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銀座花伝MAGAZINE vol.14

#花を見て微笑む  「風姿花伝」朗読と感性の進化

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前代未聞の静かなお正月は、危機的状況にありながらも、考え方一つで暮らしを瑞々しくすることができることを私たちに教えてくれています。

「花を見て微笑む」

師が花を指差すと弟子がニッコリ笑うという逸話から生まれた禅の佳境を表す言葉。花の植物的意味を超えて、ゆったりとした心持で「今直面していることを大事にして、向かい合うこと、行動することの大切さ」を示しています。どれほどの困難も日本人の知恵と美意識で生まれ変わることが可能だと、これまでの1年にわたる新型ウイルスとの闘いがその可能性を引き出してくれたようです。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。

事始の新春に、「風姿花伝」(世阿弥)年来稽古条々から、稽古を通じての年齢ごとの人間の成長・進化、感性の磨き方指南を、観世流能楽師・坂口貴信師による朗読と講話、実演の模様をレポートでお届けします。昨年8月に築地本願寺・銀座サロンで行われた「能楽師直伝 能楽・狂言講座」を編集した内容です。「成長とは何か」を実感させてくれる貴重なお話しをお楽しみください。


かもめ


◆銀座 おうちで茶の湯/花一輪 「小宇宙に気づく」

年に一度、創業100年巧藝陶器専門店「東哉」では、女将主催の「絵付け習い」が開催されます。映画監督の小津安二郎や歌舞伎役者の坂東玉三郎もこの老舗の美意識に惚れ込んだという話は有名です。京都職人による手ほどきを受け仕上がった仁清(萩の花/金載)。世界に一つの自分茶碗が窯元から届いた時の感動は言い尽くせません。お正月には、一番のお茶を点て、そのお茶碗でいただく一服の時間、ささやかでありながら最高の1日を得られた悦びです。

新春茶

手のひら茶碗に「地球」が見える

いつもと同じように点てた抹茶のはずが、今年のお茶は景色が違って見えます。コロナ禍の中、自分の時間を大切にする習慣が心底から身についてきたからでしょうか。お手前の作法や味については一旦横に置いて、まずは「向かい合う心」で、じっくりとお茶碗の中の緑を覗き込みます。深く呼吸をしながらしばらく時を忘れて見つめていると、不思議ですね、小さい茶碗の中に丸い鮮やかな緑が浮かび上がる。そこには自然豊かな「地球」が見えてきます。

茶小宇宙

自然と共生している実感

2度目の緊急事態宣言で人気の少なくなった、銀座マロニエ通り。横道に入ると日本中の山里から届けられた「野花」の香りが店先まで漂ってくるのが、野花専門店「司」です。全国の農家から自然のあるがままに届けられた四季の花々が、今日出会えるお客さまを待っています。仕事帰りその日の心持ちにあった花を一輪だけいただいて帰路に着きます。

新春の花

室内に生けられた「一輪」のまわりには、豊潤な緑を抱えた山里が見えるようです。たった一輪でも「花を見る」者の心持ち次第で、おうちでも地球を感じることのできる空間が生まれることに驚きます。想像力は私たちの暮らしを豊かにしてくれる魔法の恵みです。

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冬のお茶



◆おうちで和歌 「三十一文字」(みそひともじ)の美学


新年になるとその名を多く聞く、稀代の天才歌人・藤原定家(ふじわらていか)。万葉集と並び日本人の心の根幹とも言える、新古今和歌集や百人一首を編纂しました。千年を超えて現代に生き続ける歌集編纂にあたって、当時の貴族・武士・文化人の膨大な歌の中から選んだ「名歌」の基準について次のように述べています。

「心より出でて自らさとるものなり」

技法などではなく自分の心の中から出たもの、それを自身が信じ切れているかどうか、その点に時代を生きた歌の文化的価値がある、と。時は移りAI時代「データを広く集める時代」になり、人間がそれに勝てるのかという問いかけで社会不安が蔓延している今日、定家の言葉に、私たちは「自分の心の中から湧き出る」ものを信じて行動していいのだと、背中を押される思いがします。名歌人たちの人生が映し出されたその歌は「あるべき世のあり方」をも映し出しているようです。

さて今回は新年に相応しく、時を超えて歌い継がれる百人一首から力強い心情あふれる歌を一首。

百人一首 大納言公任

百人一首 公任

滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ      ー大納言公任 「百人一首」(55番) 「千載集」雑上・1035ー


