1999年にわっぱの会*とOST-ORGANが上演した「話す演劇/離す演劇」についてわっぱの会の斎藤まこと*さんが書いた文章です。OST-ORGAN≀TEXT(2000年発行)に掲載されました。
「話す演劇/離す演劇」をめぐって
斎藤亮人(わっぱの会)
1・はじめに
オスト・オルガンの人と演劇をやってみようと思った動機はどんなものだったのだろうかとあれこれ考えてみた。「共に」というのは誰と誰の、何と何の「共に」なのだろうかという問い。障害を持つ人と持たない人という二分法にこだわっている限り双方が風景の中に存在するということは成立し得ないのだろうかという問い。「障害者」という存在は一体何なのかという問い。障害を持つ人も持たない人も一緒だという言説への不快感。「障害者」をエネルギー源、消費対象にしてしまう意識、無意識、行動などへの怒り。「障害者」とか、「ハンディキャップ」とか、「チャレンジ」とか、「エイブル」とか様々な冠をつけられる「アート、芸術文化」への疑問。障害を持つ人のことが「セラピー」「癒し」、「自己実現」というものと関連付けられることの多いことへの批判。「当事者主義」への疑問。等々。このような問いや疑問がいつもグルグルと答えを求めていて、その出口を見つけようとしてオスト・オルガンとの演劇に取り組んだといえるのかもしれない。
2・障害を持つ人の表現活動への視座
最近障害を持つ人の表現活動が活発に行われている。しかし、その評価が一面的であったり、きれい事で評価され過ぎやしないかという感を強く持っている。障害を持つ人をめぐる様々な社会的な問題や、きれい事だけではすまない状況などがたくさんあることと密接不可分の表現であるということにどこまで想いをめぐらしているのだろうかとつい思ってしまうのである。ひねくれていると言われるかもしれないが、「素晴らしい絵」を書いている人が、作業所に通う人で月々数千円の工賃しか貰わず、ずいぶん年をとっているのに親と同居し続けなければならないということは珍しいことではなく、障害を持つ人の間では「普通」のことである。このようなことが捨象されてしまう表現活動やそれに対する評価に対して批判する視座が必要である。そのことが「話す演劇/離す演劇」のモチーフのひとつだ。
世の中は人々を癒す芸術が幅を利かせ始めている。いま手元に「アートフル・アドボカシー 生命の、美の、優しさの恢復 芸術とヘルスケアのハンドブック」(発行:財団法人たんぽぽの家99.3刊)という本がある。その中の播磨靖夫(たんぽぽの家理事長)の文章は「エイブル・アート・ムーブメント」について、「……私たちは生命を織り成す新しい芸術運動の必要性を感じ、四年前から『エイブル・アート・ムーブメント』を提唱し、新しい視座で『障害者芸術』を見直す展開をしている。それが今では『障害者芸術』に概念化されたアートとは別の美的価値を見出し、それらが人間の魂の解放にどのような影響を及ぼすかを見る新しい芸術運動へと発展している」と述べている。私が批判しているような障害者の表現活動とはレベルが違うよというわけである。だったらなぜ「障害者芸術」という概念に「障害者」という言葉が必要なのかと思うのはおかしいのだろうか。
さらに「今日の日本における芸術は芸術のために存在し、人間を幸福にしたり、癒したり、元気づけたりはしない。現代アートと呼ばれるものが、私たちの人間の生と死、生活から離れたものになっているからだ。それに対し、障害のある人たちの『エイブル・アート』は、人間の『生/エロス/聖』の表現である。それに触れる人たちを元気づけたり、癒したり、新たな気づきを与えたりする。」と述べている。どれだけ現代アートに関して造詣が深いかは知らないが、あまりにも紋切り型の切り方である。そして癒しを与えないものを切り捨てるのである。
この論理の行き着く先の一例が、同じ本の中の栗原彬の「現代社会における受苦と癒しの構造─エイブル・アートの意味」という文章に見て取れる。彼は水俣の問題に言及したり、様々な活動の呼びかけ人になったりして結構「社会派」の人だと私は理解している。彼はその文章の中で「エイブル・アートは近代的なモノの見方を組み替える。開発と生産価値本位の世界観を組み替える。健常者と障害者という構図に逆転が起こり、この二分法が解体される。エイブル・アートは、規範化された身体規則を解体し、システムがもたらした身体の構造的なこわばりを解きほぐしながら、コスモスを内に孕む生き方、自律と共生、対話的相互性、関係の直接性、他の生命への極限的感受性としてのやさしさということを身体に掘り起こす。」と述べたあと、「エイブル・アートは、障害者と市民が自らを癒しながら、現代社会を構造的に癒す運動である」と結論付けている。エイブル・アートは健常者と障害者の二分法を解体すると言いつつ、「障害者と市民」が自らを癒しながらと述べ、見事に二分した文脈を結論で語ってしまっている。何となく語るに落ちたという感じだが、これはついうっかりということではなく、このエイブル・アートの実体やそれを語る論理が障害者の本当の「生」とは切り離れている結果なのではないだろうか。また障害を持つ人に対して特化した価値観を付与することによって起きる現象とも言えるし、「障害者と市民」という言い方に帰着するところにエイブル・アートの欺まん性や権力性が読み取れるのである。
