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入学後3ヶ月で 不登校になりました。 #6 他の選択肢


こんにちは。
子供と「超」真剣に向き合う母NOAです。

現在、小規模特認校に通う小3の娘が
小1だった頃のお話です。

これまでの葛藤、変化を綴っています(^^)

前回の投稿はこちら⇩



改善する気のない学校


教頭先生にアポイントをとり
私一人で学校へ行った。
授業中の担任の様子を話してみた。


私の話を否定せず聞いてはくれたが
「言わないとやらない子もいるんでね。
でも、担任に伝えておきますね。」
とだけ。

学校側が改善する姿勢は全くなかった。


「ナツコさんはしっかりやっていると担任から聞いております。でも言わないとやらない子はやらないんで。言うこと聞かないから、しっかり言い聞かせないといけないんです。」

そんなことを言った。


それ、本当に正しいと思っているのか?
それとも、そうせざるを得ないのか?

どちらにしても、
学校側と話していると
自分が大切にしてきた育児や子育てと
真逆のことをいうものだから
私が間違ってるの?
って何度も苦しんだ。


主体性は?
真の学びとは??

大切なことって
大人の言うことを聞く子を育てることなの?
大人の言うことを素直に聞くことなの?


話をして
全く前に進まない感じが
むしゃくしゃした。


改善する気がない…
いや
改善できないのだろう…
いや
改善しなければならないと
感じていないのかもしれない。


30人×5クラス。
一人ひとりの主張など聞いていられないだろう。


色んな思いはあったが
教頭先生は
これが学校です、こどもが合わせてください
というスタンスを崩さない。


『何かしらの配慮が必要なら診断名が必要です。
ワガママとの違いを確認しなければいけないので。』 
とも言われた。


学校側がそういう姿勢ならば
これ以上、話すだけ時間の無駄だ。
そして、ここにいてはだめだ。
とこの時感じた。


我々の居場所は、ここではない。


そんなことを感じた夏休みが、
あっという間に終わった。


夏休み明け
ナツコは登校しなかった。



他の選択肢


ナツコと私は地元の小学校以外の選択肢を考えはじめた。

学校側と一通り話をして、全く前進しなかったこともあり、ある意味諦めがついていた。

不登校の原因は本当に人それぞれ。
ナツコの場合も、原因が一つではないように見えた。

学校のやり方が自分には合わない

簡単にいえばそういことなんだと思う。
ただそれだけなはずなのに、
この時のナツコは少し自信をなくしていた。

ナツコに
小学校は行かないといけない場所
と親から言ったことはなかった。


いろんな道を考えていこう。
ナツコが自信なくす必要はないよ。
と伝えてはいたが、毎日行く場所がない、友達と遊べないというのは寂しさもあったのだと思う。


学校に行かなくなってから、近所の子に
「なんで来ないの?」と聞かれたり、
買い物についてきたら店員さんに
「今日は小学校お休みかな?」と聞かれたりもした。

そんな普通の会話が
ナツコにとってはストレスだったのだろう。

小学校の話題が出る度
ナツコは表情は固くなっていた。

世間的には
小学校に行くことは当たり前なんだな
私も毎回思わされた。

ナツコは何も言わなかったが、ナツコもそう感じていたのだと思う。

不登校児って
何も悪いことしていないのに
自信をなくしてしまう。

我が家の場合
『行かないとだめだよ!』
という言葉をかけているわけでもないのに。


居場所もなく、所属もない。
宙ぶらりんな感じが、ナツコを精神的に落ち込ませていった。


今は精神的な回復が必要だと感じた。
勉強はとりかえしがつく。
今は心を元気にさせてあげたい、と思った。


そんな時、友達に、不登校児を昼間に受け入れてくれる施設があることを教えてもらい、ナツコと一緒に足を運んでみた。


そこは、フリースクールではないが、
学校が合わない子どもたちが集まって
自由に過ごす場。

行ってみると、小1〜中3の子どもたちが10名くらいいた。

週一回、どうしても学校に行けない時だけ来る子。
フリースクールのお休みの日だけ来る子。
毎日来ている子。
色々だった。


そして、とても明るく活発な子どもたちの集まりだった。
社交的なナツコはすぐに打ち解けた。

心が回復するまで
ここで仲間と遊ばせてもらうことにした。


不登校児の居場所


いつの間にか、不登校児の集まりの場はナツコの居場所になっていた。

みんなそこでは生き生きと過ごし
ボードゲームをやったり
体育館ではドッヂボールをしたり。
時に公園に行き、鬼ごっこやボウル遊びをしていた。

そこには、ごくごく普通の子どもたちの姿があった。

そこで過ごす子は、どの子も悲壮感がなく
幸せな不登校児だった。


送り迎えの時にお母さんたちとも出会えた。
色んな情報交換もできるようになったし
悩みを相談し合えるようにもなった。


不登校になった経緯は、みんなそれぞれ違ったが、
子どもたちは、みんな傷ついていた過去があった

ここでは笑顔で過ごしているけれど
今は元気に回復しているけれど
みんな傷ついていた時期があった。


ナツコは、同世代の仲間と遊ぶことで
あっという間に、元気を取り戻していった。


この頃から、ナツコが小学校について話すようになった。

『学校は地獄だよ。私はロボットじゃない。
『学校は、言われたことを絶対にやらなきゃいけない場所なんだよ』
と少しずつ語るようになった。
少しずつ言語化できるようになってきていた。

『学校は、教科書、ノート、筆箱を置く場所まで全部決められてるんだ。鉛筆の本数やキーホルダーをつけて良い数まで。それが本当に嫌。』
『掃除は、みんな一列に並んで同じ方向を向いて、同じペースで右から左に箒を動かさないといけないんだよ。』
『学校は、言われたことをやるだけ。つまらない。』
『先生は何でも自分が正しいと思ってる』

そんなことを話し始めた。

小学校に対する疑問はあったが、学校が変わらないのであれば、こちらが行く場所を選ぶしかない。

フリースクール
インターナショナルスクール
オルタナティブスクール

少し遠い地域にはなるが
色んな場所へ問い合わせをした。

ナツコにいろんな世界を見て、
自分で決めて歩いていってほしい
そんな思いもあった。
でも、まだ6年しか人生経験がなくて
選択するのが難しいだろうなぁとも思った。

でも『お母さんが言うからここに行く』ではなく
自分が決める』ことは大切だと思っていたので
色んな学校に一緒に見学をしにいった。

ある日のこと。
フリースクールやオルタナティブスクールを探している中で『小規模特認校』という文字を見つけた。

小規模特認校』とは、文部科学省が定める学校選択制の一種のことで、特定の学校を「特認校」として指定し、少人数での教育の良さを生かした教育を行う制度のこと。

つまり、公立の小学校だが、田舎で少人数のため、個々のニーズに応じた対応がされやすい、という特徴がある。

住んでいる地域にはなかったが、
隣町の小規模特認校制度のある小学校があったので、ナツコと見学へ行くことにした。


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