滝は枯れて、その音はもう聞こえないけれど、その名声だけは人々の間で語り継がれている。「栄枯盛衰は人の世の常。人はやがて死んでいくものですが、世の中には不滅のものがある。例えば、滅びの美学を語る平家物語そのものが依然我々の知るところであるように、名品というものは作者の死後も、作者に代わって生き続けるものー」滝になぞられて自らの心情をストレートに表現しているこの和歌。あまたの先人のように、人々の間で伝説になるような名作・名品を残したい、そんな叫びを実感できる名作です。

【大納言公任(だいなごんきんとう)】関白太政大臣頼忠の子供で、四条大納言と呼ばれた。非常に博学多才で、作文・和歌・管弦をよくする「三船(さんせん)の才を兼ね備えていたと言われる。「和漢朗詠集」の編者。


この歌の舞台は、現在の京都の嵐山にある大覚寺。この寺はかつての嵯峨上皇の離宮。公任の時代にはすでに滝は枯れており、作品に描かれたことで今の時代まで伝わる滝となりました。まさに想像力がもたらした賜物。この歌を詠んだ大納言公任も、まさか千年後にまでこうしてインターネットで、この歌が人々に読まれることになるとは想像もできなかったことでしょう。

PCと私



◆能のこころ特集  音感豊か「風姿花伝」 朗読と語り       観世流シテ方 坂口貴信師 in築地本願寺・銀座サロン


築地本願寺イメージ


◉ 能楽師直伝「能楽・狂言」講座 レポート

2020年8月28日(金)築地本願寺・銀座サロン会場において、リアル講座とWEBの同時配信が開講されました。世阿弥の「風姿花伝」の朗読と坂口師の能楽稽古における数々のエピソードを織り込んだ語りは、まるで謡を聴いているような情感に溢れています。実演の謡では、その極意「身体がスピーカーになること」を体感、所作の「感情表現」などの奥義にも触れることができました。
当日ご講話の内容を基に若干の解説を加えて編集したレポートを前編と後編に分けてお届けします。(編集責任/岩田理栄子)

能楽講座 内容

【前編】
 1 銀座と能楽と観世通りと(150年ぶりの銀座帰還)
 2 世阿弥「風姿花伝」朗読 人生をどう生きるか(エピソード語り)
【後編】
 3 実演① 謡 ツヨ吟×ヨワ吟 うたくらべ指南「高砂」×「羽衣」
 4 実演② 型(所作) 能楽師の視点


【前篇】

語り坂口1

        「風姿花伝」朗読風景/坂口貴信師

1 銀座と能楽と観世通りと(150年ぶりの銀座帰還)

坂口:銀座能楽堂にいらした方は、どれくらいいらっしゃいますか?(半分強挙手)。銀座とのご縁をお話ししますと、銀座能楽堂は銀座中央通りを真っ直ぐ銀座4丁目の交差点を過ぎて、左側にGINZA SIXという建物の地下3階に観世能楽堂がございます。元々は、観世能楽堂は渋谷の松濤にありましたが、三年前にこちら銀座に戻って参りました。江戸時代、銀座には7・8丁目に金春流の屋敷もありました。その時と同じ時期に、観世家もこの2丁目(ガス灯通り)に屋敷を拝領しておりましたが、その本拠地がまさに今講座を行なっているこの場所というご縁です。当時は観世通りと呼ばれていた時期もあります。江戸幕府の式楽だったこともあり、当時は銀座には能楽五流派(観世・金春・宝生・金剛・喜多)が屋敷を構えていました。

能はよく「難しい」、「何を言っているか分からない」と言われることがあります。実は私にとってもとても難しいものなのです。かなり、分からない(笑)。私なども、観世流にはない他流派の現行曲(現在上演する演目のこと)などを拝見した時、全く分からないということがあります。現在観世流には、210曲の現行曲と言われているものがあります。一見難しそうな能の世界ですが、それぞれの曲の見どころを見つけていくと、一つずつ面白味が湧いてきます。 

2歳で能の初舞台を踏みました。九州福岡の代々4代続く能楽師の家に生まれ、母方の祖父も能楽師という家系です。幼少期で思い出すのは、とにかく「能面」が大好きだったということ。縁日でよくいろいろなお面がずらっと並んでいる屋台がありますが、そのお面を子供が欲しがるのと同じで、早く自分も能面をつけて舞台に立ちたいと強烈に思っていました。そして、能装束の美しさにも、気持ちが奪われたことは忘れられません。

