モブサイコ100 登場人物紹介と心に残る言葉

今回は「モブサイコ100」のアニメ第1期についてご紹介する。
モブサイコ100は、ONE氏の漫画作品。同氏は「ワンパンマン」の作者でもある。

モブサイコ100については、全16巻。すでに完結しており、アニメも2022年に第3期放送で完結を迎えた。

下記では、2016年に放送された第1期アニメ「モブサイコ100」における登場人物の整理と、筆者にとってグッと来た言葉を紹介する。


第1期の主な登場人物


主人公モブの周りには、とにかくたくさんの人間や超能力者、悪霊がいるが、第1期の大黒柱となるキャラクターは5人と考えて良いだろう。

影山茂夫(モブ)
本作の主人公。中学2年生。
超能力者で、霊幻が経営する相談所でバイトをしている。
自身が持つ能力の大きさ、その危うさに恐れを抱き、普段は表情・感情などを「無」にして過ごしている。しかし、感情を抑圧することでストレスが増え「100%」に達すると超能力が暴走する。
霊幻と出会い、自らの悩みや苦しみに対して共に向き合い、アドバイスをくれたことに感銘を受け、霊幻を「師匠」と呼び慕っている。

霊幻新隆(れいげんあらたか)
自称霊能力者。モブを弟子としており、相談所ではモブの超能力に(ほぼ)頼って依頼・相談された案件を解決している。
その巧みな会話術で周りを「ただ者ではない」と思わせたり、「暴力は良くない」と言った直後にいきなり敵を殴って意表を突いたりすることも。

エクボ
上級悪霊。
世界の頂点に立とうと企み、宗教団体「(笑)」の長として活動していた最中、モブに遭う。モブの力であえなく宗教団体は解散となるが、エクボはモブの超能力の高さを見込んで、いずれ彼の力を手に入れ世界の頂点に立とうと、モブに付きまとうように。
モブを利用しようという割には、モブにあれこれアドバイスしたり、時には助けたりで結構良いヤツ。

影山律
影山茂夫の1つ年下の弟。
モブとは異なり、成績優秀でイケメン、女子からモテモテで生徒会役員でもある。一方、超能力を有していない点もモブとは異なり、長年コンプレックスを抱いていた。モブに対しては基本的には優しいものの、過去に超能力の暴走で傷つけられたことによる恐れ、超能力への憧れなど、様々な感情を抱いている。

花沢輝気(テル)
黒酢中学校の裏番長。超能力者。
かつては自身の周りに超能力者がいなかったことで、「自分は特別」という意識を強く持ち、「凡人」と見なす相手を徹底的に服従させていた。しかし、自身を上回る超能力を持ちながらも、周りの人間に向かって力を使うことのないモブに出会ったことで考え方を改める。律たちが「爪」に拉致された際も、モブと共に救出に向かうなど、モブとの友情をますます深めている。

そして、第1期の登場人物を整理して作成した相関図がこちら↓

モブサイコ100 第1期 主な登場人物


第1期 グッとくる言葉

さて、ここからは筆者独自目線でグッと来た言葉を厳選して紹介しよう。
各台詞、どのエピソードで登場したのかも紹介するので、ぜひ見直しを。

EP005 OCHIMUSHA~超能力と僕~ 
その1 霊幻からモブへの言葉

いいか、よく聞け。俺たちは他人とは違う特別な力を生まれ持ったわけだが、決して自分を特別な存在と勘違いしてはいけない。
足が速い人、歌が上手い人、勉強ができる人、話が面白い人、超能力を使える人―――――これらに優劣がつけられるか。

力に自身を持つのは良いが、奢ってはいかんぞ。
俺たちの力は、使い方次第では凶器にもなる。(以下略)

ONE『モブサイコ100』より引用

このセリフは、本作品の中で何度も登場する。
特に「優劣がつけられるか」という言葉が筆者には深く刺さった。

世の中に優劣をつける場面は多い。子供の頃から、学校の成績で優劣の評価があり、習い事でも実力でクラス分けがあることも多い。大人になれば、就活や役職などで何だか優劣をつけられているような気がすることも少なくないだろう。

では、学校や職場で「優れている」と評価される人間が家庭や趣味の世界でも同じくして「優れている」と言えるだろうか?
そもそも学校や職場、ひいては社会における「優れている」という評価は絶対的なものだと言えるのだろうか。
筆者はそうは思わない。

評価というものは、学校でテストを作成して成績評価をする先生との相性、職場の同僚・上司との相性、社会通念との相性、さらには自分と同じように評価される立場のメンバー構成で決まる、相対評価だ。
評価をする「先生」「同僚・上司」「社会通念」、そして「評価される立場にあるメンバー」はちょくちょく変わるし、偶然的なものが多いので、自分が高評価をもらおうと低評価をもらおうと100%自分に理由があるとは思わない必ず偶然的なものが含まれているのだ。

