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実録怪談エッセイ ちょっとコワくて不思議な話

本当の怪異は何気ない日常生活の中で起きる

はじめに
 インターネットの普及で、今や世の中はデジタルの時代である。スマホひとつで世界中の情報を知ることができる。
 そんな最先端な時代にあって、今なお怪談話や非科学的なことが人々の興味を惹きつけるのか、考えてみれば面白いことだ。霊魂の存在がこの科学万能の時代に於いて、未だ解明されない謎という点に、多くの人は魅了されるのだろうか。かく云う自分もそうしたひとりである。
 今までそうした世界に興味を持ち、数多のコワい番組(以前はレギュラー番組まであった)や、怪談話や心霊写真に至る世界を覗いてきた。霊能力はないが(たぶん)、そのおかげでそうした世界に詳しくなり、社会生活ではまったく役に立たない知識だけは身につけたきた。
 これから掲載していく話の中心は、私自身が体験したこと、あるいは身の回りで起きたこと、自身の母親が体験したものになる。だから作り話ではなく、本当に起こった出来事であるが、幽霊に追いかけ回されるなど、嘘か真実か判らないその手の話ではない。あくまで不思議という定義で、人によってはちょっとコワいかもしれないが、あるものはある、ないものはない、が私自身の信条であるがため、信憑性の問題からあえて読書形式にしている。
 この先幾つかの話を掲載し続けていくことになるが、最終的には人魂についての考察まで掲載するのが、自身にとっての目標である。興味のある方は、どうぞ最後までお付き合い下さい。
 ようこそ、怪異の世界へ。

死の知らせ その壱

 怪談話に於いて定番とも言える〃虫の知らせ〃という現象。悪い夢を見て胸騒ぎを覚え、近いうちに知人や親族の死を知る、というのは代表的な事例だろう。突然物が倒れる、或いは不可解な音を耳にするとか、この体験をした人の話の内容は枚挙にいとまがない。
 この〃虫の知らせ〃は大抵の場合、人の死に直結する不吉な前兆という点で共通している。私がいつもこの話に触れ奇妙に思うのは、なぜ皆が同じような体験をするのか、という問題である。この不思議な現象のすべてが偶然、或いは錯覚と捉え、霊魂説を否定することは、私にはできない。なぜなら私自身も、そうした体験をした一人だからである。
 それは今から二十年前のある年の冬、一月二日のことだった。
 外出して夕刻頃家に戻った私が、トイレに入ろうとしてドアノブに手をかけた時、突然頭の上に何かが落下してきた。それは私が趣味としている釣りに携帯する、ビニール製の水タンクであった。海釣りをする私が、釣り終わりに手を洗うために使うもので、玄関上の棚に収納していた。
 置き位置が悪かったのか、棚の上に戻し、トイレに入ったところで、家の電話が鳴ったのが聞こえた。母が電話をとったようだったが、間もなく驚嘆の声がして、私も何となく胸騒ぎを覚えた。そしてトイレから出た私を待っていたのは、当時一緒に仕事をしていた親類の男性が事故に遭い、救急搬送されたが意識不明という衝撃の知らせであった。マウンテンバイクが趣味だった彼はその日、家族と出かけた練習場で転倒し、顔面を強打したことによる脳挫傷であると、駆けつけた病院で知った。
 あの時、私の頭の上に落下してきた水タンクはビニール製で、空の状態であれば確かに軽量だ。何かの弾みで落ちることもあるだろう。だが、なぜあのタイミングだったのか。まるでその不幸を知らせるかのように思えた。同じ棚の上に釣り道具も収納していたが、玄関の上であり、空のタンクとはいえ、普段から十分なスペースを作って置いていたし、後にも先にも棚の上から落ちるということはなかった。
 不思議なことはこれで終わらなかった。かくして彼は意識不明のまま病院の集中治療室にいた訳だが、それから5日間ほど経った日のこと。私は夜中にふいに目が覚めた。外で何かの鳴き声がする。さかりがきた野良猫が鳴いているのか、隣家との間にある塀の上か、或いは前の道の辺りか、とにかく近い距離なのだが、異様なのはその声で、唸りをあげるような鳴き声でとても不気味なものがあった。後から聞いて知ったが、その鳴き声を聞いて母も目が覚めていて、不気味な気持ちでいたらしい。
 布団の中で不安な気持ちでいると、果たして枕元の電話が鳴り、その親類の彼が今息を引き取ったことを知った。
 この親類の死にまつわる、自分の身に起こったことは何だったのか。
 ただの偶然でしょうー。もちろんこうした出来事に科学的根拠はないから、そう否定するのは個人の勝手だが、ではなぜ、死の淵から生還した人たちが同じような風景を見てきたと言うのか、それもまた不思議な話である。
 霊魂というものが存在するとしたら、やはりそこには科学では説明のつかない、〃何かがある〃と感じずにはいられないのである。


