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父親、息子の手綱を引き締める(1)

長男はこれまで、学校内に良き理解者を見つけては、教室以外の場所で割と頻繁に過ごさせてもらってきた。昨年度は司書さんと親しくなり図書室で、今年度は図工の先生と親しくなり図工室に居着くようになった。

親も認識をしていて、先日も父と子でこんな会話があった。暑い日の朝、登校前のことである。

父親:暑いから上着はいらないよ。
長男:図工室って結構寒いんだよ。

普通に教室に行っていると思っていたら何の会話か分からないだろう。我が家はしかしこの会話が成り立つ。

だが、思っていたより度が過ぎていると認識した父親が手綱を引き締めることになった。長男をこのまま好きにさせておいたら社会不適合者になると。

実は長男の学校生活については苦労が多かったこともあり、こういった理解者がいてくださることのプラスの効果も計り知れず、私自身はこれで良いのかも知れないと慣れつつあった。問題視されて指導対象になりがちだった頃に比べると、家庭でも長男を必要以上に注意しなくて済むようになっていた。親も長男も学校に関するストレスは減っていたのである。

しかし、個人面談の際に、担任の先生が「自分が担任か図工の先生が担任なのかわからない」とぽつりとこぼしたこと、管理職から長男の居場所を聞かれて図工室にいると答える際には、「指導力不足ですみません・・」「いや、そんなことないよ。そういう子いるからね~。」というやり取りがあったらしいこと、管理職の先生の理解があっても、先生自身は力不足を感じていたことが分かったのだった。

先生は、図工室に行くにせよ、「朝は必ず教室に寄って行ってほしい」と長男に伝えていたらしい。しかし長男が動線が良くないことを理由に図工室に朝から直行していたりして、夫は、「好きにさせるとタガが外れる、先生に『自分と図工の先生のどっちが担任か分からない』と言わせるほどとは思わなかった。」と言い、家庭内で今一度、どこまで良しとし、どこまでは守らせるかを話し合うことになったのだった。

いつからこうなった・・?

因みに長男は低学年の頃はこんなことはなかった。普通に皆と一緒に教室にいたし、運動会やイベントでも参加を渋るかも知れないといった不安をこちらが持つようなことはなかった。年齢が上がるごとに我が強くなってきたのか、他のお子さんとの違いが顕著になってきた気がしている。

長男に訊けば、低学年の時も気が乗らないことはあったが、他に楽しいことが学校内で見つけられなかった中では別のことをするインセンティブもなかったと言う。

恐らく小4の時に長男にとって学校生活が崩壊したことが大きいのではないかと思う。それ以降にたまたま理解ある先生方と出会ったことや、親も特性理解のために学校に働きかけた中で、長男に対して受容が進んだこともあるかもしれない。

(2)につづく