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7インチ盤専門店雑記460「アリス・クーパー(1)」

■アリス・クーパーについて書き始めたら長くなったので2本に分けます■

1970年代のイベントの準備中でして、日々年表を眺めております。父親が国鉄職員だったもので転勤が多く、自分は小学校4年生になるタイミングで広島から東京に引っ越してきたのですが、それが1969年3月末のことです。東京の小学校が合わず、結果的に音楽好きになるキッカケでもあるわけですが、まあふてくされて小学校の高学年3年間を過ごし、中学に上がるときは個人的には希望に満ち満ちておりましたね。

自宅の近くの区立中学がバスケの全国大会常連校でして、母親もバスケと陸上で国体まで行った人だったので、必然的にバスケを始め、思い切りハマって、極めて楽しい3年間を過ごしたもので、他の時期より記憶もしっかりしております。

そもそも、ようやく大嫌いな小学校とバイバイできると思っていたからか、1972年の年明け辺りからの記憶が異様に鮮明に残っているんです。中学校の校門周辺の情景まで無茶苦茶リアルに思い出せます。何はともあれ、1972年という年は妙にバタバタした年でした。1月にグアム島で横井庄一さんが発見され、大騒ぎになったときのニュースもよく憶えています。そして2月には札幌オリンピックが開催され、ジャネット・リンとか日の丸飛行隊とか、夢中になって観ましたね。その一方で、連合赤軍によるあさま山荘事件なんてものまであって、鉄球を打ちつけているニュース映像が蘇ります。3月には高松塚古墳で壁画が発見され、宇宙時代にいきなり古代のロマンが眼前に広がりまして、小学生ながらに「ホー!!」となりましたね。

4月に中学に入り、まあ直ぐに馴染めたのはよかったな、と。小学校が嫌で嫌で仕方がなかったので、上手く立ち回ったのかもしれませんが、先生がよかったのかもなぁと思います。ご高齢の先生が多かったのですが、少々荒れている中学でしたから、何人かの先生は木刀を持って怒鳴っている姿が基本形でした…。

4月には、川端康成が自殺というニュースとかありましたけど、「まだ生きていたんだ」ということの方が驚きでしたね…。ガキにはエラい昔の小説家というだけですわな。当時の流行りは星新一に遠藤周作に庄司薫あたりですかね…。5月に日本赤軍のテルアビブ空港銃乱射事件が起こり、目的なりを周囲の大人に訊いて回ったような記憶がありますね。夏にはミュンヘン・オリンピックが開催されたんですけど、選手村でイスラエル人選手が殺害されたまして、そのあたりまで何が起きているのか知りたくて、親なり先生なりに質問しまくっていたように思います。

でも、その時期、イチバンよく憶えているのは、小結の高見山が7月の名古屋場所で優勝したことが凄く嬉しかったことだったりしますけどね。…あとは夏から始まった「太陽にほえろ」、結構観ましたね。…その後はテレビを観る習慣がないような人間になってしまいますけどね。…本当に音楽が好きでしたから。

その当時、つまり中学入りたての頃は、アリス・クーパーに夢中でした。学校入りたてなのに「スクールズ・アウト」ばかり無邪気に歌っておりました。7インチ・シングルが今でも手元にあります。1000回以上は針を通したと思いますが、問題なく聴けております。アナログレコードは凄い技術の賜物です。よく「擦り切れるまで聴いて…」とおっしゃいますが、あれは扱いが悪いだけですな。

そんなわけで、70年代のイベントとなれば、アリス・クーパーの「スクールズ・アウト」は必須なんです。1000回以上再生した盤で鳴らしてみましょうかねぇ。

アリス・クーパーってあまり格好良くなくて、何十年も後に初めて動画を目にしたときは、ガッカリしましたねぇ…。特にドラムスはアカンですな。うん、子どもの頃の夢をぶち壊された気分でした。


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