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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : プロセスとリザルト

前職で多く関わったシステムの世界では、リザルトが当然に大事なわけで、現場力でなんとか稼働させているシステムなんていまだに多いのではないでしょうか。本当はあってはいけないような、稼働直前のバタバタを何度か経験させられ、「世の中って案外こういうものなのかも」と諦観まじりに過ごしてきてしまいました。

でも、こと「人生」などというものを語るときは、リザルトというのは等しく「死」というものなわけで、そうなるとそこに至るまでのプロセスが大事ということになるのでしょう。どういう生き方をするかなどというものは、言葉では簡単です。日々の積み重ねでブレずにいることは、なかなかに難しいと思います。他人の記憶に残るなどといった方向性の、人生楽しんじゃいました派は、ただの慰めのような気がします。

政治信条や宗教などというものも、こういったときには大きく関わってくるのでしょう。信じる者は救われるんでしょ。自分はそういう意味では中道ノンポリ、やや右寄りという程度の政治信条と、何のこだわりもない無宗教に近いものでして、キリスト教とも仏教とも言えない生き方をしています。毎年のようにクリスマス・シーズンを楽しんだ直後は京都に行き、古刹を訪れ、静謐な空気に包まれてあれこれ考えるのは好きな時間の過ごし方です。ただそのわりに仏教に関しての知識は無に等しいです。よく分かっておりません。家系は浄土真宗だと言う程度しか関心がありません。

一方で梅原猛さんの「最澄と空海」を愛読していたりするのは、単なる思考のネタさがしです。若い頃から梅原先生は好きで、その影響で大学に入る前は法隆寺の研究をしていたりしましたっけ。法隆寺、訪れたことないんですけどね。奈良は遠いです。斑鳩の里はまた格別行き難い土地ですしね。まあ、いろいろ考えるのが好きなんです。それなりに紆余曲折のある時間を過ごしてきましたからね。

最近ヘッダー写真の新聞記事のように、「リスキリング」に関する文章を時々目にします。「技術革新やビジネスモデルの変化に対応するため」という注釈付きの言葉でしょうが、「新しい知識やスキルを学ぶこと」らしいです。ダボス会議で強く提唱されたことがありました。「3年後の展望を言語化」…いいこと言いますね。この部分は自分もやるべきかなと思います。似たようなことをnoteでやってますが、ここまで明確な意識は持っておりませんでした。よーし、やってみよー。

一方で、「競争して挑む仕組みを」ときましたか。…バカなこと言ってんじゃないよ、といった感想です。何でもかんでも競争だとかランキングだとかで高められるほど、簡単なはなしじゃありませんって。時間をかけて培ってきたものを生かす工夫も大事ですし、本業とは別に趣味的でもいいので自分の得意分野を増やす方向性の努力を続けていることがだいじなんじゃないんですかね。

しかも技術革新やビジネスモデルの変化に対応するなどという場面では、一朝一夕に成せるものではありません。時間をかけたプロセスに対しては、後からやっておけばよかったと思っても、絶対に埋められないギャップができてしまうんです。だから地道な努力が尊いわけで、競争から得られる瞬発力では太刀打ちできません。

我々が生きている現代は、産業革命レベルの変革の連発です。そういう時代に生きているからこそ、不断の努力が必要なんでしょう。そもそも人生は持久走、そこに障害物競走の要素が加わってきているわけで、これまで以上に基礎体力が求められるんじゃないですかね。これは年取らないと実感として湧かないんだろうなぁ…。もうプロセスは見て見ぬふりして、リザルトだけ受け入れますか?…私は嫌だな。


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