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7インチ盤専門店雑記456「ミスター・グッドバーを探して」

1978年公開の映画「ミスター・グッドバーを探して」を憶えていらっしゃいますでしょうか?映画の紹介サイトなどでは「聾唖学校の女教師が、夜ごとバーに繰り出しては男を誘惑する。都会に生きる一人の孤独な女性の姿を描いたJ・ロスナーの小説をR・ブルックスが映画化」などという描かれ方です。主演はダイアン・キートンでした。

1997年に起きた「東電OL殺人事件」と状況が似ていたことから、20年も経ってから随分騒がれたものでした。この映画は日本では未DVD化のままで、しかも特別な受賞作品でもないので、どちらかというと忘れられた作品のように感じております。でも何だか忘れられないんです。

今月のトーク・イベントが「サブカル近現代史各論2:1970年代」というものでして、70年代の世相と絡めて映画や音楽やライフスタイルの変化などを紹介します。ここでこの作品に触れてみようかと考えておりまして、決定ではありませんが、ヘッダー写真の7インチ・シングルを売りボックスから回収してきました。随分昔に入手した盤ですが、おそらく相当レアだと思います。サントラ盤LPは見たこともありません。自分はイベントの中で、アメリカン・ニューシネマの延長線上にあって、しかも時代の歪みを描き込んだ名作だという方向性で語るつもりなんですけどね。

テーマソングは2024年1月に亡くなったジャズ・シンガーのマリーナ・ショウが歌っております。先般、ジャズ・ベーシストの小林真人さん(この方の文章が好きで毎日読みにいきます)が「王道の人」として紹介されていましたが、自分はこの曲を聴いた時点でもまだジャズを聴き始めておりませんでしたから、正確なところがわからないのですが、ジャズとソウルの中間程度に感じておりました。タイミング的に様々なジャンルをクロスオーバーするのがカッコイイという時代だったかも、…などと考えております。だから小林さんの表現が実は意外で、このnoteを3回4回と繰り返し読んでしまいました。

73年の出生率ピークアウトとコインロッカー・ベイビーズの問題やら、戦後の急激な価値観、道徳観念の変化やら、核家族化、ヴェトナム戦争終結後のアメリカ社会の混乱、ポストモダンに世紀末思想…、様々な要因によるライフスタイルの変化が世の中の歪みとして顕在化した時期、音楽を含めた芸術世界は新しいものを求めて玉石混交状態だったと思います。

そこらから40数年が経過して、何が玉で何が石だったかハッキリ判ってきましたから、今だから語れることも多いと考えます。

実はマリーナ・ショウも、今聴くと違って聴こえるのではと期待しております。最近「自分の音楽の聴き方は普通とは違うらしい」と感じることが多いので、楽しくていけません。演奏のプロと自分とで、音楽の捉え方が違うのはむしろ当たり前のようにも感じますが、何故違うのか、どこが違うのかを考えることもまた楽しいわけで、音楽というものの魅力は無尽と感じさせる所以です。

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