死の知らせ その弐

 我が家では、前述した私の体験の他にも、〃虫の知らせ〃の現象があったので紹介する。
 ある日の夜、突然木製の洋服タンスが鋭い音を立て、ひとり勝手に片方の扉が開いたことがあった。不気味に思っていたら、翌日父の友人が同時刻頃に死亡していたことが判明して驚いた。
 また別な日の夜中、テレビが鋭く軋むような音をたてて父は目を覚ましたが、やはり知人が同日の時刻頃に亡くなっていたことを後になって知ったという。あまりそうしたことに関心のなかった父がこの時は神妙な顔つきで、こんなことがあった、と話していたのを覚えている。
 私の母はそうした(?)体質なのか、後述でも掲載するが、昔から幾つか不思議な体験をしてきている。
 私がまだ幼少の頃、親類のK子さんという女性が、十代の若さで病魔に冒されて亡くなった。痛みを伴う辛い闘病で、病室に見舞っていた母も、随分気の毒に思っていたという。
 そうしたある日の夜、眠っていた母はそのK子さんが、目黒不動尊(当時の住まいの近くだった)の本堂へ登る長い石段のところで、白い着物を着てじっとこちらを見つめて立っている夢を見た。そしてどこかから自分のことを呼ぶ声で目が覚め、二階から階下に降りると、玄関口にK子さんの父親がいて、先刻K子さんが亡くなったことを知った。その日他に家人もいたが、夜中で一階に電話があったためかけても誰も出ず、家まで知らせにきたとのことだった。
 きっとあれはK子さんが自分があの世へ旅立つのを知らせたものだったと、母は今でもそう言っている。

四十二

 日本では四、九の数字を忌み嫌う傾向にある。漢字で四は死、九は苦、を連想させるからだ。漢字の言語文化国ゆえの特徴とも云える。
 それが四十二(42)ともなると〃死に〃で事態は更に深刻さを増す。実際に四十二という番号を敬遠する風潮は今も根強く、代表的なものではホテル等の客室番号402や、病室番号に4を欠番にしている例だ。
 最もこの忌み数は、古くは戦国時代からあったそうで、当時戦に明け暮れる武士たちは縁起を担ぐ為、四の数字を嫌ったそうである。
 昭和四十年代頃の話だが、この忌み数にまつわる不思議な話を母から聞いた。
 当時住んでいた目黒の実家の町で、ある時地域の銀行が顧客の住民を対象に旅行会を催した。高度経済成長真っ只中だった当時の日本では、他にも葬儀会社(互助会)などもそうした団体旅行を催していたようだ。
 その銀行の能登半島への団体旅行に私の父も参加していて、その中に地域の知り合いだったA氏という男性がいた。このA氏、宴会の最中に何故か一人で風呂に入りに行ったが、酩酊状態だったのか、そのまま風呂場で急死してしまったそうだ。
 不思議なのはこのA氏にまつわる忌み数で、死亡したその日が四月二日、年齢が四十二才、バスの座席番号が四十二番(四列二番だった可能性もある)だったというのである。まるで死にとり憑かれていたようだ、とこの話は地域で随分と話題になったらしい。
 こんな話を聞いて育ったせいか、私も縁起を担ぐ気質になり、日頃から忌み数に敏感になる。
 私の家系は寺の檀家で、毎年九月に施餓鬼法要が行われる。
 ある時その法要に参加した際、下足番の札を渡されたのだが、それが四十二番だった。場所が場所だけに、このタイミングにこの番号には不吉な気分にもなる。自身の身に何か禍いが起きる予兆かもしれない。小心者の私はそんな偶然に怯えながら日々を過ごしていた訳だが、その年の冬、初詣に出向いた神社でおみくじを引いたところ、なんとそれも四十二番札だったのである。
 数ある中で同じ数字を二回も引く確率はいかほどなのか…?これはもう何かある、きっとおみくじには大凶とあり、命運もここまでなのかもしれないと一人戦慄を覚え、震える手で恐る恐るおみくじを開封してみると、それは大吉であった。