本日は、世阿弥の「風姿花伝」の年代を追っての成長を説いた「年来稽古条々」から、それぞれの年代で何を目指していくのがいいのか、私自身の修行、稽古、生き方もまじえて現代語訳を朗読しながらエピソードで綴りたいと思います。


2  世阿弥「風姿花伝」朗読 人生をどう生きるか  (エピソードと共に)

*【風姿花伝】朗読がこれほど、美しく音感豊かに心に響くという体験を他に知りません。ありそうでなかった「音」でたどる風姿花伝の朗読の様子を想像しながらお読み下さい。

坂口:世阿弥の「風姿花伝」を読むには、この「すらすら読める《風姿花伝》」がとても分かりやすいです。本当に、すらすら分かります。(笑)私の東京藝術大学時代の国文学の恩師、林望(はやしのぞむ)先生、通称りんぼう先生のこの本を、読み進めながら、私の能楽の稽古や人の成長のお話を交えてみたいと思います。
世阿弥の「風姿花伝」の最初に書かれているのは、「年来稽古条々」の段です。これは年代ごとに、どんな稽古をするのか、成長にとって何が大切なのかを説いています。

風姿花伝本


【風姿花伝】第一年来稽古条々 朗読 

現代語訳(出典:「すらすら読める風姿花伝」林 望著より)の一部を抜粋、対応箇所にまつわるエピソードをその後に続いてお話しいただく形式で掲載しています。


7歳

一(ひとつ)、能楽の稽古は、だいたい七歳時分に始めるのが良い。この頃の能の稽古というものは、ともかく自然にまかせるということが肝心である。どんな子でも、それぞれがやりたいようにやらせておくと、その自然に出てくるやり方の中に、必ず個性的なありさまが見えてくるものだ。
舞やしぐさのなかに、また謡いにのせて所作はもとより、さらにはたとえば怒気を含んだ鬼物の所作などの場合であっても、本人が何心もなく思いついて見せる動きなど、皆その子の好きなようにそのままやらせておくのがよい。
この時分には、「こうするとよい」とか事細かに教えるのはかえって良くない。あまり口うるさくあれこれ注意すると、子供というものはかえってよくない。あまり口うるさくあれこれ注意すると、子供というものはやる気をなくして、能なんか面倒臭いなあと思って怠る心ができるから、すなわちそこで能の進歩は行き止まりとなる。
そうして、子供には、謡い、しぐさ、舞い、という基礎的なことだけを教えて、それ以上のことはさせてはいけない、子供の中には、もっと手の込んだ写実的演技などもさせればできる者もいるけれど、あえてさようなことは教えぬ方が良い。(後略)


坂口:現代で、最初にお稽古を始めるのは6歳の6月6日、などと言われます。それは、この世阿弥の考え方が今に残っているからです。この時期は小学生ごろですね。
私は、福岡の能楽師4代目の家に生まれ、母方の祖父も能楽師という環境でした。二歳の時に「鞍馬天狗」で初舞台を踏みました。ここにも書かれているように、始めは、伸び伸びと行うことがよろしいと書かれています。能の進歩とはそうしたもので、その最初の一歩のあり方についてここでは書かれています。この時期に小手先の演技をすることを特に戒めています。子供の性分によりますが、私は舞台に出たくて出たくてそれが楽しみだったので、いざ本番で出ていかない、ということはなかったのですが、同じ兄弟でも妹は、いざというときに「出たくない。」とだだをこねて舞台に出なかったものです。それでついに、能楽師を諦めてしまいました。


能は、動かないこと=演技である、のです。だから、とにかく動かない稽古を最初に身につけるわけです。よく、地謡をやっている様子をご覧になって、足が痛くならないのですか?と聞かれますが、痛いです(笑)。でも、動いてしまうと、お客様の目がそこに行ってしまいます。舞台をダメにしてしまう。ですから、座る、動かない、ことをまず身につけていくのです。


