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デザイナー「高田賢三 回顧展」には日本と世界のファッションが詰まっている

2020年10月4日、デザイナーの高田賢三
さんがコロナウィルス感染症によりパリ
の病院で亡くなりました。

服を通して幸せや喜びを伝える


ケンゾーのモットーは
【服を通して幸せや喜びを伝える】こと。

“衣服からの身体の解放”はファッション
デザインにおけるスタイルのひとつ。
ゆとりのある服がすごくエレガントだと
感じ、体をきつく締め付けるのではなく、
ゆったりした着やすさを重視した服を
追究してきました」。

ケンゾーの服は、たっぷりと布を使い
色彩の鮮やかさが際立っていて
身につけるだけで元気をもらえそうな
そんな服でした。

(以下、朝日新聞デジタル-magazine &より)


去年10月に新型コロナウイルス感染症に
よる合併症で急逝した高田賢三さんの
回顧展が、彼の母校でもある代々木の
文化服装学院の文化学園服飾博物館で
開かれている。
展示された実物の服やテキスタイル、
デザイン画、また映像や雑誌類など多く
の資料を見ると、パリと東京の垣根を越
えた賢三さんのファッションデザイナー
としての偉大さに改めて驚かされる。
彼は、ファッションがオートクチュール
(高級注文服)からプレタポルテ(高級
既製服)へと大きく変わる流れを本格的
に進めた、歴史的立役者の一人だったのだ。
ブランド「KENZO」を、日本ではなくフ
ランスの伝統的ブランドだと思っている
人も多い。
当時は型破りで挑戦的なデザインだった
のだが、その服はオートクチュールから
のパリ伝統の美意識とされるエレガンス
の感覚を感じさせる質の高さを併せもっ
ていたからだ。
実物を間近にしてよく見ると、KENZOの
服は細部に駆使されたていねいな手業で
支えられていたことが分かる。
展示は主に1階で、文化服装学院に入学
(1958年)した頃からパリでブティック
「ジャングル・ジャップ」をオープンし
て初コレクションを発表(1970年)する
までの資料類、2階では86体の服やアク
セサリー類、テキスタイル、コレクショ
ン映像などが、新作発表のシーズンに沿
いながら陳列されている。
そして同時に、そのシーズンに表れた特
徴的なスタイルを「マリンルック」「ア
ンチクチュール」「東洋のペザントルッ
ク」などのキーワードで適切に整理した
解説が付けられている。
1971-72年秋冬の新作では、「アンチクチ
ュール」のキーワードでくくれる服7体と
その服をモデルが着て撮影した文化出版
局の雑誌『装苑』と『ハイファッション」
を並べて展示。
平面的でシンプルなカットなのに大きめ
でゆるやかな仕立てのドレスやコート、
きもの袖は、体の形をなぞるようなヨー
ロッパの服作りとは全く違う。
パリ・オートクチュールの伝統に挑戦す
る意気込みがうかがえるが、ニット素材
のインナーやレギンス、大きなベレーな
どからはパリ風の粋なエレガンスも感じ
取れる。
1975年春夏、1975-76年秋冬の東洋の
「ペザントルック」は一見、質素で機能
的な農婦スタイルのようだが、頭をすっ
ぽりと覆うのは煙突のような長い襟
(コル・シュミネ)でパリのエレガント
なフードに見立てた着こなしができる。
そしてトップスのやや厚めの素材とは対
照的なスカートのサラッとした薄い素材
の組み合わせ、スカートの片側だけにさ
りげなく施されたプリーツなどのディテ
ールなどは、もう40年以上前の作品なの
にとても現代的に見える。
また、1981年春夏のベトナムの民族服
アオザイなどから着想した「ベトナミア
ンルック」の服の、色使いを抑えたシン
プルで直線的な仕立てからも現代感覚が
同じように伝わってくる。
この展覧会のチラシなどに使われている
1981-82年秋冬のさまざまな花柄プリント
をふんだんに使った「ロシアルック」で
も、花柄とは対照的な厚手でモノトーン
のチョッキやロングスカートとの組み合
わせが強い印象を与える。
花柄の花もロシアというよりむしろ中国
や日本の花のようで、ロシア以東のユー
ラシア大陸に共通した感覚というべきだ
ろう。こんな点もグローバル化が進む現
代の状況を先取りした感覚なのかもしれない。

僕のフォークロアスタイルは、意図的に作り上げたもの

賢三さんの服といえば、世界各地の多様
な民族服スタイルが思い浮かぶ人が多い
と思う。
1964年に勤務先の既製服メーカーから長
期休暇を取って、フランス郵船の船で東
南アジアやインド、中東など各地に寄港
しながらパリに着くまでに見た民族服が
アイデアの元になったと言われることが
多い。
しかし、この回顧展を見ているうちに、
あることを思い出した。
賢三さんはパリの自宅でのインタビュー
で、ふとはにかむような表情を浮かべて
語った。
「僕は、本当は慎重でずる賢いタイプで、
僕のフォークロアスタイルは空想や妄想
も織り交ぜて意図的に作り上げたものな
のです。
だから同じスタイルを何度も使えるのだ
けれども、内容は同じじゃない。
それをいつまでも続けることが僕の夢です」
そう語る賢三さんは率直でやさしい人柄
に思えた。
パリで成功したのは、パリに滞在中の
日本人だけではなくフランス人も含めた
外国人も喜んで協力したことも大きな力
になったからなのだと思う。
高田のミューズでもあったモデルの山口
小夜子氏が着用したドレス、1960年の学
生時代に受賞した装苑賞作品なども公開。
このほか、知人のために製作したウェデ
ィングドレスとそのデザイン画を展示する。


「装苑」も「ハイファッション」も
素敵な雑誌です。
フォークロアスタイル、着ました♪

日本人デザイナーとして、初めてパリで
成功した高田賢三。
彼の成功を機にその後、山本寛斎・ミヤ
ケイッセイなどが進出して行った。

モデルの山口小夜子さんも本当に魅力的
で妖艶なモデルさんでした。



日本のファッションの歴史をつくった方
の貴重な回顧展、見に行かねば♪

高田賢三 回顧展の詳細

「高田賢三回顧展」
文化学園服飾博物館 6月27日まで。
会期中無休で午前10時~午後7時
(入館は閉館の30分前まで)。
入館料、一般500円
渋谷区代々木3-22-7 

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