白い煙

 これも母から聞いた、昭和四十年頃の話である。
 私が生まれる前、当時我が家では犬を飼っていた。姉が友人の家からもらってきた雑種だったようだが、飼育環境がよろしくなかった(叔父などが自分の食事まで食べさせてしまっていたらしい)のか、或いはフィラリアにかかったのか、一年たらずで死んでしまったらしい。それで当時三千円だったというが、業者に引き取ってもらって処分されることになった。
 その当時の実家は二階建てだったのだが、母は二階に白いモヤのような、白い煙のようなものが漂っていることに気づいたそうだ。
 漏電による火災も疑われたため、電気会社を呼んで調べてもらったが、異常はない。不思議に思っていると、霞が晴れるように白い煙も消えたという。
 後でわかったことだが、白い煙のようなものが二階にたちこめていたその時間、死んだ犬が火葬されていたそうだ。


オジさんがいる

 この手の話を当サイトに掲載し始めたら、読んでくれている姉からも、こんなことがあったと話を提供してくれた。
 姉の娘、私からすれば姪の体験談である。
 姪は神奈川県の新築マンションに居住していて、現在小学一年生になる娘がいる。その娘が二才半になった頃、
「玄関に知らないオジさんがいる」
 と突然言い出すようになって、怯えて姪にすがりつくようになった。もちろん姪には何も見えないし、玄関にそれらしき姿形は確認できない。
 単に子供の虚言だと思っていたそうだが、その後もたびたび怯えた様子を見せるので、困惑していたそうだ。
 それである日、娘の友達の子が自宅に遊びにきた折、姪は試しにその子に、
「ねえ○○ちゃん、玄関にオジさんっている?」
 と訊いてみたところ、その子は、
「うん、誰か知らない人がいる」
 と答えたという。
 マンションは新築で、思い当たるようないわくつきの話もないから、姪もどう気持ちを整理したらいいか、コワくもあり、戸惑ってしまったそうだ。
 さて、成長するにつれ娘がそのことを口にしなくなったのは良かったのだが、姪はというと、今でもそのことが気になっているのか、寝ている時、部屋の少し開いた襖から、誰かが覗いている気配を感じる時があるという。
 オジさんの正体は謎だが、子供の頃にだけ見える、感じる、ということがあるのだとすれば、気づかないだけで、案外誰しも子供の頃に、本当は見えないモノ、を見ているのかもしれない。


不思議な声 その壱

 これは私が高校二年生の時に実体験した出来事である。信憑性のため詳述する必要があり、やや長文になるので、三回に分ける。面倒くさい方は飛ばして下さい。

 私は幼少の頃から怪談の世界に興味があったが、同じくそういうものに少なからず興味を持つ友人や先輩と親しくなって、まったく興味のないクラスの連中まで引き込んだ挙句、「超科学同好会」なる部活動が展開された。
 「超科学同好会」と言えば随分大袈裟で、その活動内容で中心になったのは、カセットテープに怪しい物音を録音する、というものであった。
 私が通っていた高校は都立の職業高校で(今では某バラエティ番組でロケ地にされている)、その録音場所に選ばれたのが「製図室」だった。
 「製図室」は増築された校舎のいちばん端にあり、周辺を鬱蒼とした樹木に囲まれているせいか、昼間でも薄暗く、何となく不気味さが漂っているというのが、その選定理由だった。
 カセットデッキはタイマー録音できる当時としては優れもので、持ち主の友人が実験のたびに混み合う電車の中をわざわざ運んできた。
 放課後その「製図室」に、夜中の二時から三時まで自動的に録音できるようにカセットデッキをセットする。そして翌朝授業開始前に集まり、興味津々、何の音が入っているかそのテープを再生して聞き入った。
 実際に録音されたテープには真夜中の静けさの中、風が木々を揺らす音、何かがぶつかる音、正体不明なものまで様々な物音が入っていた。当然心霊的な音を期待している訳だが、そこまで説得力のある音が入っていたとは言い難い。
 今から思えば人によっては珍妙としか思えないことを、アオハル真っ只中の連中がこぞってすることでもないから、皆段々飽きてきていた。


