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短歌五十音(き)木下龍也『オールアラウンドユー』
詩の神に所在を問えばねむそうに答える All around you
いきなり表題歌を引く。
主体が詩の神に「あなたはどこにいるのか」と尋ねると、神は「君の周り全てに」と気だるく答えた。
筆者は特定の宗教を信じてはいないが、この歌集を読んでいる時間は、神様がソファに寝そべりながら部屋の中にいてくれたような気がした。
この歌集はそんな歌集である。
木下龍也は、1988年山口県生まれ。
2013年に第一歌集『つむじ風、ここにあります』(書肆侃侃房)を刊行、それからの活躍は誰もが知るところなので割愛する。
2020年には短歌入門書『天才による凡人のための短歌教室』を刊行したが、この一冊から短歌の世界に入っていったと言う人は多い。
冒頭の歌の他に、神や天国の存在を感じさせる歌を以下に引く。
捨てられた車が神の役割を果たす子猫と雪を隔てて
天国の迷子センターから響きわたる少年たちの戒名
あの世でも死にたかったらどうしよう 太ってほしいひとのいた夏
一首目、雪の降る(あるいは積もった)屋外と、放置車両の中で寒さを逃れる野良の子猫。
車はここで猫の命を守る神のような存在として描かれる。
二首目、子供のまま死んでしまった少年たち。
天国にも迷子センターはあるのか、迷子となった少年たちの戒名が読み上げられる。
三首目は読みに迷ったが、摂食障害なのか、痩せ細った人があの世でも死にたかったらどうしようと主体は案じている、と解釈した。
神の気配は、自然や植物の中にも息づく。
この歌集には花に関する歌が多く収録されている。
あとがきによると、木下氏はここ数年、部屋の一輪挿しに花を絶やさないようにしているとのこと。
X(旧Twitter)の木下氏のアカウントにも、美しい一輪挿しの花の写真が時折投稿されている。
— 木下龍也 (@kino112) February 1, 2024
都会にもあるけど帰りたくなるよ金木犀が写メで届いて
またわたしだけが残った、そう言って花瓶は夜の空気を抱いた
はなびらはやさしい地雷 踏むたびに胸のあたりがわずかに痛い
たんぽぽに生まれ変わって繁栄のすべてを風に任せてみたい
花を嗅ぐひとときだけは許されたような気持ちでマスクを外す
細長い花瓶の底にこびりつく花の無念を洗えずにいる
花を捨てあらたな花を挿すときも花瓶はぼくを責めてくれない
一首目、地元にいる恋人からだろうか、金木犀の写メが届く。
金木犀は都会にも咲いているが、写メの中の金木犀は特別に美しく懐かしく感じられた。
二、六、七首目は花瓶がテーマとなった歌。
普段は花の引き立て役として扱われる花瓶に目を向けている。
特に二、七首目は花瓶に人格が与えられているところが興味深い。
歌人の目は部屋の中の花に限らず、屋外の自然にも向けられている。
波を塗りなおして海の配色を決めかねている画家の名は風
雪だったころつけられた足跡を忘れられないひとひらの水
殺さずに愛せないかと考えているうちに木を燃やし終わる火
一首目、風を海の色を塗る画家として捉える。
二首目、雪であったころに踏まれたことを水は忘れられない。
足跡をつけたのは、動物ではなく靴を履いた人間なのだろう。
三首目、火が相手を愛そうとすると相手を炎に包んでしまう。
他に方法はないのかと考えているうちに、木はもう燃え尽きてしまった。
人間もまた、植物や自然と同じく神につくられた存在である。
人間の恋愛の歌を中心に引く。
くちづけのあとも敬語を続ければあなたの森で迷わずに済む
ちぎれない身体のせいでぼくたちはひとつの愛を選ぶしかない
くちづけのたびに明度は低くなりあなたにはもうまぶしさがない
もうすこしねむっててくれ目覚めたらきみを泣かせることばかりある
これらの歌を読むと、恋愛に対して主体が持っている諦念のようなもの、恋愛の新鮮さが失われることへのおそれ、恋愛のネガティブな側面に向かう主体の意識を感じる。
恋愛初期の相手が眩しくて仕方がなかった時期を過ぎ、恋を維持する方法に悩む主体の姿が現れてくる。
歌集『オールアラウンドユー』は、神、神がつくる自然、そして人の営みについて詠った歌集である。
この歌集の中で、神は常に(時にあくびをしそうになりながら)主体の、歌の、読者のそばに存在しているのだ。
次回予告
「短歌五十音」では、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉、初夏みどり、桜庭紀子の4人のメンバーが週替りで、50音順に1人の歌人、1冊の歌集を紹介していきます。
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