だからこそ、高評価を得た時には、自分の努力に加えて運が良かったのだと状況に感謝し、低評価をもらったとしても「自分が悪い」などと責め立てるのではなく、運が悪かったな、じゃあ最悪の状況から逃れるために何を準備しておくか、と冷静に考えることができるのである。

霊幻の「優劣がつけられるか」という言葉には、


誰しも特別な力があって、その力の種類がたまたま異なるだけ。
もし、モブが自分の力に自信を持っているなら「どんな場面でも100%自分の方が優れている」と思ってはいけないし、
自分の力に自信を持てないなら、それは「100%自分が悪いわけではない。これから自信を持つ力の使い方を知り、準備していこう」と思えば良いのだ


というメッセージが伝わってくる。



EP005 OCHIMUSHA~超能力と僕~ 
その2 モブからテルへの言葉

あのさ、なんで小物とか凡人とか、いちいち他人を下げないといけないのかな。

ONE『モブサイコ100』より引用

「他人は自分を映す鏡」とは言うが、テルがモブに対して放つ言葉もまたテル自身の心の内を映している。
テルは自身の超能力を使うだけ使って周囲から優れた人物と認められてきた人物である。自身の超能力を必要ないものとして極力使わないモブとは正反対だった。
しかし、テル自身もまた、モブと同じように自身の超能力によって苦しめられていたのだった。超能力が無ければ自分は何もできない「凡人」である。その恐れが、凡人や小物に対する強い嫌悪へとつながり、いちいち言葉に出して吐き捨てるように言うようになったのだ。

~モブとテルの違い~
モブとテルには、超能力者であり、その力に苦しめられる点は似ているが決定的な違いがある。それは「プライド」である。

モブは、自分が超能力を持っていたとしても、多くの場面では平凡で、地味で目立たなくて何もできない存在だということを認めている。だからこそ、超能力を使わない場面で、新しい魅力を手に入れようと挑戦する心の余裕がある
一方、テルは超能力さえあればあらゆる場面で自分が特別優れた存在になれると思っている。だからこそ、超能力を使わない場面そのものを受け容れられず、自分の優越性を失う状況や奪う相手を潰しにかかろうとする。
しかし、そうしたやり方は時に、自分がやったこと以上に、とてつもなく大きな代償を払うことがある。テルの場合、それはモブの超能力暴走を目覚めさせたことだったのだと思う。最終的にモブの無意識のうちでの超能力暴走により、テルの敗北が決まる。テルは異次元の力を目の当たりにして、自身が凡人だったと認めることになる。そしてテルの悲惨な姿にそれまで彼の力を評価していた人も離れていくことになるのだった。

このモブとテルのエピソードでは、プライドについて次のような教訓が含まれているように思う。
プライドが、自分の新しい魅力を開拓する機会を奪うことがある
プライドを守るために他人を攻撃すると、自分のプライドはもちろん、
 周囲からの信頼やそれまでの良い評判も失う


EP011 師匠~leader~ 
その1 霊幻が爪の下っ端たちに言い放った言葉

そもそも誰かに指図されたからって、外道かまして言い訳ないだろうが。下っ端気質も極まるとただのカスだな。
(中略)
お前らそんなんでトップに立ったところで・・・
自分達が踏み荒らしてきた汚い景色しか残らないぞ・・・
何がしたいか知らねーが、マナー守った上で頂点とるから気持ち良いんだろうが・・・!!!

ONE『モブサイコ100』より引用

「中学生を相手に危害を加えようとしたのは、ボスの命令に従ったまで。」
爪の下っ端たちのこうした言い訳に対して、霊幻が喝を入れた場面で出てきた言葉だ。

とにかく自分たちのボスが世界の頂点に立てば、自分たちもそのおこぼれをもらって世界の上位に立つことができるという想像を持つ下っ端たち。霊幻は、そんな彼らに上位に立った後の「気持ち」に目を向けさせるのだ。
意外と?素直な下っ端たちは、自分たちはなんて小さいことをしていたんだと気づかされるのである。

同じ目的達成でも、やり方次第で達成後の気持ちが大きく変わることはよくあると思う。そして筆者はこのことに関して、苦い経験がある。

中学2年生のスポーツ大会でのこと。クラス対抗のバスケットボールの試合に参加した。運動音痴な筆者はスタメンではなかったが、大会ルールでメンバー全員が一度は試合に出場することとなっていたため、途中で試合に入る予定だった。しかし、自身が出場することはないまま、試合が終わり我がチームが優勝した。