不思議な声 その弐

 そんなある日のことである。
 言い出しっぺは自分だったかもしれないが、今度は直接目に見えないモノに、語りかけてみてはどうだろうか、という方法を実践することになり、放課後いつもの連中と、世界史の教師である同好会の顧問をかって出てくれた物好きな女性の先生が、「製図室」に集まった。
 これはラウディブ・ヴォイスといわれる実験で、アメリカなどでは霊の声が入ったなどと(今から思うと作りものだったかもしれないが)、昔はそういうテレビ番組で紹介されてもいた。
 問いかけ役は私が行うことになった。机の上にカセットデッキを置き、録音状態にする。そして、
「あなたは誰ですか?」
「どこから来たのですか?」
「あなたはこの世に未練があるのですか?」
 といったことを、誰もいない空間に向かって語りかけた。皆私の周りに陣どり、まんじりともせずにその様子を見守っていた。時間にして二、三分ほどだったと思う。
 そして、今録音したテープを再生してみると…。


不思議な声 その参

 私も皆もテープから流れる音に聞き入った。
 実験の最中は気づかなかったが、私が問いかけをすると、なぜかそれに呼応するかのように、外でカラスが啼いた。
 そして、幾つかの問いかけの後だった。か細くだが、しかしそれははっきりと、「フウー、…」という声らしきものが録音されているではないか。それは誰が聞いても女性の声と判る高い音程で、物音とかではなく、すぐ傍で、空間の中に確かに存在する声としか思えないものだった。
 実験をしている間は皆物音ひとつ立てず、そこに女性は顧問の先生しかいない。だが先生は遠巻きの位置にいて、第一声色が違う。そもそも誰かがその声を発したならば、皆気づいていた筈だ。
 では、一体誰だー?
 そこにいた誰もが冷水を浴びせられたようにゾーっとして、実験が成功した(?)というよりも、あまりの恐怖に「製図室」から逃げ出した。
 テープに入った声らしきものは一体何なのだ?皆で本校舎への渡り通路で固まって、騒然となった。その出来事に衝撃を受けている、先生の青い顔を今でも忘れられない。
 とにかくこの事態を収束させなければならないが、その得体が知れないモノがとり憑いてしまうのではないか、という恐怖感で不安と不気味さが抜けない。私自身、さっきから頭痛がし始めているのも気になる。
 お清めをした方がいいんじゃないか、という話になり、一人の家が某宗教団体の入信者だったため、その彼に心得ているという清めの経を唱えてもらった。
 するとどうだろう、私の頭痛がスーっと消えたのだ。これには驚いたが、後日顧問の先生にそのことを話すと、なんと自分も同じ状態だったという。アレは何だったんだろうね、と不思議そうな顔をしていた。
 さて、件のそのカセットテープだが、気味悪がって誰も持ち帰らない。仕方なく先生が預かることになり、職員室の机の引き出しに仕舞われた。先生はこの出来事をまた別な先生に話し、そこからまた別のクラス生徒にも知られることになって、一時職員室でも話題になっていたようだ。
 この出来事は私だけではなく、当時そこにいた全員が体験した話だから、証人は今でも複数いる。
 あれからウン十年、あのテープは今も現存しているのか、卒業以来その先生と会う機会がなかったことが惜しまれる。できれば声紋鑑定にでも依頼して、正体を突き止めたいとも思っているから、自分が保管しなかったのは残念な気もする。しかし一方で、あのテープを引き取っていたならば、今の自分がどうなっていたかは自信がない。