12歳

このくらいの年齢になれば、謡う声もだんだんと能の音階に合わせられるようになり、もう内容的なこともちゃんと理解できるころであるから、謡い、舞い、演技とも、順々に少しづつ数多くのことがらを教えて良い。
なにぶんにも、華やかな稚児姿なので、何をどのように演じようとも華やいだ美しさがある。しかも、声もよく通るようになっている。この2つの美点があるのだから、欠点は目立たず、良いところはますます華やかに見えてくる。
とはいえ、概してこうした稚児たちの申楽には、あんまり細密な写実演技などをさせるものではない。そういうのは、目の当たりに見ていてもいっこうに似つかわしいとは思えないものだし、また将来上達が止まるもといである。ただし、この年代の子供の中には、なんでもできる者がある。そういう稚児は、何をどう演じてもよろしかろう。何しろ、姿はお稚児の華やかさ、声も朗々と響く、しかも上手に演ずる子とくれば、そりゃ何をやっても悪かろうはずがない。

とは言いながら、この花は本物の花ではない。言ってみれば、ちょうど良い年齢ゆえの花が備わっているからして、この時分の稽古で達成したことが一生の芸の格として身につくというわけでもない。(後略)

坂口:この時期は、中学生の頃です。私の祖父と父の教え方が世代のせいでしょうか、異なっていたので、どちらの教えで覚えたらいいんだろう、と随分迷いました。どっちなんだろう?と。                
今振り返ると、その時に思い定めたことは、「正しいことは一つではない」結果「正解はひとつではないから、自分で考える」ようになるのです。
  まだまだ能の深さがわかるわけではない。少年時代はチヤホヤされます。その時代の伸ばし方は、基礎を大事にすること、とここでは述べています。

新芽



17:8歳

この年頃はまた、なんとしても難しい時期で、稽古しすぎてはいけない。
まず声変わりということがある。これによって少年期の艶かしさは失せる。また、体つきも、手足が伸びて、変に腰高になるので、見ていて不安定な感じがするために第一姿が悪くなる。それまでは、声も朗々として美しく、姿は華やかであってなんでも自在にできた時期であったけれど、そのあとで何もかもがぱたっと、一変してしまうわけだから、どうしてもここで気力が萎えてしまう。その結果、見物の人たちもありゃ変だなあと思っているらしい様子がそれとなく分かるので。やっぱり恥ずかしいし、それやこれやでこの年齢のころに挫折してしまうことが多い。
だから、この時期の稽古は、舞台では指さしして嘲られることがあろうとも、それは気にかけないこと、そして、家に帰ってからは、あまり無理な声高など使わずに、そこそこ届く程度の高さの声で、良いには十分に声を出し、朝にはちょっと控えめにして発声を整える。心の中に神仏かけての願力を奮い立たせて、おのれの一生ぶんの分かれ道はここだ、と覚悟し、これから先、生涯をかけて能を捨てずに精進するということの他に稽古の方法もないのである。この時期に諦めてしまったら、もうそれっきり能は行き止まりとなる。(後略)

坂口:今でいう、高校生の時代。「一生の分かれ道」はここである、と世阿弥は述べています。思春期で体の成長と心の成長がアンバランスな時期、声変わりもします。
・稽古しすぎてはいけない。
・気力が萎えることに注意が必要。見所(観客)から変だと思われることを気にしない。

私自身は、13歳で子役を卒業後、中学時代は「大人の役もできない」というとても辛い時期をむかえます。高校受験だからと、中学時代は稽古することを止められました。ところが、ストレスが溜まって帯状疱疹に悩まされました。
シテ方は元服(15歳)まで面をつけることは許されないのです。それで、ようやく15歳になった時に、初面(はつおもて)をさせてもらいました。先にもお話ししたように、とにかく幼少期から能面が大好きで、7歳から待ちに待った面をつけるということを本当に心待ちにしていました。14歳で「石橋」(しゃっきょう)が許されて、もう嬉しくて嬉しくて、1日でも早く本番で付けたいと切望しました(笑)
蕁麻疹が出たことの経過を経て、それまでは、能を自分は好きなのだ、とはそれほど思っていなかったのが、本当に「能が好きなんだ」と気付いた瞬間だったと思います。
「一生の生業」にしたいと、体が悟ったのだと思います。

最近の若い能楽師は、腰高で7頭身。観世宗家には江戸時代の装束などが保管されていますが、そのサイズの小さいことに驚きます。
17・8歳頃は、体の変化から腰高のために重心がずれます。力を入れてもバランスが悪い。今までできたことができない。心・声・・大人になりきれない、これで挫折しそうになります。

