技術や手わざ)の伝承、拡張、知識の共有を目指すプログラム「スキル・アカデミー」の一環として、2024年3月に中高生を対象にした「春のワークショップ:土に学ぶ、五感で考える」を開催。その成果発表となる本企画「夏のオープンクラス」は、春に得たさまざまな土との出会いを入口に、土にまつわる学際的なスキルを専門家と共に広く共有すると同時に、土を廻って交差する時間軸について継続的に学び、考える場の実現を目指した取り組みだ。

フォーラム展示では、土から学ぶ・手入れする:土の「スキル」を継続的に学ぶプラットフォームが披露される。

「呼吸する」「代謝する」「排泄する」「休む」といった生命維持に必要な様々な機能をもった「すみか」として広がる、家としての建築とその庭の広がり。その空間を日本の左官文化を推進する左官たちの技が創り出す。

このプロジェクトに加わった、日頃銀座花伝プロジェクトを応援して下さる左官の佐藤紘史さんからメッセージが届いています。

左官パートナーの都倉さんにお声がけ頂き、チームの一員として現場に入ります。 尊敬する職人と、エルメスのものづくりの理念を実現する試み、微力ですが力を尽くます。ご多用と存じますが、ご都合の良い時がございましたらお立ち寄り頂ければ幸いです。




◇能 「道成寺」 ー坂口貴信独立15周年記念ー


「三人の会」特別公演                                                                                          と き:令和6年9月21日(土)14時開演(13時20分開場)
ところ:観世能楽堂(GINZA SIX 地下3階)

道成寺は、能のなかでも大曲の一つである。観世流シテ方の坂口貴信師が独立15周年を期して、3度目の「道成寺」に挑戦する。力量のある能楽師しか取り組むことのできない話題の舞台である。

【乱拍子】
見せ場のひとつである乱拍子(らんびょうし)は、シテと小鼓で演じられ、15分ほども両者の息使いだけで間を合わせ、続けていく難所。小鼓はシテに向かい合うように座り直し、集中した世界を創っているライブ感は、他曲では味わうことのできない迫力の瞬間である。

【鐘入り】                             最大の山場ともいえる鐘入りは、落ちてくる鐘に、シテが飛び込む大変危険な演技で、鐘はとても重く、タイミングが合わないと、大きなケガを負い、死に至るような危険もはらんでいると言われる。「命懸けの演目」と称される所以である。鐘入りで鐘の綱を手放す「鐘後見(かねこうけん)」は、シテに次いで重い役割といえ、力量のあるベテランが務めることになっている。

【装束替え】                            後場への面・装束の付け替えは、シテが真っ暗な鐘の中で、たったひとりで行う妙技である。後見なく、ひとりで装束替えを行うものは、現存する曲では道成寺ただひとつだけ。シテは、その他にも鐘の中で、地謡に合わせて鐘を揺らす、鐃鈸(にょうばち)といった特殊効果を務めなければならない。

「道成寺」は、鐘にまつわる物語であり、始め鐘後見によって鐘が吊り上げられ、曲中、鐘入りがあり、また鐘楼へ戻るといった具合に、ある意味、鐘が主役を担っています。一般に、舞台を水平に使う能の中で、「道成寺」は、空間の垂直性に目を向けた、新たな試みの名曲とされる。




3.編集後記(editor profile)

今夏、銀座エルメスで開催される「土(つち)」に連なる、自然と祈りのフォーラムは、この秋から、空気、水、重力をテーマに「地上にひとつの場所」を創り続けている、美術家・内藤礼の空間創造に引き継がれる予定だ。

内藤礼といえば、瀬戸内国際芸術祭の豊島における「豊島美術館」の湧水と自然との融和を表現した「母型」や、「breath」(ミュンヘン州立版画素描館、2023年)など、日本のみならず世界中で、日常のささやかな事象を受け止めることによって、私たちに「地上に受けた生の喜び」を伝えてくれる作品群で広く知られている。

現在、東京国立博物館において、その内藤礼の個展が開かれている。生まれておいで 生きておいで」「(6/25-9/23)。人間の生と死が連なる慈悲を、東博に収蔵されている、縄文土器・重要文化財の《足形付土製品》(紀元前2000〜1000)などをはじめ、内藤がインスピレーションを得た土器とのコラボレーションで実現している。


一個人の個展が巨大な東博で開催される、それ自体が驚きだが、現地に行ってさらに身動きができないくらいの衝撃を覚えた。会場は3会場に分かれていて、中でも150年前のレリーフがそのまま残る、本館特別室の吹き抜け空間で表現されている「色彩と生」「風景に物語」「光に祈り」の創造。内藤自身が手がけた座する場所が提供されていて、そこに座りながらこの空間に身を置くと、目には見えない、耳では聞こえない、時空を超えた交感が内側に訪れ、慎独の精神世界に誘われる。

筆者はこの度、初めて東博の建築物の美しさにも魅了された。それを生かしたのは内藤礼の空間表現だった。
その点をキュレーターにお話しすると、「私たちもこれほどこの建物が美しかったのかと発見したくらいでした」と内藤とのコラボの衝撃を語っていた。

秋から銀座エルメスで開催される、内藤礼の個展(2024.9.7〜)も今から楽しみである。


第三会場本館ラウンジ 内藤礼《母型》(2024/2022)                    東京国立博物館とエルメス財団との共同企画


本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子


〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊





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