銅版

 祟りにまつわる怪談話というのは、どれほどのエピソードがあるかわからない。東京でも平将門の首塚が有名であるし、切ったら祟りがあるとして、未だ道路の真ん中に鎮座したままの大木とか、この手の話は全国の至るところにある。寺社に納められている呪いの面とか人形とか、因縁めいた物は数知れない。
 誰だって当然祟りには合いたくないから、できればそうしたいわくつきの場所や物には接触したくはない。しかし、思いも寄らない形で遭遇してしまう人もいる。
 仕事先で知り合ったアルバイトのA君の家は、かつて家族経営の塗装業だった。
 ある時、内装を頼まれた会社へ父親と赴いた。
 その会社のオフィスの一室の隅に、銅版が祀ってある神棚とおぼしきスペースがあったという。何が刻まれた銅版なのかはわからなかったが、特別な意味があるのは一目瞭然だったそうだ。
 しかしあろうことか、塗装の作業中に、父親がその銅版を誤って床に落としてしまった。それだけならまだしも、父親は更に拾おうとした弾みにその銅版を踏みつけてしまう。
 その一連の不祥事を目撃していたA君は、何かあったらマズイ、と本能的に思ったそうだ。だが、根っから能天気だったという父親は、
「悪いネ」
 とひと言呟いて銅版を神棚に戻し、適当にパンパンと手を打って、その事態に素知らぬ顔で作業を続けたという。一方のA君はというと、不安にとりつかれ、その後の作業中も、銅版のことが気になって仕方がなかった。
 かくしてその翌日、道路を横断しようとした父親は、突進してきた車に跳ねられて入院するハメになったそうだ。
「あれは絶対、銅版の祟りだったんです」
 助手席のA君は、神妙な顔つきでそう言うのだった。


死の予感 その壱 

 動物には特殊な能力があると云われる。地震の前兆を察知して異常行動を起こす、というのはよく聞く話だ。ただこれは地震雲と同様に科学的な根拠がないようで、その真相は嘘か真実か判然としない。信じる人はそれで良いのではないか、というのが世間の風潮のようである。
 では人間はどうか、といえば、そうした何かを察知する能力は、人によっては、時に予期せぬ結果となって発揮されることがあるようだ。
 私の読書は乱読で、マンガからエッセイまで幅広く興味のあるものを読む。怪談ものも沢山読んできたが、まったく別なジャンルの著作から、不思議だなあ、と思った記述があったりするので、簡単に紹介させていただく。

 まず、門田隆将さんの著作、
「風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故」の中から。
 この著作は文字通り、五百二十人の犠牲者を出した、1985年に起きた日航機墜落事故を、何人かの遺族の当時の苦境と、その後の心境に迫ったノンフィクションである。
 その多くの遺族の一人に、不思議な予知の証言がある。
 仮にA氏とするその男性は、当時中学二年生だった。彼の父親が事故の犠牲者となったのだが、その日地元大阪での法要を家族で済ませた後、父親は東京へ出張するために駅へ向かった。
 家族で駅まで見送りに行った際、なぜかA氏は駅へのコンコースで、後ろ姿の父親にこんな言葉を投げかける。
「親父、死ぬなよ」
 ふっと出た不吉な言葉だったとA氏は述懐しているが、なぜあんな言葉がその時出たのかわからない、父親の身に何も起こらなければいいが…、という思いが残ったそうだ。
 その不吉な予知は、かくして残酷な結果となる。
 単純に飛行機に乗ることへの不安から出た言葉、とは言い切れないのは、著作を読めばわかる。テーマが違うので、門田氏はそのことについては自著で見解を述べていないが、私はそれは血のつながった親子の絆がもたらした、ひとつの予知だったと思うのだ。

死の予感 その弐

 次に紹介する話は、リチャード・ロイド・バリー著作
「黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実」から。
 もうだいぶ前になるが、六本木でホステスとして働くために来日したイギリス人女性、ルーシー・ブラックマンさんが殺害されるという事件があったことを覚えているだろうか。本書はその事件の真相に迫ったノン・フィクションで、500ページにも及ぶ大作である。
(話は逸れるが、この本は事件の詳細を記述しただけではなく、その背後にあった関係者の闇や、容疑者として捜査線上に浮かんだ人物たちの変態性などが暴かれ、その緻密な記事に圧倒される)
 その中に印象深い記述がある。
 詳細は省くが、プライベートな事情から、ルーシーさんは日本へ行き、ホステスとして働く決意をする。しかし、それを知った際の家族の反応は尋常なものではなかった。母親はこう証言している。
「(略)でも、何か恐ろしいことが起きる、私にはわかっていました。不安が頭から離れなかったんです。あの子が日本と口にした瞬間に、頭の中で声が響いたんですー。”何かひどい事態になる”。」
 だがそうした母親の反対も聞かず来日を決意するのだが、その出発前にも彼女は異常とも思える部屋の大掃除を始めたという。それは単なる片付けというレベルではなく、二度とその部屋に戻らないような勢いで、洋服などの品物を処分していたそうだ。
 また妹もただならぬ不安感にさいなまれていたようで、姉あてに書いた手紙十八枚の内容は重く、涙が止まらず、まるで最後の手紙を書いているような気分だったという。
「姉が日本について話すとき、帰国後の様子を思い浮かべることができなかった。姉が戻ってくる姿をどうしても想像できませんでした」
 そう証言している。なぜか、”最後”という感覚が頭を離れなかったようだ。
 家族が抱いた不安は現実なものとなり、その数か月後、来日したルーシーさんは湘南の海辺の洞窟のような場所で、無残な遺体となって発見されてしまうのである。
 確かに家族にとっては、ホステスという得体の知れない仕事への印象の悪さや、ルーシーさんのプライベートな問題も、不安に拍車をかけていたことへの一因であったかもしれない。しかしそれを差し置いても、彼女が日本へ旅立つ時に家族が胸に抱いたその不吉な感情は、予知という第六感だったと言ってもいいのではないだろうか。
(ちなみにこの事件の容疑者は、最高裁で無期懲役が確定しているが、その判決の真相はWebの記事などを参照して下さい)