人生の岐路



24歳

このころ、一生の芸能の位が定まる。ちょうどその分かれ目のところに当たっている。だから、稽古もここ肝心かなめの所である。変声期は既に終わり、身体も安定してくる。しかるに、能という芸能にとっては、2つの幸いがなくてはならぬ。声と体の2つである。この2つはまさにこの時期に善し悪しが定るといってよい。そうして、これから段々に全盛期に向かっていく本格的芸能の生まれてくる時期がこのころなのだということができるであろう。
さあ、難しいのはここである。何しろこの時期には、第三者から見ても「ややっ、これは上手な役者がでてきたぞ」というようなことになって、やたら称賛を浴び、人目に立つということがある。そのために、たまさか名人と呼ばれるような人と能の立合い勝負をして、若造のくせに勝ったりすることもある。これはしかし、叙上の意味でかりそめの物珍しさの魅力で勝っただけなのだが、それでも周りはチヤホヤするだろうし、勝った本人はすっかり舞い上がって、オノレはもう上手の位に上がったものだと思い込んでしまう。
これは返す返すも本人のためにならぬ。この自分の魅力というものもまた、まことの花ではない。若盛りの美しさと、まだ物珍しさが見る方にあるための、かりそめばかりの魅力なのだ。そのところを、ほんとうに目の効く人はちゃんと見分けるであろう。(中略)
すなわち、こういうことである。
一時かりそめの花を本当の花だと思い込んでしまう心が、真実の花に遠ざかる心である。そんなふうにしても、誰も彼も、この一時かりそめの花を褒められて有頂天になる結果、すぐにその花は失せてしまうのだということも悟らない。
「初心」というのは、子ども時代のことではない。まさにこの人も褒める若盛りのことなのである。(後略)

坂口:この時期は今の大学生から社会人にあたるでしょうか。私は現在東京藝術大学の講師をさせていただいておりますが、邦楽・能楽を専攻する学生が大変少なくなっていることが気になります。今回の新型ウイルス感染の関係で授業もリモートになり、ますます本物の稽古に触れることができなくなり、今後能楽界の存続も含めて役者が育つのかどうかとても危惧しています。
世阿弥の「24・25」では「初心とは何か」を問いかけています。稽古でも肝心かなめの時期だと説いていて、「声」「身体」がこの時期にその善し悪しが決まってしまうのだと指摘しています。
難しいのはこの点です。ここでのキーワードは「真の花」「若盛り」「かりそめの魅力」こころして「初心」の意味を心得よと力説しています。

ちょうどこの時期25歳から、私は観世宗家での住み込み修行(内弟子)を許され八年に及ぶ書生時代に入ります。観世宗家の内弟子になるということは、「観世家の人間に」なることを意味します。観世の家庭の子どもになるという意味合いにもなります。そのことがなぜ大切かと云いますと、観世家には、世阿弥の直筆本をはじめ能の貴重な装束、面などを所蔵するお蔵がありますが、そこの管理を任せられるからです。家族のつながりほどの信頼がなければ内弟子はつとまらない。観世家の凄い所は、これら貴重な資料を国ではなく、観世個人が管理している点なのです。
内弟子時代は、室町時代からの貴重な所蔵品を管理できる嬉しさに感激しました。それを生で見る機会に恵まれることに心から感謝したものです。
さらにその時代の芸の習得についていいますと、師自身の稽古に立ち合い、曲を仕上げて行くプロセスを間近で拝見できるという点で大変恵まれていました。兄弟子のみなさんの稽古もありますから、そうした中で芸をぬすんでいく、それ自体が大変貴重な稽古でした。

竹柱




34歳

この年頃の能は、あらゆる意味で全盛を極める。したがって、この時期に至って、この伝書に書きおくる条々をよくよく悟得して、行き届いた芸域に達するならば、必ずや天下(都)の見巧者(みごうしゃ)にも認められて、芸能社として一流の名を得るであろう。反対に、もしこの時期になっても、天下の見巧者には認められず、その結果大した名声も得られないのであれば、一見いかに達者に芸をするように見えても、それはいまだ「真実の花」と会得(えとく)している(役者)とは考えがたい。そうして、もうこの年頃が絶頂の時期なのだから、もしこのころまでに「真実の花」を会得し得なかったならば、万事休す、四十を越えてからは誰もその力量が衰えていくことが避けられない。したがって、四十を過ぎてからどのように芸が落ちて行くかということを見れば、その者が真実の花を会得していたか否かが分るというものである。(後略)

