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人生にもしも...なんてないけど ⑰母の通夜の準備 家族あるある

なーによっ、日ごろ、やれ、めまいがしたとか、体がしんどいと弱った自分をアピールするくせにっ
もう少し寝たかったけど、こんな状態じゃ二度寝もできない。
しかたなく、そのまま掃除に取り掛かる。
とりあえず2階に運べばいいやと思っていたけど、いつの間にか弟も起きてきて、父と二人でこの際に不要物をポンポン軽トラの荷台に乗せていく。
ふと荷台をみると、洋裁が好きだった母がため込んでいた布切れも、母が私に作ってくれた洋服もゴミ袋に入れられている。
おいっちょっと待て。
これって母の形見になるじゃんっと言ったところで、”捨てっ捨てっ”と返されるだけ。
なので、時々、物色してはこそっと救出する。

そうこうしていたら、「ミシンも使わんじゃろ」と父が捨てたがる。
その工業用のミシンは、いつも縫物をしていた母の象徴でもある。
ミシンもシンプルで作業台付き。いつかは私も自分で服を作りたいと思っているのだが...老後とか。←断捨離的にはアウトか。
「もう~、捨てるんなら、自分の持ち物整理しんちゃいやっ」
とちょっと使っただけで放置の健康器具類をあてこすった。
介護を言い訳に手つかずだった片づけ。
ここ何十年も家族総出ではやってこなかった年末大掃除以上の大掃除。
子供の頃、家族総出でやっていた時のように、思いややり方が違うから、あーだこーだと文句をいいながら。

この頃には母の意識は一旦家に帰ってきていたのか?亡骸のそばで繰り広げられるこんな家族のやりとりを、ニコニコと見守っているようだった。

家族という単位を大切にしていた母にとって、葬儀に向け家族が一緒に取り組み、揃う場はことさら嬉しいのだろう。
それは、以前の母のように、家族の中でけんかになったり、意見が食い違っても、中立・公平に個々の思いをくみ取ってくれているようだった。
母はよく、子供3人育てようと思ったら大変なんよっと言っていた。
そして、どの子も同じように育てたのに、どうしてこうも性格が違うのか?面白いねと楽しそうにも話していた。
母にとっては、子供は一時とはいえ、自分の一部だった。一心同体ってどんな感じなのだろう?どの子が一番なんてないんだろうな。
いつも、自分の事は後回しで、家族の為に厭わず働き、家族の健康と幸せを一番に願ってくれていた。
自分の思いと違うことを望んでも、反対していても、最終的にはその人の人生と好きにさせてくれ、自分にできることは”見守るだけ”という立ち位置だった。

以前、車を買い替える時、4人乗りか5人乗りかでもめた。
もう4人乗りでいいじゃんって言っても、母は5人乗りじゃないとと珍しく譲らなかった。もう5人揃うことなんてないよって言っても。
母には家族という単位が1つでもあり、誰が欠けても成り立たないものなのだろう。
そんな家族を残して一人人間卒業かぁ~。

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