海上宏美

海上宏美

最近の記事

過去に海上宏美が書いた、SPAC宮城聰演出『寿歌』の批評です。

『寿歌』の描く核戦争後の世界は「未来の記憶」と言えるだろうか 海上宏美 『寿歌』は「核戦争後の廃墟と化した世界を放浪する男女3人の物語」であり、「近未来的な世界観がまさに現実に迫る今、宮城聰が新たな演出で手掛けます」という。これはSPACのウェブサイトに書いてある文章である。この文章を踏まえつつ、『寿歌』の前提となることについて、いろいろと考えをめぐらしてみたいと思う。 私は、『寿歌』の初演は見ていないが1980年代前半に『寿歌西へ』を見ている。『寿歌』は北村想が名古屋

    • 9/7(木) 阿佐ヶ谷ロフトA トーク      「政治にメンタルヘルスは不要なのか--ケア・「右傾」言説・新左翼」

      OPEN 18:30 / START 19:30 《会場チケット》 会場+配信付きチケット 前売¥2,000 / 当日¥2,500(+drink) 会場のみチケット 前売¥1,500 / 当日¥2,000(+drink) 会場チケットはLivePocketにて発売中 ※ご入場は会場+配信付きチケット→会場のみチケットの順となります(整理番号順) 《配信チケット》¥1,500 配信チケットはキャスマーケットにて発売中 ※アーカイブは9/21 22:00まで購入可/9/21 2

      • 9/7(木) 阿佐ヶ谷ロフトAでトークがあります。タイトルは「政治にメンタルヘルスは不要なのか ─ ケア・「右傾」言説・新左翼」

        9/7(木) 東京・阿佐ヶ谷ロフトA 18時30分~開場 19時30分~開始 登壇者 長崎浩(評論家) 三脇康生(精神科医・美術批評) 栗田英彦(日本近代宗教史・思想史) 塩野谷恭輔(『情況』編集長) 海上宏美(司会) 詳細はもう少しお待ちください。

        • 9/13(水) こまばアゴラ劇場で菅孝行×海上宏美のトークがあります。司会は劇作家佐々木治己さん。

          KPR/開幕ペナントレース ートークシリーズー 「解体と廃業、それから純白のテキスタイル」 対談:菅孝行、海上宏美(司会:佐々木治己) 日時:2023年9月13日14:00〜17:00 場所:こまばアゴラ劇場 〒153-0041 東京都目黒区駒場1丁目11-13 料金:当日カンパ制(入場無料/要予約) 予約:kpr.japan@gmail.com * 先着50名で締め切らせていただきます。 * kpr.japan@gmail.comからの返信をもって予約完了となります。  

        過去に海上宏美が書いた、SPAC宮城聰演出『寿歌』の批評です。

        • 9/7(木) 阿佐ヶ谷ロフトA トーク      「政治にメンタルヘルスは不要なのか--ケア・「右傾」言説・新左翼」

        • 9/7(木) 阿佐ヶ谷ロフトAでトークがあります。タイトルは「政治にメンタルヘルスは不要なのか ─ ケア・「右傾」言説・新左翼」

        • 9/13(水) こまばアゴラ劇場で菅孝行×海上宏美のトークがあります。司会は劇作家佐々木治己さん。

          1999年にわっぱの会*とOST-ORGANが上演した「話す演劇/離す演劇」についてわっぱの会の斎藤まこと*さんが書いた文章です。OST-ORGAN≀TEXT(2000年発行)に掲載されました。

          「話す演劇/離す演劇」をめぐって 斎藤亮人(わっぱの会) 1・はじめに オスト・オルガンの人と演劇をやってみようと思った動機はどんなものだったのだろうかとあれこれ考えてみた。「共に」というのは誰と誰の、何と何の「共に」なのだろうかという問い。障害を持つ人と持たない人という二分法にこだわっている限り双方が風景の中に存在するということは成立し得ないのだろうかという問い。「障害者」という存在は一体何なのかという問い。障害を持つ人も持たない人も一緒だという言説への不快感。「障害

          1999年にわっぱの会*とOST-ORGANが上演した「話す演劇/離す演劇」についてわっぱの会の斎藤まこと*さんが書いた文章です。OST-ORGAN≀TEXT(2000年発行)に掲載されました。

          海上宏美が演出家を廃業した理由を述べた文章です。名古屋の建築雑誌「C&D138号」に2005年に発表したものです。

          私が演出家を廃業した理由 海上宏美 1・連載最終回なので 私がこの誌面で連載をはじめたときは演出家という肩書きだったのだが、二年ほど前に演出家を廃業した。演出という立場で演劇作品を作ることをやめたのである。しかし、現在、そうした舞台芸術関係の仕事に携わっていないわけではない。大学では舞台芸術関係の講義をしているし、NPO法人*で舞台芸術関係の制作もしている。だから、矛盾はしているのだが、この矛盾が居心地の悪いものだとは思っていない。もちろん開き直っているつもりでもない。

          海上宏美が演出家を廃業した理由を述べた文章です。名古屋の建築雑誌「C&D138号」に2005年に発表したものです。

          OST-ORGAN≀TEXT(2000年発行)に掲載した演劇についての文章です。

          戯曲上演装置断層 海上宏美 話す私、聴く私という二分法=二重化の運動よって同一性、つまり統一された人格が保たれるということが近代のモデルであるという。音声や文字もまた言表内容を支える支持体であり、ここでも二分法=二重化の運動が作品の同一性を保証しているかのようである。メディウム、媒体、支持体なくして、音声による意味伝達、文字による意味伝達、画による意味伝達は不可能だということなのだろうか。ここから魂の問題、あるいは亡霊の問題が生まれてくる。話す私-声、聴く私-耳は「いまこ