坂口:世阿弥はこの時期を能役者にとっての絶頂期だといい、大変厳しい言葉で「真実の花」の役者になることの意味を説いています。
世阿弥の時代に芸能者になるということは、天下・権力者に気に入られて、都の文化人であるところの将軍に寵愛されることだと考えられていました。そのなごりが、現代に至っても「能が非常に難しく」、一般人にとって「敷居が高い」と感じさせてしまう理由ではないか、という気が私はしています。
とはいえ、今私は四十代ですが、以前四時間睡眠でのりきれたものが、だんだん睡眠不足に耐えられなくなりますし(笑)、体力的な点をいえば世阿弥の言葉の通りだという気がします。

稽古美少年



44歳

この年ごろからは、能の演じ方が、がらりと変わるはずである。たとい天下に名人の声価を許されて、実際に能の奥義を得悟したとしても、大切なことは、良い助言者を持つということである。前段に言った「真実の花」を会得した名人ともなれば、そうやすやすと技量が下がっていくこともあるまいけれど、ただ年齢というものはいかんともしがたいところであって、だんだんに高齢になっていくにしたがって、身体的な華やぎも、また観客から見た魅力も失せていくのは、避けられない。
たとえば、ともかく抜群の美男などは別として、相当姿よき人であっても、面を掛けずに素顔で演じる演目(直面/ひためんの能)は、年寄ってからはとうてい見られたものではない。(中略)
とはいいながら、本当の名手ならば、この年齢になってもなお見どころ魅力が充分のこっているはずで、その失せないでのこっている花こそが、本当の花であるに違いない。
こうした場合、五十ちかくまでなお残っている花を持っているシテならば、必ずや既に四十以前に天下に名人の名を許されているはずのところである。そうしてさように天下に名声を得た演者となれば、なおのこと、オノレというものをよく心得ておいてしかるべきものであって、普通の人よりも一層十全に助演者を吟味して、その若いものに任せるべきところは任せ、自分はさように身を砕くような写実演技等をして身の衰えを露見せしめるようなまねをするべきではない。つまり、そういうふうにオノレの身の状態をきちんと認識して、今何をなすべきか知る人が真の芸を会得した本当の名手というべきものである。

坂口:名手は見どころをもって「本当の花」を咲かせるものだ、と世阿弥は説いています。これは、「存在感のある役者」を意味していると私は解釈しています。
それは老いても、動きがなくなっても「花」があるという状態のことだろうと思います。何もしない、失せに失せても「花」が残る、そうした能役者を目指したいと日頃から考えています。

舞 扇子

                  【能楽講座/実演編より扇所作】

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【後編】は、銀座花伝MAGAZINE Vol.16にて掲載いたします。 

3 実演① 謡 ツヨ吟×ヨワ吟 うたくらべ指南「高砂」×「羽衣」   4 実演② 型(所作) 能楽師の視点


氷の世界


⬇️【チケット情報】坂口貴信「三人の会」公演チケット好評発売中! 

とき:令和3年3月13日(土) 12時開演(開場11時20分)
会場:観世能楽堂(GINZA SIX 地下3階)

能  「隅田川」シテ方 谷本健吾 / 大鼓 亀井忠雄
一調 「勧進帳」 川口昇平
仕舞 「西行桜」 観世清和  他
能  「融」思立之出 十三段の舞 シテ方 坂口貴信/ 大鼓 亀井広忠

*予定されておりました事前講座/令和3年2月26日(金)午後7時〜は、中止となりました。
チケット申し込み→観世ネット www.kanze.net

三人の会

⬇️【ご案内】築地本願寺情報・銀座サロン講座

星の王子様



◆編集後記(editor profile)

ノーベル医学生理学賞の受賞者4人が1月8日、新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が首都圏に出されたことを受け、医療機関への支援やPCR検査能力の拡充を政府に要望する声明を発表しました。その一人、大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(85)のお話を直接伺う機会を得ました。

開発した抗寄生虫薬「イベルメクチン」成功までの長い道のりを話される中で、心が折れそうになる時「自分を鼓舞してくれた」言葉があるといいます。

松樹(しょうじゅ)千年のみどり  

 松樹千年翠、不入時人意 (禅語字集)

「大自然は常に法を説いてくれているが、人々が聞く耳を持たなければ何にもならない。伝わらないことは「ない」のと同じ。「伝承する」ことが大切であることを常に肝に銘じていたー。」

いかなる仕事であれ、「伝える力」がいつも試されています。そして受け取る側には、敏感な「想像力」が試されています。

本日も最後までお読みくださりありがとうございます。

           責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         銀座お散歩マイスター / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役

        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊

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