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2024.2.24 日記

「父とスキー」

父と2人でスキーをする日がくるなんて信じられない。

18のとき私がスキーの道に進むことに父は猛反対で、それから大学入るまでは全く口聞かなかったし大学入ってからもスキーの話ができるようになったのは仕事として成り立つようになってからだった。でも間違いなく子どもの時に仕切りにスキーに連れて行ってくれたのは父だったし、インターハイを応援しに来てくれてたのも父だった。だからこうして17.8年ぶりに、父とスキーができているのが幸せでしょうがない。間違いなく一生の思い出。

子どものころによく連れていかれた富士見パノラマスキー場に来たのも20年くらいぶりくらい。当たり前だけど、あの時は恐怖でガチガチになりながら滑った急斜面も、ものすごい高さに感じていたリフトも、ちょっと寂しくなるくらいなんてことなかった。

でも間違いなくそこに子どもの自分がいて、自然の美しさと怖さと、喜びと悔しさと、家族の温かさを経験した場があった。

帰りに寄った温泉で、父と祖父のスキーの思い出も聞いた。

今までの自分の人生の選択は全て自分のものであるけれど、こうしてスキーに熱を持っているのは父との富士見パノラマでの思い出があるからだし、またその父も祖父との思い出があるからだと思うと、自分が世代を超えた大きくて暖かい繋がりの中にいるのを思い出させてくれる。

生物学的には個体としての生と死をある程度の範囲で定義しているけれど、想い、教えは個体を超えて生きている。こうやって祖父の家に父と2人で生活して、思い出のスキー場に行くとなおさら、広義での人間が生物学的な死によって完結し得ないことを感じる。

そういう意味で、場所はより長い時間単位で人に働きかけてくれる。事象に対して不必要に人格を与えるような表現はしたくないけど、「場所に住む記憶」はあるように感じた。それは単にその景色だけじゃなくて、匂いとか気温とか、人並みとか、活気、エネルギーみたいな人間が自認できないくらいの些細な場の空気感を含めて呼び覚まされる記憶だから、情報としての記憶ではなくてもっと深い、人格とか感情感覚をそのままに、その時の存在をそのままその場に感じるような体験に近いからかもしれない。

そういう、場所が時間を超えて繋いでくれる記憶が、時間や個人を超えた想いの伝播を助けているのなら、家や街は、過去との繋がりを感じる上で掛け替えのない財産でもあるし、両親や両祖父祖母の人格を次世代に繋ぐ遺産以上の意味があるものだと思う。

今時、どこに引っ越そうが生きていけるし実際自分も移動の多い生活をしてる。移動の自由は享受しながら、場に根を下ろした住み方は神楽坂、小田原以来ほとんどできていないので、今後そういう場を育てることにも丁寧でいられるように、改めて心に留めておきたい。

再開発を進めることや新築を建てることの代償は、究極言ってしまえば孤独なのかもしれない。宗教的な意味合いではなく、先祖との繋がりを感じられる家づくり、街づくりは商業主義的な開発をしてる人の検討事項に入れて欲しい。立石の再開発なんとかならんのかな。


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