虚しい優勝だった。
どうして試合が終わる前に、バスケ部のチームリーダーに試合に出ていないとしつこく言えなかったのだろう。
他クラスからルール違反を指摘された時、どうしてその通りだと堂々と認められなかったのだろう。
どうしてチームリーダーやチームメイトの「終わってしまったことだから仕方がない。結果が優勝なんだから良いじゃん。」という言葉に強く反論できたなかったのだろう。
沢山の後悔があった。

その夜、筆者は自身への怒り、悔しさを爆発させて叫び、泣いた。優勝メダルを引きちぎって、踏みつけて、ベルトをバラバラにしてごみ箱に何度も投げ捨てた。

ルールを破って相手に勝っても、虚しいだけ。残るのは後悔、自分への怒り、嫌悪感。そして苦しみだ。
事が起こる前に自分たちの行いの小ささに気づいた「爪」の下っ端たち。
彼らはとても幸運だったと思う。


EP011 師匠~leader~ 
その2 霊幻が第7支部の連中に対して思ったこと+モブたち中学生への言葉

中学生相手にムキになって襲い掛かるこの輩どもは・・・
世界征服とか本気で主張しちゃってるこの連中は・・・
大人になれなかった子供だ。どうしてそうなった?
答えは分かる。

ONE『モブサイコ100』より引用

「大人になれなかった子供」
霊幻は、大人子供関係なく襲う爪第7支部の連中をそう呼んだ。

子供と大人の違いは様々あるが、霊幻の言葉や考え方から推測すると、
決定的な違いは以下が考えられる。
・あらゆる場面においても、感情的にならず冷静に判断できる
・自分の周りを観察、あるいは未知の世界を想像し、自分の身の丈に合う
 判断をできる

彼らは、子供に対して「ムキになり」、超能力という「限られた世界の中で強いだけ」で、世界征服をできると思い込んでいる視野の狭さを見せたわけである。
霊幻はそんな彼らが、自分の感情に身を任せ、自分の見た世界だけで他の世界を測ろうとする子供に見えたのだろう。

そしてこのセリフの直後、霊幻は第7支部の猛攻撃に遭い、彼らが「大人になれなかった子供」になった理由をはっきり示すことはなかった。しかし、その後の霊幻の言葉に答えがあるように思う。
霊幻は、中学生の子供たちに対して何度も
「ここは大人の俺が何とかするから、お前たちは
逃げろ!/同じ土俵に立つ必要はねえぞ!/反撃するな!/殺意のある相手に本気で対抗するな!」と言う。

極めつけは、このセリフ↓↓↓

嫌な時はなあ!逃げたって良いんだよ!

ONE『モブサイコ100』より引用

子供は、何事も全力で、力のある限り出し切ろうとするものだ。それに加えて、周りの状況や他人からの期待に流されて、つい自分の気持ちを後回しにして行動してしまうことがあると思う。
第7支部の連中の中には、自らが苦しい状況から逃れるための「頼れる大人」という存在がいなかった者もいる。それ故に、どんな状況においても、子供のように感情に任せて力を乱用することしかできなかったのかもしれない。

しかしそうした力の行使は、時には「やってしまった…」という後悔や悲しみ、自分への怒りが蓄積されていくのだ。モブのように…

霊幻の「逃げたって良い」というメッセージは、モブに新しい選択肢を与えることになる。EP012に進もう。


EP012 モブと霊幻 ~巨大ツチノコ現るの巻~
ナレーション解説 モブの新しい選択「手を差し伸べてくれた人に託す」

本EPの冒頭、モブは霊幻の言葉で冷静になる。そして、第7支部に対して自身は戦わず、師匠に託すことを選ぶのだ。

ナレーションで、次のような解説が入る。

他人の言葉が与える影響は時折、計り知れない。
力を持つものは闘わなければならない。その責任がモブの橋を崩していた。
しかし、誰かがそっと手を伸ばすだけで心の解決につながることがある。

ONE『モブサイコ100』より引用

霊幻に託す選択は、心の解決だけでなく超能力の新しい使い方を知ることにもつながったはずだ。本来、爪第7支部に凶器としてぶつけるはずだった超能力を、霊幻を守るための道具として使うことになるのだった。


「モブサイコ100」
筆者はアニメのみを拝見したが、至る所に考えさせられるシーンや名言があり、厳選にかなりの時間を要した。
今回は筆者の考えが深まった言葉を選んで紹介した。
モブサイコ100Ⅱ、モブサイコ100Ⅲでの心に残る言葉については、また後日。

最後までご覧くださった方へ
本当にありがとうございます!

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