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「然」とは、そのとおり、そのまま、と言う意味らしい。日本語の中で同じ発音をする言葉と言うのは、もともと同じ意味や抽象概念を表していることがけっこうあるけど「禅」と意味が繋がるのはおもしろいね。

「必然」という言葉について考えていると、いろんな「然」も気になってきた。
僕は言葉についてよく考えごとをしている。
そのほとんどは、文字のもっている意味、僕らが使っているニュアンス、それがあらわす実際の状況、など、こういったことの差異やズレに興味があるからなのだ。

言葉の意味を知ったり学び直すと自分の認知を変えることに繋がるので、それだけで大きく視点が変わったり気持ちが楽になることがけっこうある。

「自然」
自然を名詞でなく自然と〜自然に〜のように副詞的に使う場合、大自然のことではなくて、そこに人間の意図を加えず環境の成り行きに身を任せたり、あまり考えないよう努めることのように思う。

「未然」
未然は、そうなってしまう前にということだけど、それが現象としておきる前にということだろうから、然の言葉には情報状態と現象状態を分ける役目もあるような気がする。

そして「必然」
必然という言葉を普段よく耳にするのは本来の意味よりも言い回しとしての「ぼくらの出会いは必然」みたいな。奇跡への感謝とかリスペクトを表すことのように思う。

しかし、するとむしろ、
これこそが本質的な「偶然」になってしまうのである。

「偶然」
偶然とは予測していない事が起きることを言うのだけど、この世界は常に偶然の連続でできているようにも思えるし、物理法則のもとに起きていると考えれば必然とも考えられる。

偶然性に高低という尺度が当てはめられるのかわからないが、僕らは偶然をかたちづくっている母数の違いによって、それがいかにレアかどうかを感じている。例えば神戸に住んでいる人同士が市内でばったり会うのと、東京でばったり会うのとではレア度が変わる。
東京で会ってしまうと「運命だ=必然を感じる」と考えるのだけど、それはむしろ「めちゃくちゃすごい偶然」だ。だけどぼくらはそれを必然といいがちなのだ。

本来の必然とは、必ずそうなるのだから数式や再現性のある物理現象を組み立てた結果のように、どちらかと言えば「当然」のニュアンスに近い気がする。

「当然」
当然そうなる、当てることができる、あたりまえ、そうなることが予めわかる、ということなのだ。

こんな事をいつもぐるぐる考えているのだけど、そういえば最近は歩いたり、ツイートするだけで仮想通貨が貯まるアプリがあるらしい。そのうち僕の考えごとでポイントが貯まる日も近い気がする。

「天然」
天然は人の手が加わってない事をいう。天から与えられたものやな。だから天使はみんな天然パーマなんか?

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