 さて、この第六感の持ち主が、最近になって自分の身近にいることを知り驚いた。私の姉である。
 母親のそうした(?)体質が遺伝しているのか、結婚した頃から予知夢を見るようになったらしい。
 時としてそれは電車の中の場面であったりするようだが、何者かわからない人物が出てきて、嘔吐しているという気味の悪い夢を見ると、その二、三日後、決まって家族の誰かが体調を崩すという。それは今まで何度もあったとのこと。
 また旦那、つまり私の義兄だが、一昨年脳梗塞を発症し、棺桶に片足を突っ込んだ状態になったが、この時もなぜか数日前から旦那の出てくる夢を頻繁に見るようになっていたそうだ。
 姉は今では友人たちから、私のことが夢の中に出てきたらすぐに教えてね、と言われているらしい。
 

カゲが薄い

 ”カゲ(影)が薄い”、という表現がある。おそらくこれは日本語独特の表現だと思うのだが、この言葉が指す意味とは、
 ”地面などに映る人の影といった具体的な現象のことを言うのではなく、また、大人しい、物静かだ、といった受ける印象の希薄さ”
 という点とも違う。そのことに言及した民俗学者、今野圓輔氏の「日本怪談集 幽霊編」での一文を引用すれば、
「カゲが薄いというのは、実体のないもうひとりの自分、即ち魂の影が薄いという状態で、魂の入っているカゲが弱った状態であるという。離魂病という表現もあり、本人の肉体はまだ死んでいないのに、カゲの方が抜けてしまっていると感じられる」
 ということらしい。
 奄美の喜界島では、あの人はウシロカゲが薄くなったからもう長くあるまい、などと感じるとか、また東北の遠野地方では、死ぬ人は二、三年前から何となく影が薄いとか、正月の晩に影法師のない人は、その年中に死ぬと信じられていたそうである、とも表記されている。日本ではそんな現象をカゲノワズライと言い、江戸時代の人々は恐れていたそうだ。
 私の母は茨城県南部の出身で、東京に嫁いだ後、ある時、私の父の妹(私の叔母)と親類の女性二人を連れて帰省した。その際、母のいちばん上の兄が、二人のことを、
「なんだかあの二人は影が薄いな」
 と母に言ったという。その後親類の女性は十代で病魔に侵されて亡くなり、私の叔母は三十代で心臓病で早逝した。
 私の記憶しているかぎり、二人とも細身で印象が濃いとは言えないことは確かだったと思うが、その時、母の兄にはそれとは別の、カゲが薄い、という特殊な印象を感じとっていたのかもしれない。
 こうしたことは、日頃から幽霊が見えるなどという特殊な能力があることとは無縁の、ごく普通の人にも備わっている、第六感のようなものだろうか。


お知らせのお知らせ

 九月からこの「怪談エッセイ」を掲載し、noteデビューさせていただきました。
 もともと書籍化することを目的にしていたため、読書形式であり、noteではあまりそぐわない掲載かもしれませんが、読んでいただける方たちに感謝し、章を変えて人魂の考察まで発表できたらと思っています。

 今後とも宜しくお願い致します。

 


 






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