私はこの二分法は簡単には解体できないと思っている。しかし、二分する線引きがあいまいな部分があると確信するし、局面や場、関係性によっては二分法が解体する瞬間はあると経験上思っている。このような抽象的な言い方しかできないのがもどかしい。これは私の中で課題が整理されていないことの証左でもあるのだが、そのあいまいな部分や解体する瞬間みたいなものをうまく表現したいのである。
演劇を作る過程で読んだ文献、「私は如何にして<介助者>となったか?」(小倉虫太郎:現代思想98.2)の中で「例えばマスメディアのドラマの中で健常者の役者を使って代行されていく「必死に生きるけなげな人々」というイメージによって(障害者が)植民地化していった事態をも見逃すわけには行かない。」(かっこ内筆者)という指摘は重要である。このエイブル・アートや様々な障害者をめぐる表現がいかに障害者を「植民地化」しているのか詳しく分析してみる必要がある。
これを癒しとの関係でいうと、自己実現=癒しをするために他者=障害者を取り込むという構造。ここに植民地化の契機がある。「○○は△△を癒す」という形でイデオロギー的に言うのではなく、癒されるか癒されないかは誰にもわからないと言った方がどれだけ誠実だろうかと思う。まず自己から発想する回路を逆転させて、古典的な言い方かもしれないが、まず他者(このとき他者とは何かという問題も生じるけれど)に向かう視点から自己を浮かび上がらせるという方法のほうが二分法を解体する瞬間を捕らえることを可能にするのではと思っているのである。
付け加えの話になるけれども、名古屋では毎年「障害者と市民の集い」というものが開かれていることを記しておく。現在の名古屋での障害を持つ人への理解の水準を示している。もちろんここには二分法を解体する瞬間を望むべくもない。
3・話すということ
言語障害を持つ人の話を聞いてもらうということが「話す演劇/離す演劇」の企画を立てる上での最初のコンセプトであった。言語障害を持つ人が他人に何かを伝えようとして、「ア~ッ」とか発声を始めた途端、話し掛けられた人はその発声者の周り人に「通訳」をしてもらおうとして周りをキョロキョロしたり、まだ「あ」しか言っていないのに数秒間にわたる「ア〜」という音から、何か話されたはずだと勝手に思って、先回りした勝手な結論で行動を始めたりということが日常茶飯事に起きる。その瞬間、話し掛けられた人は言語障害者の「話す」ことを聞かなくなっているのである。つまり話を聞き始めた瞬間に無視し始めるということになってしまう。障害ゆえに筋肉が緊張するために話す際顔がゆがんだりすると、苦しそうに話しているとか、話すのが苦しいのではないかと勝手に思ってしまうのである。
そこで言語障害を持つ人が話すということを組み入れてひとつの表現活動をしたかったのである。組み入れると何らかの形で聞かざるを得ないからである。そして表現する時になんとかその「話すこと」を風景化できないかとあれこれ試行錯誤してみたのが「話す演劇/離す演劇」だった。話すことを文字化してディスプレイしたり、話している姿を映像化したり、手話で説明したりすることにより、ある時は聞き取りにくい話として浮かび上がったり、ある時は通奏低音のように背景に引っ込んだりすることで全体としては言語障害者が話しているということが演劇の中で風景のように受け止めてもらえると面白いのではないかと思ったのである。もう少し違う言い方をすると、障害を持った人や持っていない人とかがよくわからないけどみんなで何かごそごそやっていて、そしてその結果、言語障害者が発する言葉というものが何か自然なというか一体的な感じを醸し出す中で存在することができるのかという実験だったとも言える。
つまり、風景化するということは何か特化したものは厳然と存在するけれども(今回の演劇の場合は言語障害者の発話というもの)、ある仕掛け(今回の場合は演劇)によって並列化してしまうということ、と言えるかもしれない。これも先ほどから触れている、障害を持つ人と持たない人の二分法のことと関連することである。その意味ではいろんな形で、いろんな人が風景化の仕掛づくりを具体化すれば面白い、と思っている。
*
*わっぱの会
1971年、名古屋の街の中で3人の若者が共同生活を始めた事をきっかけに、この会は誕生しました。
障害を持つ人もそうでない人もみんなが「共に働き、共に生活する場をつくり、共に生きる社会を実現しよう」と、さまざまな事業・活動に積極的に取り組んでいます。
(わっぱの会ホームページより)
*斎藤亮人(さいとうまこと)
わっぱの会のメンバー。政令指定都市で初めての車イス議員となり、1990~2023年まで名古屋市議会議員として7期活動しました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?