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「字がうまく書けない、について」


美しい字を書くことができない。
字を手書きすること自体は嫌いではなく、ノートに手書きで記録をすることはよくあるが、人に見せられるような字が書けない。手紙を書くことがとても苦手である。
小学生の頃から、硬筆が嫌いだった。そもそもほとんど練習をしないし、気が向いて少し頑張っても、ほとんど褒められない。学校で強制的に応募させられる書道のコンクールも、ずっと「銅賞」ばかりだった。(上手い順に上から特金・金・銀・銅賞。)
パソコンやスマートフォンで文字を打つことが主流の現在でも、やはり「美しい字が書ける」ことの価値は大きい。ふとした時に手書きで文字を書く機会は今もたくさんある。ちょっとしたメモ、芳名帳、ショップカードの登録、宅配便の宛名、各種契約書の署名。自分の名前だけでも綺麗に書けるのとそうでないのとでは人に与える印象が全く違う。美しい字を書けると大抵「きちんとした人」「育ちの良い人」「内面も美しい人」というイメージを持たれやすい。(実際字が綺麗でも性格の悪い人は山ほどいるが)とても、うらやましい。
私も、大人になってから字が綺麗に書けるようになろうと努力した事はあった。30代の頃、思い切って町の書道教室に通ってみたのだ。真面目に練習して昇級試験を受けていった甲斐があって、毛筆は次は準一級試験、というところまで行った。しかしちょうどその頃仕事が忙しすぎて体を壊し、書道教室も辞めてしまった。一瞬整っていた字も、すぐに元のバランスの悪い字に戻った。悲しかった。
短期間でも(少しは)美しい字を書けていた間は、仕事の書類に署名する時もなんだか誇らしかったし、うれしかった。また書道を習いたいなと思うが、私は短期間の習い事で気がついてしまったのだ。自分が、人に習うこと、元々のやり方を矯正されることがとても苦手であることに。
思えば、小学生の頃習っていたピアノも、ほとんど練習をせず、もちろん下手で、お嬢様育ちっぽい上品な先生にものすごく嫌われていた。
おそらく元々の躁鬱の気質ゆえだとおもうのだが、人に「これをしなさい」「ここをこう直しなさい」と強制されることが、健常な人より苦手なのでは、と推測している。言われるがままに何かを練習することに、人一倍ストレスを感じてしまうのだ。
書道の先生は比較的放任主義だったし優しく教えてくれたが、それでもずっと提示されたお手本を黙々と練習し、下手な箇所を朱書きで指摘されることは無意識に大変なストレスだったのではないかと思う。
そのため、今はもう再び書道教室に通うことは諦めているのだが、そのうち「この書はいいな」と思うお手本を見つけてきて、真似をして書く、というのをしてみたい。自由度のあるセルフ習い事なら、なんとなく出来るのではないかと期待しているのだ。
私は死ぬまで大して上手い字を書けないだろうが、それでも生きているうちに「上手くはないけどいい感じの字」を書けるようになりたい。学生の頃、絵を描いている友達の字が、綺麗ではないけれど一文字一文字が「絵」のような、可愛らしい象形文字風だったのがすごく印象的だった。流麗ではないけれど、味のある、角丸の正方形におさまるような字。彼女が一生懸命描いてくれたバースデーカードを、今も私は持っている。そのような記憶に残るような字を、私も書けるようになりたいと願うのである。

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