最近の思考「不安」

資格勉強ちゃんと再開して、受験申込もし自分を追い込みはじめました。
色々なことに余裕がなくて、焦って、から回って、どんどん悪い方向に思考回路が働いていく。そんな日々から抜け出せず、かといって努力もできず。そんな自分に定期的に嫌気がさします。行動する、継続する、それだけである程度は良い方向に進めるだろうに。それだけすらできない。

なんでこんなに不安定で思考が悪い方向に進んでしまうのか、それは漠然と色々なことに不安を抱いているからなのではと最近は思う。
やれ、老後までに2000万円貯めろ、でも物価は高騰、増税、給与は上がらない。海外では戦争も起きている、国内でも色々な事件が日々起きている。
漠然と色々な情報が膨大に手に入るこの時代で、断片的な情報に振り回され不安感を煽られ、必要以上に思い悩んでいるのか。
わからないことが多すぎる、圧倒的に知識が足りていないのだ。

情報社会を正しく生きるためには、やはり知識が必要と私は考えている。
もちろん、知識だけでは不足していることは重々承知だが、知識がないと正しく問題を理解できずに正しく心配し、正しく対処できないと思う。
情報が簡単に仕入れられるこの現代だからこそ、体系的に幅広く多くの知識を身に着けていく必要がある。(広く浅くでもよい、基盤があることが大切)
ネットで調べればいいじゃないかと、一定数意見があるがそもそも知識がないと調べるところまではいかないのではと思う、そこに疑問を持てないと思うし、仮に調べたとしても全く基礎がないのに正しくその内容を理解できるのだろうか。
調べて理解する、という至極当たり前の行動だがこれは根底にある程度の知識が備わっている(最低限の基礎が理解できている)状態だからこそ成立すると思う。

考えてみてほしい、ひらがなやカタカナを読めない子供にいきなり難しい漢字が使われている本を読めるわけがない(おそらく辞書の引き方も理解していないはずだ)、四則演算ができない人に、微分・積分の計算ができるわけがない。戦争などはその国の背景や情勢などがわからないと、なぜその国同士が争っているのかを正しく理解できないだろう。

知らないことを罪だとは思わない、この多くの情報が溢れかえっている世界ですべての知識の基礎ですら把握することは難しい。ただ、知ろうとする意識、知らないことがあるという自覚、それらはすべての人間が兼ね備えていていいのではないだろうか。
知らないから漠然と怖く、不安なのだ。ならば知識があればその漠然としたものを言語化でき、言語化できれば具体的な対処法などが浮かぶかもしれない。そこまでできたうえで、不安や恐怖を抱くことは致し方ない。これが正しく不安になるということなのだと思う。

話がそれてしまったが、私が今漠然と抱えている不安は知識不足からくるものもいくつかあると思う。先が見えないから怖い、どうなるかわからないから怖い。ただ、先が見えないなら見えないなりに知識をつけることで不測の事態に備えられるかもしれない、知識があれば何か起きても機転を利かせて対処できるかもしれない。実は制度などが整っており、助けを得られるのかもしれない。
そして、その知識は何が役に立つかわからない。いつだって小難しい本から得た知識が役立つとは限らない。漫画や映画で見たものをきっかけに興味を持ち、それに関する知識を付け、それが何かの役に立つということは皆が今までに一度くらいは体験しているのではないだろうか。

人は生きているだけで多くの情報に触れている、それをすべてキャッチアップすることは到底不可能だが、自分が興味もったこと、漠然と抱えた不安に関係しそうなことなど少し絞って日々知識を意欲的に吸収していくとより人生がより生きやすくなるのではないだろうか。

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