          OST-ORGAN≀TEXT(2000年発行)に掲載した演劇についての文章です。

          OST-ORGAN の上演作品「カミガタリ≀引く演劇」〔1998〕 と「話す演劇/離す演劇」〔1999〕 を註釈した文章です。2000年発行のOST-ORGAN≀TEXTに掲載したものです。

          [discrete/n(亜)tion;platエアウ]という題で「カミガタリ≀引く演劇」〔1998〕「話す演劇/離す演劇」〔1999〕を註釈する 海上宏美 (私の隣にいる)私たちは[discrete/n(亜)tion; platエアウ]を傍聴-朗読しているのだが(古い集落では石を並べることを並数と呼んでいた)、数の外を並べることができないので(私の隣にいる)私たちは「curtainを引く」のだった。 OST-ORGANは1999年3月、わっぱの会の有志と「話す演劇/離す

          OST-ORGAN の上演作品「カミガタリ≀引く演劇」〔1998〕 と「話す演劇/離す演劇」〔1999〕 を註釈した文章です。2000年発行のOST-ORGAN≀TEXTに掲載したものです。

          2000年3月に発行されたOST-ORGAN ≀TEXTに掲載された浜島嘉幸氏*のOST-ORGAN論です。

          OST-ORGANと媒体性批判について 浜島嘉幸(身体表現) (1)はじめに-循環論的な印象 たんに生きていくためだけでなく活動していくために重要なふたつの契機、言語と身体は行為という面で他者へと開かれている。他者へと開かれているがゆえに、たとえば演劇が成り立っているとすれば、今度は演劇の中での行為が「その他者」へと閉ざされたかたちでやってくる。そういう「その他者」へと閉ざされたかたちを内にもって、演劇という活動は観客や社会に開かれている。こうして、遅かれ早かれ「その社

          2000年3月に発行されたOST-ORGAN ≀TEXTに掲載された浜島嘉幸氏*のOST-ORGAN論です。

          1991年10月、OST-ORGANが5月に上演した『DIE HAMLETMASCHINE---ハムレットマシーンにおける受苦性の空虚に関する上演』を『ハムレットマシーンパラタクシス』と改題*して上演した際の、上演方法を述べた文章です。(1991年10月発表)

          「ハムレットマシーンパラタクシス」の方法について 海上宏美 「ハムレットマシーンパラタクシス」は「ハムレットマシーン」を「クラップ最後のテープ」の方法で上演するということで構想された。それは「ぼくはハムレットだった」という冒頭の一文に尽きる。ミュラー解釈にベケットを用いているのではない。単にベケットの方法をそのままそっくり引用しているだけである。だからとくに内在的な解釈は必要としない。演劇にコンテクストがあるとするならばこうした方法はとられてよいはずである。 以下その具

          1991年10月、OST-ORGANが5月に上演した『DIE HAMLETMASCHINE---ハムレットマシーンにおける受苦性の空虚に関する上演』を『ハムレットマシーンパラタクシス』と改題*して上演した際の、上演方法を述べた文章です。(1991年10月発表)

          1991年5月、ハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』をOST-ORGANが上演した際に『DIE HAMLETMASCHINE---ハムレットマシーンにおける受苦性*の空虚に関する上演』と題した理由について述べた文章(1991年5月発表)

          隣接と受苦性 海上宏美 「ハムレットマシーンは可能か」という問いには様々なバリエーションが含まれている。「ハムレットマシーンの上演は可能か」「ハムレットマシーンの解釈は可能か」「ハムレットマシーンの翻訳は可能か」「ハムレットマシーンから何かを引き出してくることは可能か」。これらの問いに通底していることを一言で換言すれば、テクストとしての「ハムレットマシーン」から、内在性に基づいてさらなる要素をあぶりだすことと言えるのではないか。次のステップとして「上演不可能性を前提としな

          1991年5月、ハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』をOST-ORGANが上演した際に『DIE HAMLETMASCHINE---ハムレットマシーンにおける受苦性*の空虚に関する上演』と題した理由について述べた文章(1991年5月発表)

          2つめの絶対演劇第2宣言~絶対演劇第1宣言から剥離された切片(1992年3月発表)        

          2つめの絶対演劇第2宣言~絶対演劇第1宣言から剥離された切片 海上宏美 (1) 絶対演劇は〈演劇は演劇である〉という同語反復を肯定する。そこには目新しさは何もない。ある演劇の同一性を前提に〈演劇は演劇である〉と言われる事態がある。絶対演劇はこの事態ではなく〈演劇は演劇である〉という同語反復そのものに注目する。ここでは絶対演劇は同語-反復やその由来である断絶の絶対性に隣接する。〈演劇は演劇である〉という同語反復がある奇妙さをともなっているとすれば、それは演劇という意味の同

          2つめの絶対演劇第2宣言~絶対演劇第1宣言から剥離された切片(1992年3月発表)        

          2022・10・8                名古屋大須七ツ寺共同スタジオ50周年記念トーク企画 菅孝行基調講演            「アングラ演劇の歴史的存在理由を忘れてはならない理由―歴史の偽造に抗して」                            

          七ツ寺共同スタジオ50周年記念トーク、2022・10・8の「アングラ演劇の歴史的存在理由を忘れてはならない理由」において、菅孝行さんに基調講演をしていただきました。以下がその草稿です。菅孝行さんの許可を得て公開します。                                       トーク企画司会者  海上宏美  アングラ演劇の歴史的存在理由を忘れてはならない理由―歴史の偽造に抗して(10・8発題要旨)                 2022.10.8 七ツ寺

          2022・10・8                名古屋大須七ツ寺共同スタジオ50周年記念トーク企画 菅孝行基調講演            「アングラ演劇の歴史的存在理由を忘れてはならない理由―歴史の偽造に抗して」