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初めて海豚いるかの刺身を喰った時の「海豚の肉いるかのにくなんか都会まちのはひとは食べたことないだろ。最近は、なかなか新鮮な海豚いるかの刺身喰わせるところも少ないからなあ!」と義母ははから言われた記憶

大船渡線スーパードラゴンでゴドゴド揺られ大船渡湾おとふなとわんの内側の下船渡しまふなとにある彼女きみ実家いえは海のすぐ側すぐそば塩風しおかぜ乾涸びたひからびた匂いと隣の肥料工場の鼻先にツンとくる匂いが入り混じっていた。義父ちちの大船渡弁はモゾモゾ言っているようにしか聞こえず、意味は分からず「まあ飲めまあ飲め」だと勝手に解釈し酒と焼酎を注がれるままに飲んだ。海豚いるか翻車魚まんぼう牡蠣の雑魚身かきのざこみ出されるままになんでも食べた。だが何故かなぜか海豚肉いるかのにくの味の記憶だけが鮮明あざやかに舌の根元もとに残っている

東北特に岩手にとって海豚漁いるかりょうは江戸時代から続く伝統ある漁だ。安政4年の記録では実に5790本の海豚いるか水揚みずあげがあったという。まさに天の恵みというべき海豚いるかは時ならぬ収入を齎したもたらした

海豚いるか生肉ナマ、油として珍重された。明治になり漁の共同組合が作られて、男も女も分前わけまえを配分され村は海豚いるか潤ったうるおった海豚大漁いるかたいりょうが続くと水揚みずあげはいちいち数えることなくお椀おわんで測り家々に配られたという。

海豚いるか氏神うじがみ祀られまつられ神社には海豚の魂いるかのこころ慰めるなぐさめる恵比寿エビスさんの鎮魂碑ちんこんひが作られた。祭礼まつりの際は海豚いるかの腹を割いて血を取り恵比寿エビスさんに頭から振り掛け鎮魂しつつ金運つまり大漁を祈る

海豚肉いるかにくは刺身、すき焼き、醤油漬、味噌漬、塩焼、干し肉などで食べられる。中でも海豚汁いるがじるは美味。皮付の海豚肉いるかのにく脂身アブラを角切し鍋で油で炒める。これに人蔘、牛蒡、馬鈴薯にんじん、ごぼう、じゃがいもを入れて煮込み、さらに下茹でした大根をいれ醤油、塩、酒で味付けし、さらに豆腐を入れて味が染みるように煮込み、最後にパラパラと葱をかける。酒との相性は抜群。

義父ちちと初めて海豚肉いるかにくを食べた大船渡の実家は2011年3月11日東日本大震災で流され跡形もなくなり、その後、肥料工場に買いとららた。大船渡に戻る場所はもうない。義父ちちは2019年盛岡で亡くなった。義母ははは記憶が10分しか持たないが盛岡で元気に暮らしてる。

海豚いるかの漁獲実績は2005年13127頭あったが震災の翌年の2012年に405頭に激減した。海豚いるかの漁獲量はその後も回復することなく今日に至っている。

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